今から71年前の今日、日本は終戦を迎えた。太平洋戦争は民間人を含めると300万人を超える犠牲者を出したといわれるが、経済的な損失も計り知れないものだった。戦費総額は国家予算の74倍に達しており、空襲によって生産設備の50%以上が失われていた。

この天文学的なレベルの経済損失を日本政府はどのようにして穴埋めしたのだろうか。


実質ベースの戦費総額は国家予算の74倍

太平洋戦争(日中戦争を含む)の名目上の戦費総額は約7600億円だった。日中戦争開戦時のGDP(当時はGNP)は228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると33倍、国家予算(一般会計)に対する比率では何と280倍という数字になる。

現実には過大な戦費調達から財政インフレが進んでおり、実質ベースで再計算すると約2000億円程度に減少する。それでもGDPとの比率では約8.8倍、国家予算との比率では74倍となり、途方もない金額であることに変わりはない。  

終戦前年の1944年における政府債務残高は約1520億円あり、同年のGDPは697億円だった。政府債務のGDP比は約220%と計算されるが、これは現在の日本とほぼ同じ水準である。当時の日本経済の基礎体力は小さく、この水準の債務残高は持続不可能であった。

政府の借金は何らかの形で清算しなければならない。財政に魔法の杖はなく、最終的には「国民から税金で徴収する」か、「インフレという形で預金者から強制的に預金を奪う」かのどちらかとなる。終戦後の日本の場合、その両方によって、一連の負債を清算した。


封鎖された預金に対して最高で90%の税金

当初、政府は預金封鎖と財産税によって国民から税金を徴収することで債務を返済しようとした。これは銀行預金を封鎖して預金を引き出せないようにし、封鎖した預金に対して財産税をかけるという仕組みである。

預金封鎖は1946年2月に突然、実施された。金融緊急措置令によって、銀行の預金は生活に必要な最小限の金額を超えて引き出すことができなくなった。また、日本銀行券預入令が施行され、銀行に預けない貨幣が無効となった。最低限度を引き出す場合には、すべて新円となったので、旧円をタンス預金することは不可能であった。  

政府はその9カ月後、財産税法を施行し、封鎖された預金に対して財産税を徴収している。預金が少ない人は25%程度だったが、高額の預金を保有している人は、最高で90%にも達する税金が課せられた。  

財産税と同時に実施された戦時補償特別税(戦争に関する政府からの支払いの踏み倒し)と合わせると、5年間で487億円が徴収された。1946年の一般会計予算は1189億円だったので、複数年にまたがっているとはいえ、予算額の4割に達する金額を徴収した計算になる。現在の金額では約40兆円程度ということになるだろう。当時の国富は約4000億円しかなかったので、国全体の資産の1割以上を政府が強制徴収したわけである。


財産税では足りずインフレ課税も

一連の財産課税によって多くの人が資産を失うことになった。だが、財産税で処理できたのは債務全体の3分の1程度であり、膨大な債務を清算するにはまだ足りない。政府は望むと望まざるとにかかわらず、「インフレ課税」による債務整理を選択する以外、道がなくなってしまった。

インフレ課税というのは、インフレを進める(あるいは放置する)ことによって実質的な債務残高を減らし、あたかも税金を課したかのように債務を処理する施策のことを指す。具体的には以下のようなメカニズムである。

例えばここに1000万円の借金があると仮定する。年収が500万円程度の人にとって1000万円の債務は重い。しかし数年後に物価が4倍になると、給料もそれに伴って2000万円に上昇する(支出も同じように増えるので生活水準は変わらない)。しかし借金の額は、最初に決まった1000万円のままで固定されている。年収が2000万円の人にとって1000万円の借金はそれほど大きな負担ではなく、物価が上がってしまえば、実質的に借金の負担が減ってしまうのだ。

この場合、誰が損をしているのかというと、お金を貸した人である。物価が4倍に上がってしまうと、実質的に貸し付けたお金の価値は4分の1になってしまう。これを政府の借金に応用したのがインフレ課税である。

現在、日本政府は1000兆円ほどの借金を抱えているが、もし物価が2倍になれば、実質的な借金は半額の500兆円になる。この場合には、預金をしている国民が大損しているわけだが、これは国民の預金から課税して借金の穴埋めをしたことと同じになる。実際に税金を取ることなく、課税したことと同じ効果が得られるので、インフレ課税と呼ばれている。

日本は巨額の戦費のほとんどを日銀の国債直接引き受けという形で調達したことから、市中には大量のマネーが供給された。戦時中は国家統制でマネーの動きが抑制されていたが、戦争終了とともにこの巨額のマネーが動き出すことになった。これに加えて、国内の生産設備の半分が空襲などで使いものにならない状況となっている。巨額の財政赤字に、極端な供給制限(モノ不足)が重なった状態であり、常識的に考えてインフレが爆発するのは当たり前である。

