今ネットで、話題になっているビートたけしさんが祝辞で暴走という件について、ひさびさに、ビートたけしさんを思い出しました。
ずっとテレビが好きで、テレビっ子だったので、たけしさんは、常にその中心にいた人でした。でもお笑いを考えてみることができるようになった頃には、すでにたけしさんは大御所でした。
その時のたけしさんの印象は、下記です。
ビートきよしさんとツービートを組み、フランス座で活躍する浅草芸人としてスターであったこと。
モントリオールオリンピックで活躍した、ナディア・コマネチさんをネタにしたコマネチって一発ギャグを持っていたこと。
オレたちひょうきん族でタケちゃんマンというキャラクターを演じていたこと。
スーパージョッキーという番組でたけし軍団というたけしさんを慕う若手芸人たちのボスであったこと。
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城では、たけし城の城主であったこと。
天才・たけしの元気が出るテレビ!!で社長をやっていたこと。
*ちなみに世界まるごとHOWマッチ!!は、見ていましたが、石坂浩二さんの印象が強すぎてたけしさんを覚えていません。
こうして記憶にあることを並べると、当時すでにお笑い会ではボス的存在であったことがわかります。
当時は、残念なことに、たけしさんがスターに登りつめるまでの活躍を知らず、当時のテレビ業界でたけしさんを取り巻く空気がよくわからないままでした。
ただ、これだけの人が周りにいるのだから、なんとなくすごい人なんだろうという意識で、ずっとこれらの番組を見ていた記憶があります。
もちろん番組自体は、面白かったのですが、その製作方法に、たけしさんの意思を感じられるほど意識して番組を見ていたわけではありませんでした。
その頃を思い出すと、小学生のころは、自分の家庭の教育方針がとても厳しくて、悪いことをすれば、テレビを押入れに隠されたりしていました。
もちろん当時の小学生が熱中したファミコンというゲームもうちにはなく、ラジオを聴くという趣味もなかったので、テレビを隠されたりすると、外で遊ぶか、読書か勉強しかやることがない家庭に育ちました。
たけしさんの番組を、意識して見られなかったのは、この教育方針も大きく影響していて、家庭内では、たけしさんの番組を見ていると、「くだらないから消しなさい」「あんなことをすると危ないからまねしてはいけない」「この人たちはTVで騒いでるだけ」と、うっとおしい小言が入ってきたりしていました。
当時の両親からすれば、「テレビばかりをただぼんやりと見て、受身な人生を送るような子になってほしくない」「もっと勉強して、世の中の役に立つ人になってほしい」って、純粋な気持ちからの教育方針は、今親になった身分としては、十分にわかります。
でも、当時小学校で昨日見たテレビ番組の話ができないことほど、疎外感を感じることは、なかったので、親の気持ちを気にしつつ、集中できない状態で見ていた気がします。
そんなとき、たけしさんは、フライデー襲撃事件を起こしました。
両親の反応は一方的に、たけしさんの非を責めるものでした。
子供は、当時の週刊誌などで伝えられる、マスコミの空気などをテレビを隠されてしまえば、まったくわかりませんので、しばらく自分の中では、たけしさんは、集団による暴力という最低な手段を利用する「悪い人」でした。
復帰後も、たけしさんは「悪い人」であるというその見解のまま、両親の意見に合わせてたけしさんを見続けてきたわけなので、お笑いビッグ3として、タモリさん、明石屋さんまさん
と競演したときに、さんまさんのレンジローバーを故意にぶつけて車庫入れしたときには、笑うよりもテレビでの後輩いじめの構造に怒りすら覚えたものです。
今見ると、お笑い的には、さんまさんが相当おいしくて大活躍しているのが、わかります。
こういうのって、テレビの世界だけで笑えることなんですよね。
襲撃事件後のたけしさんについては、お笑いの人というよりも平成教育委員会、ビートたけしのTVタックル、世界まる見え!テレビ特捜部などで見せる、時折のコメントからかなり頭のいい人なんだなというイメージが徐々にできてきました。
たけしさんって、「俺が!俺が!俺が!」ってでしゃばったり、後輩に持ち上げられたりすることで中心になるタイプではなくて、いろいろな解釈がある中で、「俺はこう思うって」っていう一個人としての意見が、鋭く突き刺さるのが印象的です。
今回の祝辞も、還暦を過ぎて、お笑い会でも映画界でも、すでに十分な評価を得た成熟した大人であるたけしさんが、こんな暴言に近いようなお祝いの言葉で、いまだに笑いを誘っているのが、まったく信じられず、ネットで誰かがうまく創作したのだとさえ思ってしまいました。
いつまでたっても被り物を続けて世間を笑わそうとして、笑われているたけしさんは、すごいなと素直に思いますし、たけしさんの個性に、周りの人間が引かれていって輪ができていくというのも、両親の意見を気にしない立場である今となってはじめてわかることです。
たけしさんは、常に考えている人で、その考えを実行することがお笑いであったり、映画であったりするのですが、襲撃事件後は、テレビの世界では暴力を語れなくなったので、その暴力についての考えをお笑いではなく、映画で追求していった気がします。
お笑いでの暴力と映画での暴力の表現の違いについては、来週に北野武として書いてみたいと思っています。
今日のキーワードは、ビートたけしです。
お笑いウルトラクイズ。アメリカ横断ウルトラクイズも懐かしいですが、この番組のはちゃめちゃさは、
すごかった記憶があります。
この復活版は、視聴率わるかったそうが、下の作品と見比べてみたいです。
この時代のテレビは、なんでもありだった気がします。
こんなCDまで出していたのですね。知らなかった。
元気が出るテレビは、企画が面白くてずっとだらだら見ていた記憶があります。
ダンス甲子園が、まわりですごく流行していました。
ずっとテレビが好きで、テレビっ子だったので、たけしさんは、常にその中心にいた人でした。でもお笑いを考えてみることができるようになった頃には、すでにたけしさんは大御所でした。

