施政方針演説で透ける本音,原発事故被告となるべき首相が原発再稼働宣言 | Webカノ誌 なんちゃってギャラリー別館 ケータイ館

施政方針演説で透ける本音,原発事故被告となるべき首相が原発再稼働宣言

 「東京電力福島第一原発事故の反省に立ち、原子力規制委員会の下で、妥協することなく安全性を高める新たな安全文化を創り上げます。その上で、安全が確認された原発は再稼働します。省エネルギーと再生可能エネルギーの最大限の導入を進め、できる限り原発依存度を低減させていきます。同時に、電力システムの抜本的な改革にも着手します。」
 2月28日施政方針演説で安倍首相はこのように語った。
 しかし、本当に東電原発事故の反省に立っているだろうか。誰も責任を取らない曖昧な反省でしかないのではないか。
 しっかり反省し厳しく責任を取るなら、前政権時に盲目的に原発の安全宣言を行い、見直すことなく原発政策を続けた責任を棚上げすることなく安倍首相自身が取らなくてはいけない。前政権時に本当に安全なのか見直していればあるいは防げた事故だからだ。
 隠蔽と希望的観測から作り出された安全神話を頼みに国の長が安全宣言を出した罪は重い。
 昨年10月、2009年にイタリアのラクイラ地方で発生した300人以上の死者を出した地震の予測に関して安全宣言を出した防災庁付属の委員会メンバーの行政官、科学者ら7名に対して裁判所は禁錮6年の実刑判決を言い渡した。
 外国での判決とは言え、鑑みるなら安倍首相は裁判の被告でなくてはならない立場だ。まさに反省なき再稼働宣言と言える。
 再生可能エネルギーの最大限の導入を進めるとしているが、最大限に導入すれば原発は不要だ。飽くまで原発を残すことが前提で、比率をいじって見せるだけの最大限でしかないことは明確。
 施政方針演説では、「妥協することなく安全性を高める新たな安全文化を創り上げます。その上で、安全が確認された原発は再稼働します。」と言っているが、これは官僚かスピーチライターの作文で、『妥協することなく』は『安全性』に接続している言葉ではなく、『原発は再稼働します』に接続している言葉ではないのか。つまり『妥協することなく原発は再稼働します』の原発再稼働ありきの本音が透けて見える。『安全文化』も『安全神話』の言い換えに過ぎない。
 今後は原発再稼働へ向かってアクセルを踏み込むため、原子力規制委員会を骨抜きにすることや、原発事故の原因を隠蔽するといった施策が行われる可能性が高い。全ては原子力利権を残すためだ。
 我々こそ『妥協することなく』政府を監視し、原発再稼働に反対して行かなくてはならない。

初出:原発のない未来のための前奏曲