終戦直後から、物価が落ち着きを見せる1952年までの間に、名目上の消費者物価は約100倍に値上がりした。日中戦争開始時点から比較すると300倍近くの値上がりである。現実には闇市場が横行しており、終戦時の市場価格はすでに45倍程度になっていた。そこからの物価上昇率ということになると約7倍である。

逆にいえば、終戦後からのインフレで国民が持つ預金の価値は7分の1になり、政府が抱える膨大な債務も実質的に削減された。戦争直前に200%を超えていた政府債務のGDP比は、1952年には13.2%まで減少しており、日本政府は一気に健全財政に変身したのである。


誰から奪うのかという違いでしかない

政府が作った過大な借金は、いつかは、何らかの形で清算しなければならない。基本的に国民から税金を徴収する意外に清算の方法はなく、直接的な課税とインフレ課税の違いは誰から取るのかという点だけである。

直接的な課税の場合、税金は納税者から徴収することになる。終戦直後の日本であれば、財産税の課税だったので、財産を持っているすべての人から税金を徴収した。財産税を逃れることができたのは、預金や資産を持っていない低所得層だけだった。  

もし消費税の増税で手当てするなら、モノやサービスを消費する人の負担で穴埋めが行われ、所得税を増税するなら、お金を稼いだ人の負担で穴埋めが行われる。税の種類を決めるという行為は、誰が負担するのかを決めるという行為にほかならない。

間接的なインフレ課税の場合には、負担するのは預金者ということになる。インフレ課税の場合には、課税されたことが明示的に示されないので、課税が実施されても多くの人は気付かないかもしれない。 

このところ、日銀の量的緩和策の限界が指摘されるようになり、一部ではヘリコプターマネーの導入が囁かれている。具体的には、政府が元本や利子の支払いを必要としない債券(無利子永久債)などを発行し、これを日銀が引き受けるといった形が想定されているようだ。 

ヘリコプターマネーが導入された場合、かなりの確率でインフレになる可能性が高い。現在の日本において制御できないほどのインフレになるのかは何とも言えないが、仮に一定のインフレが進んだ場合には、政務債務の問題がある程度解決する代わりに、預金者から見えない形で巨額の税金が徴収されることになる。 

このようにインフレには政務債務の削減を通じた課税という作用があり、これを無視してインフレ政策について議論することはできない。インフレというのは実質的な「増税」であることを忘れてはならない。


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仏法と師匠への求道の心こそ成仏の肝要

今回学ぶ「千日尼御前御返事(雷門鼓御書)」の後半では、日蓮大聖人と千日尼の師弟の温かな心の交流を拝し、「心こそ大切」と仰せの尊い意義を心に刻んでいきましょう。(池田SGI会長による本抄の講義は、『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻〈聖教新聞社〉に収録されています)


〈本抄について〉

本抄は、弘安元年(1278年)閏10月19日、日蓮大聖人が身延の地で認められ、佐渡の千日尼に送られたお手紙です。  千日尼は、大聖人が佐渡に流罪されていた折、夫の阿仏房と共に大聖人を命懸けでお守りした純真な女性門下です。 

大聖人が身延に入山されて以降も、阿仏房は幾度も御供養を携えて、はるばる身延を訪ねています。大聖人は、そのたびに、夫を送り出して留守を守る千日尼の労苦を思いやり、お手紙を託されました。 

大聖人は本抄で、千日尼の御供養に感謝し、変わらぬ真心を称賛されています。そして、遠い佐渡の地で留守を守る千日尼に対し、雷門の鼓が「千万里」を越えて即座に聞こえたように、“あなたの心は身延にまで来ていますよ”と、温かく励まされています。この譬えから、本抄は「雷門鼓御書」とも呼ばれます。 


拝読範囲の大意(御書1316ページ8行目「譬えば女人の」~1317ページ最後)

妙法には、人が一生の間に作る罪を変毒為薬する力があることを、譬えを通して示されます。 

そして、天空の月が瞬時に池に影を浮かべるように、また、古代中国の「雷門の鼓」の音が遠い距離を越えて直ちに伝わったとされるように、千日尼の身は佐渡にあっても、その心は日蓮大聖人のおられる身延にまで届いていると励まされます。 

さらに、成仏の道もこれと同じであり、妙法を持つ人は、穢土に住んでいても、心は霊山浄土に住んでいると述べられます。そして、成仏においては、「心こそ大切」であると結論されます。


 〈御 文〉

譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ  (御書1316ページ15行目~18行目)


〈通 解〉

譬えば天空の月は遠く四万由旬も離れていますが、大地の池には瞬時に影が浮かび、雷門の鼓は千万里の遠くにあっても打てば瞬時に聞こえます。あなたの身は佐渡の国にいらっしゃいますが、心はこの国に来ています。 

