昨日は鈴鹿~四日市~桑名と出かけてきたのですが、テーマは本多忠勝と壬申の乱です。
四日市で天武天皇が伊勢神宮を遙拝した場所を探してきました。

そこで気になったのですが、皇室の伊勢神宮崇拝というのはどのような流れだったのでしょうか?
ふと気になったのでまとめてみました。三重県の歴史とか壬申の乱を歩くとかそういった本にいろいろ書いてあることをかいつまむと、

いろいろ学説はあるようですが、直木孝次郎氏の説が最初のまとまった説になるんでしょうか?

伊勢神宮はもともと南伊勢で日の神として信仰されていた地方神
ヤマト政権の東方発展に伴って皇室の崇敬を受けるようになり
同じ日の神ということで天照大神との習合がすすむ
6世紀後半に天照大神が神宮の祭神になる
7~8世紀に皇祖神のまま国家神に昇格


その後、岡田精司氏の説が出てこれが今の一番有力な説になるんでしょうかね?

 雄略朝の477年に大王の守護神の祭場が河内大和地方から伊勢に移されたのが内宮の起源
 内宮の祭神は古くは太陽神だったが、追従する巫女神と主客交代するう形で祭神の変更があった。六世紀末~7世紀はじめ
 外宮の前身は南伊勢地方の豪族度会氏の守護神として祀られていた太陽神。それが穀物神にかわり、豊受姫という女神になった


てな感じで少々気になってきたのでもっともっと調べてみようかと思います。
ご存じの方、詳しい方、教えて下さいな。m()m