明日は他人の私へ。

 

私が観にいくときには

べつに観なくていーって言ってた子が

 

アカデミー賞とったんでしょ?

観たい! 

 

て言い出しましてね。

 

もう一回観てきました。

 

ラストで、

典子の首にあらわれる首の痣は

十中八九、ゴジラの再生する細胞の証として。

 

おそらく典子は妊娠してるんですよね。

 

悪夢にうなされる敷島を、

二度目に慰めたとき

二人の関係は、

一度目の、

すがってきた敷島を突き飛ばしたあのときとは違っていて。

実事があったんだろうなと推測されます。

 

銀座で逃げ惑っているとき

典子の手がわずかに

お腹をかばうような仕草を見せる。

 
一回目のときパンフ買った気がするんだけど
本棚に見つからなくて
もう一度買うか、
考察記事でもあさるかすれば
そこらへん
設定が書いてありそうなもんですが。
 
あの爆風に吹き飛ばされたなか、
典子だけがゴジラ細胞をその身にうけて
生還したとするなら
ほかのひととは違う条件が必要だろうと思うわけです。
 
であれば、それは、
妊娠ではないかな。
 
なんてことは、
マイゴジを観たあとに
続けてDUNE2を観たから思いついたことです。
 
妊婦である、ということは
古今東西のフィクションで
なんらかの意味をもたせられる存在だよなあ。
ベルセルクとか。
タイトル思い出せないSF短編とか。
古今東西とか言っておきながら
あまり思い出せないので、
このへんでやめときます。
 
というわけでマイゴジは不穏な要素を見せて終わり、
続編への妄想がふくらみますね。
 
まさか生まれた子どもが
ゴジラと同じ再生する細胞をもって生まれ、
たとしても、
ゴジラと戦ったりはしないでしょうけども。
さすがに。
 
ではまたいずれ。
ごきげんようごきげんよう。 

 

 

この空しい人生の日々に
わたしはすべてを見極めた。善人がその善のゆえに滅びることもあり
悪人がその悪のゆえに長らえることもある。
善人すぎるな、賢すぎるな
どうして滅びてよかろう。
悪事をすごすな、愚かすぎるな
どうして時も来ないのに死んでよかろう。

(『コヘレトの言葉』第7章第15〜17節)