僕が20歳のころ、芸大に向けて4浪5浪のお兄さんたちがわさわさいるアトリエにいたことがある。
皆もうベテランで、見なくても課題は描けるまでになっていた。
講師よりも年取ってる人もちらほらいたりした。
それに高校生も混じってデッサンをやったりしてたわけだから、
デッサンスタジオにいる年齢層はひろいかった。
ある日、「きみは自分の教科書を書いてるかい?」と聞かれたことがある。
僕も浪人していたから馴染みの友達はできていたが、
問いかけた人は浪人の中でも異色の人で
デビューしたときの井上陽水のようなチリチリパーマをした黒ずくめの男Sさんだった。
石膏デッサンを描いている時だった。
「きみは自分の教科書を書いてるかい?」
隣から聞いてきた。
「はぁ~?」
「デッサンするって、見るという体験したことを人に伝えるためにするんだろう?
どう見えたかを、伝えるんだ。」
「うまいヘタじゃないんだ。相手にわかるように描くんだ。伝える為に描くんだ。」
ぼくは、デッサンは正確な形を描き写すことにまだ賢明なころだった。
正しい形や陰影、素晴らしく見える木炭やパンの使い方、見た目のインパクト。
どれも、受験としてのデッサンありきだった。で、上手くいかない日々だった。
「どう見えたかを、伝えるんだ。」ということばは、当たり前に聞こえた。
そんなこと当たり前で、当然で、分かり切っていて・・。
でも、自分のデッサンは「人に伝える」ためには描いてなかった。
「自分の教科書を書いていくと人に教えることができるんだ。」
「人は、20歳を超えたら、自分の教科書を書いて、
親御さんにその教科書の内容を伝えないといけない。」
「伝えると、自分の教科書がやっと自身の人生の中に根づくんだ」
「ぼくは絵で表現できることがすごいと思ったから、
そのすごさを伝えるためにいまデッサンの実習をやってるんだ。」といった。
それからしばらくして、JAZZのすばらしさを教わった。
街の歩き方を、教わった。
・・・・
Sさんは、いまも作家を続けてる。
ぼくは20代まで作家だったけれど、子どもができてテレビ番組の演出家になった。
伝えることが、仕事になった。
デッサンは止めてしまったが、
「自分の教科書」はいまだに強く印象に残っていて、
親につたえることはいまだにやっている。
ヤフーのBBフォンが販売になったとき、田舎の家にも引こうと、帰郷しIP電話回線がまだ来ていないのをわざわざ引いてもらう手続きをとった。
それ以来、帰郷しなくても無料で「自分の教科書」を伝えられるようになった。
自分の息子にもこの話をしたけれど、
20歳を過ぎてもいっこうにその兆しはない(笑
教えて欲しいな~、子ども達の教科書。