造影CT撮影の日がやってきた。裕也が風呂場で立ちながらボディソープの付いた濡れタオルで上半身を擦っていたところ、急激な疲労と苦痛が沸き上がり全身から力が抜けていった。裕也は急いで体についたボディソープを湯で流してバスタオルで拭い、服を着て部屋に向かうと布団の上に仰向けとなった。
――無理だ・・・行けない・・・
仰向けになり全身から力を抜いたことで裕也の体力は若干回復した。彼は固定電話の受話器を掴み上げて病院の電話番号を入力し、受け付けが電話口に出ると事情を説明して今日の造影CT撮影をキャンセルした。
翌日、裕也には体力がなく昼から眠ってしまい診察の時間をすっぽかしてしまった。電話の呼び出し音が鳴り響きそれで目を覚ました彼はすかさず受話器を取った。焦りがこもった南田の声が聞こえた。己の体がかなり危険な状態なのだということを裕也は悟った。南田は裕也の入院と手術とを決断し、2月1日午前9時に病院の救急外来へ行って手術の為のPCR検査を受けることと、PCR検査の結果が出るまで外で待機していなければならないこととを伝えた。裕也は素直に了承した。
2月1日、裕也は決死の思いで風呂に入った。不思議とあの急激な疲労と苦痛は沸き上がってこなかった。しかしいつ沸き上がるか分からない為に、入院用具を予め準備せず空のリュックサックだけを背負った。入院用具によって少しでも重くなったリュックサックを背負う体力がなかったのだ。最寄りの駅まで歩いた。病院側の最寄りの駅に到着したが、徒歩という運動で疲労し、駅のベンチに腰掛けた。直立していると急激に沸き上がってくるあの疲労と苦痛とは違うルートの疲労である。
――いつまでも座っていられない・・・
疲労は回復していないが裕也は立ち上がって歩き始めた。腰かける場所はないかと注意しながら歩いたがそんな場所はない。病院の敷地内に入ると植木の縁石に座ることができた。回復した、回復したと己に言い聞かせて立ち上がり救急外来の受け付けに向かった。ほどなくして救急外来の受け付けに到着すると診察カードを見せて入院の為のPCR検査を受けに来た旨を説明し、すかさず待ち合いエリアのベンチに座った。数分が経過した。受け付け職員の口から放たれる音の中に「手術」と「PCR検査」の語が聞こえた。
――手術の為のPCR検査を受けに来ましたと言ったほうがよかったか・・・
そんなことを考えながら裕也は待機した。それからほどなくして己の名を呼ばれた裕也は立ち上がり看護師の誘導でPCR検査場へと向かった。さほど遠からぬ位置にある屋外PCR検査場に到着した。
――寒い中看護師たちが頑張っている。
指定された番号の椅子に裕也は座り、己の番が回ってくるのを待った。やがて裕也の名が番号とともに呼ばれ、検体採取席に就いた。細長い綿棒のようなものを右の鼻の奥に挿入され、数秒間静止した後に軽く時計回り反時計回りに棒が回されて抜かれた。その刺激によって右目から涙が出そうになったが、顔をしかめるほどのものではなく、無表情を維持できた。
指定された椅子に戻るよう指示を受けた裕也はその通りにした。しばらくすると看護師がやってきて検査結果が出るまで4時間かかることを説明した。
「ネカフェにでも行って待ちます」
裕也がそう言うと看護師は自宅以外のどこにも行けない旨を説明した。自宅まで戻る体力がない旨を裕也が説明すると看護師は仮設救護室を利用できるようはからった。
仮設救護室内はエアコンの暖房モードが作動していて暖かい。設置されてあるパイプ椅子に座った裕也は唯々待った。スマートフォンを見て暇潰しをすることもなく、体を動かすこともない。意識の動きだけがあった。
――もしかしたらこのあいだに悟りを開けるかも知れない・・・
4時間が経過した。裕也は全く悟りを開けなかった。PCR検査の結果が陰性であることが判明した為に看護師が裕也を病院内に誘導した。総合案内に到着すると看護師が受付と話しをつけて様々な書類を受け取るとそれを裕也に渡し、誘導を続けた。この間、裕也の意識と身体は危うくなっていた。疲労と苦痛とに襲われていた。エレベーターで南病棟5階に到着すると誘導係の看護師はスタッフステーションにて担当看護師に裕也を引き渡して去って行った。
「担当看護師の外岡です」
「よろしくお願いします」
裕也は会釈をしながらそう応じた。早速身長測定が始まった。173センチメートルだった。次に体重測定となった時に外岡が裕也に上着を脱ぐよう依頼した。脱いだダウンジャケットを裕也は外岡がいる方向とは反対の方向の床に落とそうとしたが踏みとどまり、ここでは駄目ですよねと言って外岡の方にダウンジャケットを向けた。外岡がダウンジャケットを受け取ると裕也はデジタル体重計に載った。56キログラムである。
ダウンジャケットを持って外岡が裕也を病室に誘導する。外岡は女性看護師であり、小柄でふくよかだ。相貌を言えば、切れ長な目と、大きくも小さくもなく、上向きでも下向きでも鼻と、厚くも薄くもなく長くも短くもない唇をしており、輪郭は少し長めの丸といったところだ。
病室内に入ると外岡は裕也に割り当てられたベッドを示し、クローゼットの中にダウンジャケットをかけた。裕也はベッドに座り込んだ。そこへ外岡とペアを組んでいる反町という先輩女性看護師がやってきてかなり細部にまでわたるヒアリングを行った。片方の腎臓が肥大化しているくだりに入った。
「南田先生によると触って確認できたそうです」
それを聞いた反町は裕也にシャツをめくり上げるよう依頼したので彼はその通りにした。反町は裕也の腰を掴むようにして肥大化した腎臓を確認した。
外岡が裕也の左手人差し指にパルスオキシメーターを装着したがエラーが出る。何度やりなおしてもエラーが出る。裕也が着ているシャツの右袖を反町がまくって右手を露出させた。それを見た裕也は驚いた。死体のように白い。血管もしぼんで沈み込んでいる。
――まるで血が通っていないみたいだ・・・
パルスオキシメーターが右手人差し指に装着されてようやく血中酸素飽和度の数値が出た。するとにわかにあたりの人の動きが慌ただしくなった。裕也は仰向けになるよう女性看護師から依頼されその通りにした。女性看護師2名が二手に分かれて裕也の両腕にてきぱきと何かをし始めた。ほとんど救急状態である。天井を眺めている裕也には何がなされているのか分からない。
「すごい・・・」
新人の女性看護師がそう声を漏らした。こういう場面は見たことがないようだ。PCR検査の結果が出るのを待っていたあの静かで何もない4時間とは対照的に入院生活の始まりは怒涛だった。
