東京都知事は、リスク管理の専門家が必要だ。 | 21世紀の健康社会を創造する

東京都知事は、リスク管理の専門家が必要だ。

 東京都知事選が今日告示だ。17日間の選挙戦を経て2月9日が投票日だ。2020年の東京オリンピック開催の準備、原発事故の解決・廃棄。首都圏直下大地震、超高齢社会の介護・社会保障の問題等、子育て支援の問題がある。特に4月の消費税8%の影響等の問題が山積している。

 今、読んでいるのが地元の作家山下文男氏の「哀史三陸大津波歴史に学ぶ」河出書房新社2011年6月30日初版を読んでいる。生々しい実態を示している。三陸大津波を、首都東京では学んでいない。

この本で言っているのは、津波対策は、住民、学校での防災教育である言っている。防潮堤や防波堤には限界がある。地震があったら「津波を用心し、津波がきたら高い所ヘ」の結論である。

 明治29年の三陸大津波(1896年6月15日)地震のエネルギーは、マグニチュード7.6と記録されている。震度は、2~3の緩やかなものであったと言われている。当時は、日清戦争祝勝気分の中で起こった。富国強兵政策と文明開化政策で国づくりが急テンポに進められていた。

明治29年の三陸大震災には、国の補助金も少なく冷たかった。住民は、また元の集落に戻る。漁業を営むために便利でもあった。また、先祖伝来の元屋敷への愛着があること。三陸海岸は、狭い土地であり。高台に移転になると土地が少ないこと。海岸近くの農家が零細農家も多く土地も狭く漁民に土地を別けることできない。そして、明治政府や地方官庁の熱意の不足と村づくり町づくりの強力な推進力がなかったこと。国は、富国強兵策を進めていたので漁民の自主性に任せた。

つぎに来るのが昭和8年三陸大震災である。1933年3月3日午前2時31分 激震が発生した。死者2671人内行方不明1200人、罹災者三万6978人であった。明治29年の大津波から37年たち明治、大正、昭和になっていた。世の中は、恐慌、不況、戦争への道へと進んでいた。1月30日ドイツでヒトラー政権確立。2月20日小林多喜二が拷問により虐殺。2月24日国際連盟総会での対日勧告に対して松岡外相退場。などなど。完全な軍国時代に入った。

昭和8年の大地震は、震度が大きかったこと。明治29年の体験談の教訓があったこと。津波の勢いが緩慢であった。多くは助かったが食べ物がなく、着るものがなかった。明治29年の時よりは、はるかに物資も多かったが内陸部から沿岸部への輸送は詰まった。隅々まではうまくいかなかった。特徴は、救援活動とアカ狩りである。

 関東大震災(1923年)で14万人の人命が奪われた。地震の震源は、相模湾の海底であった。津波で数百人が亡くなっている。横浜でも10万人以上の犠牲者が出ている。津波でも相当の犠牲者が出ている。西洋方式建築様式が倒れたり、木造屋敷の多くが大火災になり多くの犠牲者が出た。今後の防災対策のヒントになる。ビルの硝子崩壊と首都高速の崩壊である。オリンピックの準備として耐震と重要な政府施設の分散である。
東京都知事は、リスク管理の専門家が必要だ。