明日は他人の私へ。

 

悩みのすべては人間関係に起因する

みたいなこと

アドラー先生が言ってませんでしたっけ。

 
 

  半世紀生きても。

50歳を過ぎたら

たいがいのことは経験済みであったり

本やマンガで知っていたりして

だから、

たいがいの人間関係の悩みは

初見のものなどないのでは。

 

そう思っていたことが

私にもありました。 

 

  順列組み合わせは無限。

そこらへんの数学

不得手だったから、

「え、無限じゃないっすよ?」

というツッコミは受け付けます。

 

前にもこういうひとっていたなあって

知ってるつもりのパターンでも

なんやかんやで直接対峙したことはなかったり

私の立場、相手の立場が

前の経験のときとは違っていたり

相手がそんなタイプには全然見えなくて想定外、

不意打ちをくらってしまったり。

 

当事者として

その悩みに絡め取られるとき

かつての経験が

役に立たない、立たせるひまがない

なんてことは

あるもんなんですねえ。

  

  レジリエンスっていうんだっけ。

いくら年齢を重ねても

人間関係の悩みで大きなダメージを受けることは

ゼロにはできないのだとしたら。

 

ほら、あれ、

レジリエンスっていうんでしょ?

 

回復力とか耐久力、

つらいことを乗り越えていく力。

 

高めていくことも

必須なんだよなあと

痛む胸や胃をおさえながら

思うのです。

 

Alexa、なぐさめて。

 

ではまたいずれ。

ごきげんようごきげんよう。  

 

この空しい人生の日々に
わたしはすべてを見極めた。善人がその善のゆえに滅びることもあり
悪人がその悪のゆえに長らえることもある。
善人すぎるな、賢すぎるな
どうして滅びてよかろう。
悪事をすごすな、愚かすぎるな
どうして時も来ないのに死んでよかろう。

(『コヘレトの言葉』第7章第15〜17節)