仏に成る道も、これと同様です。 

私たちは、けがれた国土におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといって、どうなりましょう。心こそ大切です。


〈解 説〉門下の尊い真心を最大に称賛

「心こそ大切」――信心において、最も大切なのは「心」です。なかでも、師弟の心の絆こそ重要です。  

本抄を頂いた千日尼は、佐渡から遠く離れた身延の日蓮大聖人のもとに、毎年のように夫の阿仏房を送り出し、御供養をお届けしてきました。 

大聖人は、この千日尼の真心を、法華経、釈迦仏、多宝仏、さらに十方の諸仏もご存じですと、たたえられています。  師匠を求める心は距離を超えて通じていきます。大聖人は、そのことを譬えを通して教えられます。すなわち、天の月は遠く離れていても、その影は即座に地上の池に浮かびます。また、古代中国の「雷門の鼓」は、その音が遠い距離を越えて瞬時に伝わったといわれます。 

これと同じように、千日尼の身は遠く離れていても、その真心は大聖人のもとに届いていると示されています。  さらに大聖人は、「仏に成る道」も同じであり、私たちの身は「穢土」にあっても、心は共に「霊山」に住んでいると仰せです。 

すなわち、「穢土」という苦悩に満ちた現実世界のなかで、仏法のため、師匠のためにと行動する心は、そのまま、仏の住む「霊山」に届いていると教えられているのです。 

大聖人の仏法では、いかなる環境や苦難の中にあっても、信心によって自身の胸中に尊極な仏の生命を現すことができます。 

当時、千日尼は、これから先、大聖人とお会いできないかもしれないと思っていたとも考えられます。佐渡から身延までは、海を越え、いくつもの山を越える遠い道のりだからです。  そんな千日尼にとって、“心は、いつも私と共にありますよ”との師匠の励ましは、どれほどの勇気と希望の源となったことでしょう。 

「御面を見てはなにかせん」と仰せの通り、信心は、師匠に会えるか会えないかという形式で決まるものではありません。大聖人は「心こそ大切」と仰せです。どこまでも仏法と師匠を求める「心」にこそ、成仏の道があるのです。 

池田SGI会長は、師弟について、こう述べています。「私と一緒に、広宣流布への決意を新たにし、頑張ろうとしてくれている。それは、日々、私と、心で対話していることです。私と戸田先生もそうです。毎日、常に、心で戸田先生と対話しながら戦っています」と。 

私たちも、日々、心の中で師匠と対話しながら、誓願の祈りを根本に前進していきましょう。


〈理解を深めよう〉妙の一字の功徳

日蓮大聖人は本抄で、あらゆる罪や不幸を変毒為薬する力が妙法にあることを、譬えを通して示されています。 

「譬えば女人の一生の間の御罪は諸の乾草の如し法華経の妙の一字は小火の如し」(御書1316ページ)との仰せでは、人が一生の間に犯す数多くの罪を“枯れ草”に、「妙の一字」の功力を“小さな火”に譬えられています。 

小さな火であっても、枯れ草につけると、一気に燃やし尽くします。同じように、「妙の一字」は、わずか一字であっても、多くの罪を消し去る力があるのです。 

ここで枯れ草に譬えられている“一生の間の罪”は、日々の生活で直面する悩みや苦しみを指すと拝されます。  “題目を唱え抜いていけば、どんなことも必ず乗り越えることができる”――この確信で前進していく時、小さな火が次から次へと枯れ草を燃やしていくように、妙法によって悩みや不安が消え去っていくのです。 

しかも大聖人は、多くの草が燃えれば、大木や大石までが焼き尽くされると仰せです。重い宿業も、不幸の根源である元品の無明も、妙法根本に必ず乗り越えていくことができるのです。 

変毒為薬は、苦しみの生命(毒)が、そのまま、幸福の生命(薬)に転ずることを示しています。それは、人生におけるマイナスが、いわばプラスへと転換することです。この妙法の偉大な功徳を確信し、自他共の幸福を願って、朗らかに仏縁を広げていきましょう。


〈SGI会長の講義から〉

仏に成ったからといって、悩みがなくなるわけではありません。穢土を避けることもできません。しかし、ありのままの人間でありながら、その胸中に崩れざる絶対的な「幸福境涯」を築くならば、不幸に泣くことは断じてありません。 

「心は霊山に住べし」とは、いかなる環境や悩みにも振り回されない尊極な仏の生命を、私たちの胸中にも涌現することができると教えられているのです。 


◇ ◆ ◇  

私は、いついかなる時も、どこにいても、常に戸田先生と対話しながら戦っています。「不二」は、自分の中にあるのです。不二の師弟は、距離を超え、時間を超えます。「師弟の心」は、永遠に共戦の歴史を綴っていきます。この「心こそ大切」の大哲学を掲げて、広宣流布の連続闘争に前進していきましょう。  (『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)


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