阪神淡路大震災から15年目です。
あ~月日の流れを感じるな(^_^;)
成人式で友人達とワイワイして、二日後の出来事でした。
(当時は成人の日が1月15日でした)
ベットから浮き上がるほどの突き上げるような振動と大きな揺れ、
そして瓦が落ち、何かが破壊されていく音・・・
その音が続き、遠のき、また近づいていく。
住んでいたところは神戸と言っても西の端でしたが、
震源地からほど近い場所でしたから相当の揺れでしたね。
地震が静まり慌てて家族がリビングに集合しようとするも、
リビングのドアが開かない・・・
親父がこじ開ければ、食器は粉々、ありとあらゆる家具は倒れてましたね。
家族は弟がタンスの上にあったモニタが、
頭に落ち大きなタンコブを作ってるぐらいで済みました。
家は瓦が落ちたり、壁にヒビが入ったりしたぐらいで住むには問題ありませんでした。
電気、ガス、水道が止まり、ストーブが点きませんorz
でも、寒いし(^_^;)
どうやって今の状況を把握するべきか・・・
瓦でフロントガラスが割れた車に乗り込み、
エンジンをかけてラジオを聞く。
どうやら神戸一帯に大地震が起きた模様。
私は早速、原チャリにまたがりウロウロしてみたけど道は割れ、建物は破壊され、新幹線の高架が落ちてる。
信号もつかない道を唖然としながら走った記憶があります。
(出勤は諦めた)
ローソンで大量の人が食料を買い漁っている姿を見て、
急に我に返ったw
「やばい!」
そうです。
この瞬間に6千人もの人が亡くなっていたのです;;
親父は私の原チャリにまたがり元町の会社まで行きました。
帰って来て、「会社が倒壊していた、長田あたりは火の海だった」と聞いた時は言葉がでませんでした。
(親父はその中を入り、PCからHDなどを引き上げてきたようです。)
神戸に住む親戚への連絡もできず(電話不通の為)、
不安は募るばかりでしたがとにかく自分たちの生活をどうするか・・・
を考えなければならない状態でした。
電気、ガス、水道のない生活。
ほんと大変でしたわ・・・
しばらくして電気が繋がり、会社の人にプロパンを持ってきてもらい直繋ぎしてもらい、
水は浄水所に行ってポリタンクに入れて車で運ぶようにしました。
(かなり重労働)
連日報道される神戸の町は信じられない事になっていましたが、
なぜか信じられずw
神戸まで電車が通るようになって、すぐに妹弟を連れて行ってみる事にしました。
電車の中から見える、いつも見ていた風景は倒壊された建物や焼け野原・・・
みんな言葉もでないようで、電車の中だというのに静かすぎるほど静かでした。
私もなんとも言えない感情が込み上げてきました。
小さい時から慣れ親しんだ神戸は、死んでいました。
知っている風景は何一つ残っていなかった・・・
母に見せるためカメラを持って行ったけど、
撮れば撮るほど泣けてきた。
あれから15年。
神戸は変わりました。
あ・・・なんか長いな・・・書きすぎたなw
ここまで読んでくれた方ありがとうございます。
私が二十歳で学んだ事は。
①自治体、国、政治は自分を助けてはくれない。
②人を救えるのは人しかいない。
③マスコミは信用できない。
です。
6,434人の命に心からご冥福をお祈りします。