最近よく

『好きなことをして生きなさい』

みたいなフレーズを耳にする気がします。

 

もちろん好きなことだけして生きられたら幸せだと思うけど。

 

じゃあ掃除も洗濯も料理も全部放棄して、それでも幸せになれるの?

家の中がメチャクチャになって、子どもの着る洋服も食べ物もなくなって、

そんなの無理に決まってるじゃーん!!!

 

日々の家事育児に追われる私は、いつもそんな風に感じていました。

 

 

けれどふと、子どものアレルギーをキッカケに、

気付いてしまいました。

 

世界中のあらゆる食材が、簡単に手に入る今の日本。

小麦アレルギーでも、乳糖不耐症でも、

どれだけ好き嫌いがあっても、

食べられる料理とレシピが(実は)山のようにある。

 

新鮮な肉や魚や野菜がいつでも買えて

適温の清潔な部屋で、衛生的な料理が毎日食べられる。

 

今日の料理は何にしよう??

洋食?和食?それとも中華…?

 

こんな幸せ ナイフとフォーク

こんなに悩んだり選んだり組み合わせたりできる幸せ。


地球がたどってきた長い歴史の中で、

今だけ、なんじゃない…?

しかも同じ地球に暮らす世界の人々の中でも、

今の日本は特別に、恵まれているんじゃない?

 

 

火垂るの墓で描かれた戦後の日本(1945年)は、つい73年前。

そこから73年しか経っていない。

人生100年といわれるようになった現代、73年後にはまた、食べ物も飲み物も、

住む場所もなくなって、生きることだけで必死な時代になっているかもしれない。

 

だとしたら。

 

『好きなことをして生きてみよう』

─ せっかく、今の時代に生まれてこれたのだから。

 

だって今の人生そのものが、

もしかしたら神様からの特別ギフトなのかも、しれないよ。

 

 

 *

 

私は結婚して以来、唯一好きな家事が“料理”でした。

が、グルテンフリーを始めてから、

以前ほど料理を楽しめなくなっていました。

 

理由は簡単。

料理が『義務』に変わってしまったから。

 

 

美味しいものを好きな人と一緒に食べる時間が好き。

だから料理も好き。

 

だけど急に、今まで“美味しい”と思っていたものを一気に取り上げられて

子どもを健康にするために、とか

家族に喜んでもらうために、とか

そんな理由で毎日キッチンに立つようになりました。

 

そしたら1日3回 バツレッド 365日の料理なんて

まるで罰ゲームみたい… ゲロー

 

 

だけど違った。

そもそもの考え方を間違えていた。

義務じゃない。

罰ゲームじゃない。

 

選べる。悩める。自分で決められる。

そんな見落としていた幸せの上に、今の生活が成り立っている。

 

 *

 

明日は七夕だけどこれは願いじゃなくて

私の決意表明かな。

 

グルテンフリーのごはん作りをストレスフリーに流れ星