テレビの時代劇・暴れん坊将軍の主人公としてあまりにも有名ですね。
徳川吉宗を演じた松平健さんもマツケンサンバとかで話題になりました。
最近はパチンコにもなっているようです。
 
 10月1日からは、よしながふみさん原作の映画『大奥』が公開されます。キャ
ッチは“この大奥、将軍は女、仕えるのは3000人の美しき男たち”だそうです。
本当は男の将軍1人だけが入ることを許され、数百人の女性たちが仕えている場
所なんですけどね。何でも男だけがかかる伝染病が流行って、男が激減したので
男女が逆転した世の中での出来事だそうです。主役は嵐の二宮くん演じる水野祐
之進と柴咲コウさん演じる女性の徳川吉宗が出てきます。どんな展開になるのか
楽しみですね。
 というわけで何かと話題になる江戸幕府八代将軍・徳川吉宗の実像に迫ってみ
たいと思います。

  暴れん坊将軍
 吉宗は1684年生まれですから関ヶ原の戦いから約80年、幕末から約180年前く
らいの時代になります。徳川御三家の尾張(名古屋)・紀州(和歌山)・水戸の
なかの紀州出身です。父は2代目紀州藩主の徳川光貞。母はお風呂の番をしてい
た於由利の方という身分の低い人でした。そのため幼い頃は城に入れず、家臣の
家で育てられたそうです。およそ将軍になる人には思えない生い立ちですね。
 また身長180cmくらいある色黒の大男で、相撲をよくとっていて力士に勝った
とか、鷹狩りが趣味で空中の鳥を素手で捕まえたとか、暴れん坊将軍の名にふさ
わしい逸話も結構あります。
  
  偶然に偶然が重なった将軍
 吉宗は三男だったので将軍はおろか紀州藩主でさえなれる可能性がほとんどな
い人でした。しかし22歳の時、長兄・次兄・父が次々に亡くなり、偶然にも紀州
藩主になってしまいました。
 さらに偶然が続き、七代将軍徳川家継が8歳でなくなり、徳川家康のひ孫世代
の跡継ぎ候補の中で年齢的にもいちばん将軍にふさわしい人物となりました。つ
いに33歳にして八代将軍に就任しました。
 これは偶然にしてはうまくできすぎているので、何らかの陰謀があったという
説もあります。
 
  紀州藩主としての経験を幕府で活かす
 さて22歳で就任した紀州藩主の時代にはのちに幕府で行う様々な実績を次々に
行います。
 まず父や兄が相次いで死去したため、莫大な葬儀代がかかっていて財政再建が
必要不可欠でした。そこで質素倹約をするため高い絹の着物を着ず、安い木綿の
着物をいつも着ていたそうです。食事は1日2回にして、それも献立を一汁三菜
に絞っていたそうです。これは将軍になってからも同じように続けたそうです。
 また和歌山城下に誰でも政治に対する意見を投書できる訴訟箱を設置しました。
これは将軍になってからも目安箱という名前で設置し、鍵は吉宗自ら開けたそう
です。

 このように紀州和歌山での実績をもって江戸城に入った吉宗ですが、江戸では
どんなことをしたのでしょうか?また吉宗の時代の大奥はどうだったのか?後編
でお伝えしたいと思います。

  家紋について
 徳川家の家紋は水戸黄門のこの紋所が目に入らぬか?!の三つ葉葵なのは有名
ですよね。京都の上賀茂神社・下鴨神社の神紋が双葉葵だったので、賀茂神社の
神官が使っていた家紋です。
 しかし御三家は微妙に違う家紋を使っていたんです。徳川宗家は表葉3つの葵
紋、尾張家は表葉2つ葉で裏葉1つ、紀州家は表葉1つ葉で裏葉2つ、水戸家は
裏葉3つでということになっていたそうです。しかし徹底はされていなかったよ
うです。
 もっとも徳川宗家の家紋も家康~家光の頃と、慶喜などの幕末では微妙に変わ
っていきます。

紀州藩の本拠・和歌山城の写真です。
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