なぜ突然、今までの歴史みたいなことを書き始めたかというと、
こうでもして振り返らないと、
過去のことって忘れてしまうから。
普段は今自分がなぜこういう仕事をして、こういう生活をしているのかなどとは考えず、
ただ目の前のことをこなしていく毎日。
「初心忘るべからず」ということわざは、
それだけみな、初心を忘れてしまうから存在する戒めなのである。
初心、つまり自分の原点。
これは自分で後で振り返るために書いている。
だからウソや誇張は入れていない。
ブログなので、書き方に工夫はしているけれど。
さて40過ぎての就活のつづき。
ふらりと入った書店で手に入れた外国人用のフリーペーパー。
めくってみると、日本人向けの求人広告があった。
「外国人向けの不動産営業。要普通免許、英会話」
広告主は麻布の不動産会社。
麻布は、学生時代からずっと住んでいて、子供の幼稚園の送り迎えなどで走り回っていて庭のようなものだ。
土地勘は十分にあり、運転には自信があった。英語もなんとかなりそうだ。
これだ、と思った。
時給1000円のアルバイトだったが、贅沢など言えない。
とにかく何でもいいから仕事について年を越したかった。
記載してあったメールアドレスに必要事項を書いて応募する。
すると、すぐにExcelの履歴書が送られてきた。
当時ではデジタルの履歴書というのは非常に珍しかったので戸惑ったが、
PCはWindows95が出たときに物珍しさで買っていたので、、
なんとか書き込むことはできた。
面接は、暮れも押し迫った12月のある日の夕方6時に指定された。
それまでさんざん面接で失敗した私は、あることを学んでいた。
それは、雇用側の気持ちになる、ということ。
担当者が面接で私を見るとき、
「この人が、この仕事をしたらどうだろう。この職場にいたらどうだろう」ということを想像するはずだ。
その際、少なくとも「違和感がない」と思わせなければならない。
たとえどんなに私が優秀であったとしても、「うちには合わない」「この人がここにいることが想像できない」と思われたらそれで終わり。
これまでの失敗は、実績がなかったことだけでなく、
19年間でしみついた奥様の雰囲気が、面接官の目には頼りなげに写ったに違いない。
私が今欲しい仕事は、不動産の営業。
だったら、不動産の営業らしくしなければならない。
営業なんてもちろんやったことがなかったが、
自分のイメージの中の「感じのいい営業の人」になりきることにした。
笑顔。
はっきりした物言い。
礼儀正しさ。
この3つがあれば、きっとなんとかなるはず。
その頃、離婚調停のまっただ中で、とても笑顔を作れる状態ではなかったが、
学生時代、演劇サークルで主役をやった経験があった。
演じればいいのだ。
面接に行く前、会社の前の木枯らしの吹く真っ暗な公園で、
この3つを自分に言い聞かせ、笑顔の練習をした。
できる営業ウーマンのつもりで面接に臨む。
翌日、社長から電話が入る。
「ぜひお願いします。来年1月7日から来てもらえますか」
やった。ついにやった。
40過ぎにして、生まれて初めて社会人になった瞬間。
2002年、クリスマスイブのことだった。
後で聞くと、最初のExcelの履歴書が、既にパソコンスキルのテストになっていたらしい。
用がなくても物好きでパソコンを買っておいたことが効を奏した。
わずか時給1000円、日給7000円の仕事である。
それなのに、あのときあんなにうれしかった。仕事ができることだけでうれしかった。
これが私の「初心」。
これを決して忘れてはいけない。
採用通知は最高のクリスマスプレゼント、とばかりに
すべてを勝ち取っていたような気持ちに酔っていたそのとき。
そのわずか3ヶ月後、その職場を去ることになるとは、
誰が予想しただろうか。
明日に続く。