II.「通学」を従とする「学習環境」の構築
 「学校に行くこと」が、教育の機会を十全に享受していることになるなどという時代はとっくに終わった。

学校はむしろ、動画映像を含むオンデマンドな学習環境における、その補助支援システムとして機能するくらいでちょうど良い。たとえば放送大学のスクーリングのように。

「学校」ではなく、「学習環境」、それも冒頭で述べたハッカーたちの自前の開発環境のような単位での環境から、発想しなおすべきである。

しかしそのような学習環境において、「ウェブが僕らの教科書だ」と言える学習者がハッカーだけでなく、一人でも多く生まれてくるためには、「適切な構造を持ったインタフェース」が必要である。また、このインタフェースはデジタル技術としてディスプレイ上にとどまるものでもない。ある過程ではリアルな対人コミュケーションが必要である。またより一般的な学習者は、ハッカーのように(失礼!)一日中PCのディスプレイに張り付いているわけではない。それよりも何よりも、オンデマンドにおいて旧来の紙媒体、書籍が持つインタフェースとしての優秀性を捨て去るわけにはいかないのだ。モバイルであることを含め、たとえ電子インクによる、折り曲げ可能なインタフェースが実現したとしても、あの「パラパラめくり」のブラウンジング性能を超えることはできない。またその起動速度はどんな電子機器でも敵わない。紙の書籍との連動によって、ウェブは「ある適切な構造を持つインタフェース」を完成させやすくなる。「教科書一千頁革命」は、このように、ウェブと書籍、そしてDVDなどポータブルメディアの三つ揃いによって成し遂げられるだろう。
 この三つ揃いの一つの原型ともなりえるだろう本がある。この革命について書かせる勇気を与えてくれた本でもある、吉田武著『虚数の情緒―中学生からの全方位独学法』(東海大学出版会)である。「教科書一千頁革命」という語も、この一千頁を超える本なしには思いつくことはなかった。この本は副題にあるとおり「独学法」であり、英語タイトルにある「in All Directions」にも窺えるように、「虚数」を主テーマとしながら、そこから人によって数学は無論、工学へも、物理にも、あるいは科学思想史や東洋思想などへもモチベーションをもって進むことができるように書かれている。中学・高校の検定教科書とは似てもつかない。そしてハードカバーの一千ページ重い。しかしの重さは、それだけの反力を生み出すバネである。