何時までも已むな其処へ虫の声
秋の虫の声は、いつからとりあげられるようになったのだろう。
花鳥風月のように、意匠にされてきた影響だろう、いつ聞いても人工的なものに聞こえる。
江戸時代にはわざわざ虫売りの行商から秋の虫を買って、「虫聞き」を楽しんだというし、虫愛ずる姫君の話も(この虫はちと趣向が異なるにせよ)、1070年ころの成立と言われるから少なくとも2000年近くは、風流な虫との付き合いは続いてきたに違いない。
この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。
中にも「烏毛虫の、心深きさましたるこそ心にくけれ」とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせて、まぼりたまふ。
昆虫は地球上でもっと種類と数の多い生き物でもある。古生代シルル紀に昆虫は登場したことになっているから、数億年は生き続けてきたことになる。鈴虫やコオロギがそのころの仲間にいたのかどうか分からないが、人のスケールに較べれば、ほとんど地球そのものの歴史に近い。
誰が聞いていようと聞いていまいと、虫の声は秋の野を覆っていたのだろう。
まさかヒトのリクエストに応えて鳴き始めたわけではないはず。
ヒトの耳があったから虫の声があったのか、虫の声があったからヒトの耳が聞いたのか。
言葉已む野には秋虫の声ばかり