毎日隠れた歴史を紹介する「一日一跡」

これまでの一夢庵風流ブログの中でも反響の大きかった隠れた史跡紹介を
クローズUPしてやってみようと思っています。

第1回は地元の紹介から。うちの会社と店がある京都の間之町御池に「在原業平邸」の石碑があります。
毎日史跡を紹介する歴史ブログ「一日一跡」-在原業平邸石碑と猛獣
在原業平とは、百人一首で「ちはやぶる神代もきかず竜田川唐紅に水くくるとは」と詠んだ、
六歌仙・三十六歌仙の一人、さらには『伊勢物語』の主人公の男のモデルと言われています。

ここに石碑があるのは、あの『方丈記』を書いた鴨長明『無名抄』に、
在原業平邸は三条坊門(御池通)より南、高倉より西にあり
と書かれているところからきているようです。

原文を引用します。

無名抄 業平家事
又、業平中將の家は、三條坊門よりは南、高倉面に近くまで侍りき。
柱なども常のにも似ず、ちまき柱といふ物にて侍けるを、いつ比の人の仕業にか、後に例の柱のやうに削りなしてなん侍し。長押も皆まろに角なく作りて、眞に古代の所と見え侍りき。
中比淸明が封じたりけるとて、火にも燒けずしてそのひさしさありけれど、世の末にはかひなくて、一年の火に燒けにけり。

アクセス
地下鉄烏丸線・東西線烏丸御池駅3番出口より東へ3筋徒歩3分


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家紋紹介
業平井筒というのがあります。多分のちの時代に作られたんでしょうが、能の演目からでしょうか。
古代の人物は家紋がないんです。でもその子孫を称する人たちが使っていた家紋とか、能とかになる
ものを紹介できればと思います。


人物基本データ
在原業平(ありわら の なりひら)
天長2年(825年)~元慶4年5月28日(880年7月9日)
墓所 京都府京都市西京区大原野、十輪寺裏山など多数

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E5%8E%9F%E6%A5%AD%E5%B9%B3


参考になるブログです。
http://www.zuzu.sakura.ne.jp/ownerblog/2009/05/post_199.html
http://77422158.at.webry.info/200904/article_2.html

うちの会社で作ったコンテンツでも取り上げています。
http://www.e-kyoto.net/rekisi/100
http://www.marutake-ebisu.com/street-ew/oike/ariwara-narihiratei.html
あれから丹波の山内に興味が出たのでいろいろ調べてみました。

丹波に山内荘があり、そこに山内氏がいたこと

足利尊氏の挙兵時には山内氏が参加していること

祖父・山内孫太郎久豊が丹波三宮城を築いたこと

父・山内盛豊が尾張の岩倉織田氏につかえ、尾張黒田城代だったこと

ははっきりわかるのですが、意外と不明な点が多いですね。

足利義晴に仕えていたのですが、足利義晴は細川晴元と争い不遇の内になくなります。

そのときに尾張岩倉織田氏のもとに行く何かのきっかけがあったのでしょうか?

その後の丹波の山内の遺領はどうなったんでしょうか?

もうちょっと調べてみたいと思います。
詳しい方は教えて下さい。


こちらのサイトはかなり詳細に書いてあります。
http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/KYOTOmizuhotyo-siro.htm#hashidume

http://40437108.at.webry.info/201001/article_3.html
こないだ福知山に行ってきました。
毎回京都縦貫道出て、須知まで行き、9号線を迂回して府道444号線に入るんですが
そこにいつも気になっていた看板があったので止まってみました。

山内一豊の祖先の地ということです。しかし石碑ではなくて、このブリキの看板だけ?!


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昨日は鈴鹿~四日市~桑名と出かけてきたのですが、テーマは本多忠勝と壬申の乱です。
四日市で天武天皇が伊勢神宮を遙拝した場所を探してきました。

そこで気になったのですが、皇室の伊勢神宮崇拝というのはどのような流れだったのでしょうか?
ふと気になったのでまとめてみました。三重県の歴史とか壬申の乱を歩くとかそういった本にいろいろ書いてあることをかいつまむと、

いろいろ学説はあるようですが、直木孝次郎氏の説が最初のまとまった説になるんでしょうか?

伊勢神宮はもともと南伊勢で日の神として信仰されていた地方神
ヤマト政権の東方発展に伴って皇室の崇敬を受けるようになり
同じ日の神ということで天照大神との習合がすすむ
6世紀後半に天照大神が神宮の祭神になる
7~8世紀に皇祖神のまま国家神に昇格


その後、岡田精司氏の説が出てこれが今の一番有力な説になるんでしょうかね?

 雄略朝の477年に大王の守護神の祭場が河内大和地方から伊勢に移されたのが内宮の起源
 内宮の祭神は古くは太陽神だったが、追従する巫女神と主客交代するう形で祭神の変更があった。六世紀末~7世紀はじめ
 外宮の前身は南伊勢地方の豪族度会氏の守護神として祀られていた太陽神。それが穀物神にかわり、豊受姫という女神になった


てな感じで少々気になってきたのでもっともっと調べてみようかと思います。
ご存じの方、詳しい方、教えて下さいな。m()m

本日WEBMAXは設立11周年を迎えました。

これも皆様のおかげです。ありがとうございました。

実はけっこうへろへろ状態ですが、WEB制作会社の老舗を作るという目標もあるので
なんとか頑張りたいと思っています。


いまのWEBMAXは原点に返るを掲げて今までのサービス内容を見直しています。

地方の中小企業にとって本当に必要なWEBやサービスを改めて提供できればと思っています。


厳しい状況下ですが、新しいことにも挑戦し続けたいので

iPad予約しました。これでiPad活用セミナーなどもやってみたいと思っています。
築城