明日は他人の私へ。
 

『脳を鍛えるには運動しかない!』

運動音痴の私にもやさしい内容で

少しづつ読んでるんです。

 

 

第六章で、

大人のADHDについて

書かれています。

 

ADHDや失読症の治療に

運動によって小脳を鍛えるという方法などが紹介され、

一方、

注意力の問題は、

大人になれば治るものとされていた頃。

 

成人のADHDについて論文を書いたが

相手にされなかったとか。

 

しかし1989年、

「おとなのADD」

というタイトルで行った講演は

質疑応答がなんと

 

四時間も続いたといいます。

 

聴衆はマイクをとりかこみ

次々に、

「自分の物語を話し、その意味を尋ねた。」

 

この箇所で私は

通勤電車のなかで

涙ぐんでしまった。

 

それまで当人は自覚していながら

他人からは認められることのなかった

注意欠陥、生活に生じる困難。

それらが名付けられ、

研究されている。

それがどれほどの安堵をもたらすか。
 
名付けられただけでは
なんの改善にもならなくとも
それまでずっと
性格の問題なのだ、
ひとはちゃんとできることが
どうして自分にはできないんだろう
と悩み続けていたことが
自分だけではない、
名前があり、
なにが原因か、治療法は、
研究されている!
 
 
たびたび思い出すのは
中国の故事だったはず、
虎が虎と名付けられる前は
もっと恐ろしい怪物だったろう、
というもの。
 
大人のADHDが、
大人のADHDと名付けられる前は
どれほど恐ろしく醜い
おのれのなかに棲む
怪物だったろう。
 
その講演の聴衆が
驚きと困惑と、
安堵や含羞、
喜びなどではちきれそうになりながら
マイクを取り囲んだ様子が
思い浮かんだというよりは
私自身がそのなかにいて
マイクの順番が来るのを
息の詰まる思いで待ち構えている気分になり
マスクを引き上げ
そのふちで涙を吸わせたのでした。
 
こんな脳筋タイトルの本で
こんな思いをするとは思わなかった。
 
やっと半分まで読んだところ。
 
ではまたいずれ。
ごきげんようごきげんよう。
 
 
    明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは   親鸞