「三角比」

まず日本語として失格だろう。「三角形」という幾何学の用語はあるが、「三角」とは何か。

「比」はまあ許容できる。

じゃあ、「三つの角の比」をつづめたのが「三角比」?

「三角」は「まるしかくさんかく」の「さんかく」?

おれっちは中学生なんだけど、高校生なんだけど。小学生じゃないんだけど。

という声も聞こえてきそうだ。

正三角形として、三つの角の比は1:1:1だが。

直角三角形なら、90と60と30とか、有限個だけ場合があるが。

3:2:1だったりする。

正解?は、角度と長さを対応づけること。そこに生まれる角度と長さの比だ。

つまり辺の「長さ」という概念が省略されたすこぶる経済的過ぎる用語が三角比であるということになる。

ピタゴラスの定理は同じ辺と辺と辺の長さに注目したものだから、まだ三角比に較べてわかりやすい。

角度と長さなんて、水と油だ、と思うのが日常的感覚である。

然り、「新しいものの見方」の誕生である。

一見、なんの関係も発想もできないAとBの間に、それらしい関係を発見しようとすること。

それだけでもう大したことである。

よくも、それをハイハイと受容できたものだ。

なぜ、そこまで考える必要があったのだろう? と考えるのが正常な思考である。

こうした疑問を無視ないし否定するということは、科学の芽生えを否定することに等しい。

「角と辺の関係を見る」ということが、いかに革新的であるのか、認知心理学的にも説明できるはず。


A男とB女の関係を示しなさい、は分かる。だが、A男とB女が並んで立っているのを、どの位置から見るかによって変わるような、A男とB女の関係を示しなさい、とは雲泥の差がある。


長岡亮介先生の『本質がつかめる』シリーズは、数学の参考書のなかで名著の一つだと思う。

三角関数の正接、正弦、余弦の用語の語源について説明しようとしている学参は、不勉強のせいだろう、このシリーズのII・Bしか知らない。しかし尻切れトンボである。その十全な説明には、畑村 洋太郎 著直観でわかる数学 で、初めて出会った。一言説明すれば済むことではある。

しかし、それを、なぜ中学、高校は怠るのか?


不思議でならない。


ただ忙しいのであろうとは推察できる。現に、『本質がつかめる』からして、記述は本当に忙しそうだ。

三角関数を「角度に対して実数が対応する関数」と定義する。無論、間違いであるわけはない。

だが、三角比をひきずると、「辺の長さ」は自然数である以外にない(もちろん、2辺が1の直角三角形の斜辺は√2だが、「長さ」である限り、定規を当てて測ることができるという直観において。小数? 同じことである)。「回転の向き」を考えることで、自然数が整数へと拡張される。そのあたりを説明する暇がない。整数の適用によって、目に見える(といっても点、線以上にアブストラクトだが)幾何学的な「角」「角度」は、「一般角」へと一般化される。

この学参の記述からして忙し過ぎる、と感じてしまう。


というところでもはや、

アドレナリンが出てきてしまったので、「関係の発見」について本論はまた後日ということに。


長岡 亮介
本質がつかめる数学II・B