structural constructivism、日本語で構造構成主義。


いまさらぬるい、という印象を持ってしまうところもあるが、「関心相関性」という概念は使えそうだ。

何がぬるいかと言えば、フォン・ベルタランフィンの『一般システム理論』が、すでにsvの言う「メタ理論」を30年以上も前に提出してくれているからだ。


ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィ, 長野 敬, 太田 邦昌
一般システム理論―その基礎・発展・応用

エドガー・モランにも近いものがあったし、ジャック・アタリもそうだった。日本の「学界」が内在的にようやく、こういう「編集的」な作法に手を染め始めた、といったところだろう。

しかも、どうも町内会の回覧板のように思えてならないのだ。

エドガール・モラン, 宇波 彰
プロデメの変貌―フランスのコミューン

村内のぬくもりがどうにも暖かすぎて、ついていけねえ、と言いたくなるのだ。

構造主義科学論と現象学のエッセンスを活かして「メタ理論」の筋道をまとめたという西条という心理学者の人柄は良さそうなので、喧嘩を売る気にもならない。喧嘩を買う人でもなさそうだし。

「信念の対立の解消」に現象学ってのがこのメタらしいから。しかし、この「信念の対立」が浮いてしまってるのだ。いかにも「学界」という事情に固有のことに見えてしまうから。

もっとガンガン喧嘩したらいいじゃんと言いたくなるのである。逆に。

ま、それはおいておいて、「関心相関性」は全方位学習の成立根拠と、その進行を説明するのに使えそうだということ。


それはおそらく、「感じるもの」であり、「発見するもの」でもあるだろう。

そのとっかかりを、持続する学習意欲につなげ、学習のドライブとしていく方法があるはずだということ。


それと、構成的、構成主義、というのは、悪くない行きかたである。政治の文脈では微妙な概念になってくるのだが。