先日、東日本大震災から10年たったという事で、
各種メディアで特集が組まれていましたね。
幾つかの記事を読む中で印象に残り、
表現の難しさについて改めて考えるきっかけとなったフレーズがあります。
「もう10年ではなく、まだ10年だ」
10年という時間は長かったのか、あっという間だったのか
人によってどのように感じているかは異なります。
「10年」という事実にほんの少し言葉を加えるだけで
その印象はガラリと変わり、
読む人によっては、その表現で嫌な思いをすることも
十分にあり得るのです。
幾つか例示してみましょう。
・もう10年
・まだ10年
・たったの10年
・早くも10年
・ほんの10年
・すでに10年
どうでしょうか。
「10年」の前に数文字加わるだけで、ずいぶん印象が変わりますよね。
そして、その前後の話の流れでもその印象は変わってきます。
例えば、「もう10年」。
おそらく震災の被害を受けた当事者やその関係者は、
「もう10年」と言われてしまうと複雑な心境になってしまう場合が
多いのだと思われます。
「まだまだ復興が進んでいないのに、もう10年経ってしまった」
このように「もう10年」が使われると、
また印象は変わってくるのではないでしょうか。
このようにほんの数文字、ちょっとの補足で
読み手の受ける印象は変わります。
場合によっては、その数文字のために
炎上に繋がってしまうこともあり得ます。
検定のミニ論文で受検者の方が書かれているフレーズに
「人を傷つけない文章(表現)」とよくあります。
多くの人が文章作成の上で、心掛けたいと考えるポイントです。
「もう」とか「まだ」などは良く使われるけれど、
使い方によっては嫌な思いをする人が
いるかもしれないということを頭の片隅に置いておきたいですね。
人によって捉え方が様々な事項について触れる時には、
敢えて事実だけを書くことが必要なのでは?
と私は思います。
もうひとつ、数文字違いで大きな印象の変わるケースをご紹介します。
Aさんがとある役職を任されました。
その経緯と「謹んで拝命しました」と投稿しました。
それをBさんがリライトして、「喜んで拝命しました」と投稿しました。
リライトして原文と変わった部分はこの1か所です。
ところが、Bさんの投稿を見てCさんが憤慨してAさんに抗議の連絡をしてきました。
なぜ、Cさんは憤慨し抗議したのでしょうか。
「謹んで拝命」でも「喜んで拝命」でも、
これだけ見れば別に問題のある表現ではありません。
この場合、経緯がポイントとなります。
Aさんが役職の前任者はCさんで、体調不良のために退任していたのです。
そのため「喜んで拝命」とすると、
Cさんが体調不良になったことを喜んでいるかのように受け取れるのです。
Bさんが故意に「喜んで」と変えたのかどうかは不明ですが、
ほんの一言違うだけで人間関係のトラブルにまで発展しかねないことが
良くわかるケースかと思います。
ほんの一言。されど一言。
自分の主観にながされず、
客観的に自分の書いた文章を見直せる能力も高めたいものだと
日々感じています。
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