明日は他人の私へ。

 

あっ

『春にして君を離れ』のラストだ

と連想したんです。

 

君はひとりぼっちだ。これからもおそらく。しかし、ああ、どうか、きみがそれに気づかずにすむように。

 

独善的なジョーンは

結局はこれまでと同じ生き方を

続けることを選択する。
 

 

そんなジョーンの「ひとりぼっち」を

連想したのはこんなお話。

 

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ネコチャンのニンゲン育成日記様

 

「今のままの方が、孤独と

 ひきかえにずっとずっと

 生きやすいのに。」

 

お土産全取りお局の娘、

とも子の友達が

人生何周目だろうかという

深いことを言います。

 

とも子の母親は

仕事はできるけれども非常識。

皆さんでどうぞ

と置いておかれたお菓子を

全部持って帰ってしまう。

 

ドリンクバーは子どもだけ注文、

自分はそれを横取りして飲む。

スーパーのサッカー台では

ビニル袋をぐるぐるとって、

コーヒーを飲みにいけば

ミルクや砂糖をガサッととって持ち帰る。

 

そんなこんなで子どもたちからも避けられて

その理由も理解せず。

とうとう会社で問題になり自宅謹慎。

 

家族からもこれまでのことを改めて言われ

それでも自分のなにがいけないのかを自覚しない彼女に、

夫は反省文を書くように言います。

 

そこでようやく、

自分のしてきたことが

窃盗であり、恥ずかしいことだと認識。

 

いや、このくだり、ね。

反省文を書かせることの効用が

よく分かってよかった。

 

以前、

子どもがネットトラブルに巻き込まれたとき

なにが起きたのかを

聞き取って書いて

こうか?

と見せたりしたことがあったんです。

 

でも、

子どもはまた

ネットトラブルに巻き込まれた。

 

今度は子ども自身に、

なにが起きたのか

自分はなにをして、なにをしなかったのか

書いてまとめさせました。

 

すごく渋ってたけど。

おそらくは書く前から

面倒とかもあるけど

自分がしたことと

向き合わなくてはいけなくなることが

なんとなく分かっていたからじゃないかな。

 

ええ、でね。

 

この、

お土産全取りお局は

これまでの自分を振り返り

会社にも「別人?」と言われるような態度で

心からの謝罪をします。

 

そんな母親の変貌を

受け入れていいものか戸惑うとも子に、

友人は前述した言葉をかけるのです。

 

そう、

高校生の娘がいるような年齢で

これまでの生き方を変えるなんて

それはそれは大変なことでしょう。

 

ジョーンのように、

一度は、

これまでの自分はなにも分かっていなかったのだと

夫に許しを乞おうと思うのに

結局は

何事もなかった顔で帰るのです。

 

ひとりぼっちのジョーン

茶化す夫に

ひとりぼっちじゃない、

と訴えますが。

 

ジョーンは、

これまでの生き方を変えないことを選んだ。

きっと変えるのは怖かったから。

 

とも子の母親は

変わることを選んだ。

変わって、

これまで失ってきた子どもたちとの時間を

取り戻すために退職さえ決意します。

 

 

私は、どうだろうか。

 

ジョーンだって

とも子の母親だって

それまでは

それで良い

と信じて生きてきたんだろうし。

 

いまの私がそうではないと

誰が言えるの?

わかんない。

パティーサワディー。

 

ではまたいずれ。

ごきげんようごきげんよう。

 

    明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは  親鸞