元TBSアナウンサーの川田亜子さんの訃報が飛び込んできました。


傍からみれば、

優秀で、美人で・・・

となるのでしょうが、

人は誰でも他人にはわからない悩みをもっているもの。


事の真相は大衆の一人である自分が知る由もありませんが、

とにかくご冥福をお祈りいたします。




そんな中、

夕方のニュースをちらっと見ていたら、

自殺率の高い秋田県で自殺防止の取り組みを・・・とか、

横綱のにらみ合いについて審議会がどうたら・・・とか、

後期高齢者医療制度がどうたら・・・とかやっていました。




先日、某新聞社(全国紙。売上4位以内。)から、

仕事がらみで取材を受ける機会がありました。

当方から新聞(地方欄)を通して情報発信したい旨に対応していただいたのです。


新聞社の記者の方は若い方でした。

今時なのでしょうけども、

ラフにスーツを着こなしておりました。

Yシャツはダラっとボタンをゆるめてネクタイもユルユル。

テレビにでてくるイケメン俳優の恰好そのものです。


いろいろ取材をしていただいたのですが、

最後に「○○だから××ってことでいいですね?」と記者が記事としてまとめたい概要について確認してきました。

こちらの伝えたいことと若干意味合いが違うので、

少し違います、と答えると・・・

「何が違うの?」と記者は怒気を含んで急にタメ口になりました。


説明が足りずに申し訳ないな、と思い説明を試みるのですが、

こちらの話が終わらないうちに、

「△△なら××ってことでしょ?」と記者さんの考えを肯定してきます。


記者は当方の業界の法令やら学会等の資料などは読んだこともないと思ったので、

できる限り簡単に説明をと何度も試みましたが、

やはり、こちらの話が終わらないうちに、

「△△なら××ってことでしょ?」と記者さんの考えを肯定してきます。


しまいに記者さんは、

「何が違うのかわかんないよ!」と。

さらには自分にむかって

「何を言いたいのか理解できない!」とおっしゃっいました。


つづけて、記者さんの考える理論を三段論法で説明してきました。

ま、確かに記者さんの言う理論は間違っていませんが、すべてではありません。

事実の一部、一側面にすぎません。


当方としては、記者さんの理論はそれはそれで間違いではない。

でも、十分ではない旨を伝えるべく話はしましたが、結局そのまま平行線。




新聞記者はマスメディアの一角を担う、そして最前線。

正確で活きのいい情報の提供は最前線次第のはず。


しかし。


メディアを通してモノを伝える人間が、

最初から自らが理解できる範囲の一側面しか情報として許容しないというのは、

本業である「伝える」ことを放棄しているのではないでしょうか?



少なくとも、今後、

自分はこの記者の書いているであろう新聞を定期購読することはないでしょう。





もうひとつ。

違う全国紙の記者さんに、5年ほど前に別件で取材対応したことがあります。

その時は、あまり良い話ではありませんでした。


記者さんは言います。

「(ある件に該当する)法人または個人の情報を教えてほしい」


当方としては刑事的にも問題のないことだし、

法令に基づく個人情報なので個別具体的には教えられない、と説明。


すると記者さんは顔を真っ赤にしてこう言いました。

「(記者さんの考える)社会的に悪いことをしているヤツの情報くらい教えろ!」

「教えない方がおかしい!」

「社会的な悪人に個人情報などない!」

と怒鳴ってきます。


呆れてビックリした記憶が鮮明にあります。

全国でも一流新聞紙の記者さんです。






さきほどの、夕方のニュースの件にもどるのですが、

ニュースで本当に伝えたいことは、そういうことなのですか?


テレビも新聞も資本主義下の商売に違いありませんから、

利益を無視するわけにはいきません。

当然です。



が、「報道」を自認するのであれば、

例えば後期高齢者医療制度ひとつをとっても疑問がある。



法令が定まったのは今年じゃない。

なぜ、法令ができたときに「報道」しないのか?

もっといえば、

なぜ国会に提出された時点で「報道」しないのか?


法が施行されてトラブルが起き始め、

国民が制度施行後に文句を言い始めたころに、

なぜもっともらしくメディアは制度の是非を語り始めるのか?


まるで、前からこうなることがわかっていたかのように・・・


まるで、違反を防止して交通安全を推進しなければならないのに、

違反が起こることを想定して出口で取り締まっている一部の心無い○察の方のように・・・





訃報をきっかけに、

なにか今までの不満が急に噴出した夜でした。