「真面目」に生きるということ。 | Stay Hungry, Stay Foolish

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仕事90%で突っ走ってきたこの7年。そろそろ形にする時がきたかな。

そもそも「真面目」というのは、善なることとされているが、


果たして本当に良いことなのだろうか、とふと思う。



私たちは、学校教育で「真面目であること」を正しいとして教わってきた。


「あの人は真面目」という表現は、ちょっと融通がきかないけどね、というニュアンスは時にあっても、悪口として使われることはない。



しかし、問題は、何に対して「真面目」なのか。ということである。


真面目な人間は、(自分も含め)思考停止をしている場合が多い。


自分が考えたことを真面目にやるのではなく、


人が考えたことを真面目にやる傾向にある。


「人」つまり親、学校、会社、政府。



人が考えた枠組みの中で真面目にやることは、楽である。枠を作った「人」にとっても都合のいいことだ。


しかし果たして、それで幸せになるのだろうか、と言う話である。


人が決めた枠の中で真面目に生きることは、


自分自身の人生に対しては真面目であるとイコールではない。



しかしながら、自分に対して真面目になるということは、


慣れない人間にとっては苦痛を伴う。


なぜならば、頭と時間を使って考えて、自分で枠を作らなければならないからだ。



もちろん、人の枠の中で真面目にやることも重要。


でも、一方で、私自身はどうしたいのかを自問自答したとき、


自分に対して「真面目」でありたい。


つまり、


どんなに小さいものでもいいから、自分自身で「枠」を作っていこうと決意をするのである。