その時のたけしさんの印象は、下記です。
ビートきよしさんとツービートを組み、フランス座で活躍する浅草芸人としてスターであったこと。
モントリオールオリンピックで活躍した、ナディア・コマネチさんをネタにしたコマネチって一発ギャグを持っていたこと。
オレたちひょうきん族でタケちゃんマンというキャラクターを演じていたこと。
スーパージョッキーという番組でたけし軍団というたけしさんを慕う若手芸人たちのボスであったこと。
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城では、たけし城の城主であったこと。
天才・たけしの元気が出るテレビ!!で社長をやっていたこと。
*ちなみに世界まるごとHOWマッチ!!は、見ていましたが、石坂浩二さんの印象が強すぎてたけしさんを覚えていません。

こうして記憶にあることを並べると、当時すでにお笑い会ではボス的存在であったことがわかります。
当時は、残念なことに、たけしさんがスターに登りつめるまでの活躍を知らず、当時のテレビ業界でたけしさんを取り巻く空気がよくわからないままでした。
ただ、これだけの人が周りにいるのだから、なんとなくすごい人なんだろうという意識で、ずっとこれらの番組を見ていた記憶があります。
もちろん番組自体は、面白かったのですが、その製作方法に、たけしさんの意思を感じられるほど意識して番組を見ていたわけではありませんでした。
その頃を思い出すと、小学生のころは、自分の家庭の教育方針がとても厳しくて、悪いことをすれば、テレビを押入れに隠されたりしていました。

もちろん当時の小学生が熱中したファミコンというゲームもうちにはなく、ラジオを聴くという趣味もなかったので、テレビを隠されたりすると、外で遊ぶか、読書か勉強しかやることがない家庭に育ちました。

たけしさんの番組を、意識して見られなかったのは、この教育方針も大きく影響していて、家庭内では、たけしさんの番組を見ていると、「くだらないから消しなさい」「あんなことをすると危ないからまねしてはいけない」「この人たちはTVで騒いでるだけ」と、うっとおしい小言が入ってきたりしていました。

当時の両親からすれば、「テレビばかりをただぼんやりと見て、受身な人生を送るような子になってほしくない」「もっと勉強して、世の中の役に立つ人になってほしい」って、純粋な気持ちからの教育方針は、今親になった身分としては、十分にわかります。
でも、当時小学校で昨日見たテレビ番組の話ができないことほど、疎外感を感じることは、なかったので、親の気持ちを気にしつつ、集中できない状態で見ていた気がします。
そんなとき、たけしさんは、フライデー襲撃事件を起こしました。
両親の反応は一方的に、たけしさんの非を責めるものでした。
子供は、当時の週刊誌などで伝えられる、マスコミの空気などをテレビを隠されてしまえば、まったくわかりませんので、しばらく自分の中では、たけしさんは、集団による暴力という最低な手段を利用する「悪い人」でした。
復帰後も、たけしさんは「悪い人」であるというその見解のまま、両親の意見に合わせてたけしさんを見続けてきたわけなので、お笑いビッグ3として、タモリさん、明石屋さんまさん
と競演したときに、さんまさんのレンジローバーを故意にぶつけて車庫入れしたときには、笑うよりもテレビでの後輩いじめの構造に怒りすら覚えたものです。

今見ると、お笑い的には、さんまさんが相当おいしくて大活躍しているのが、わかります。

こういうのって、テレビの世界だけで笑えることなんですよね。
襲撃事件後のたけしさんについては、お笑いの人というよりも平成教育委員会、ビートたけしのTVタックル、世界まる見え!テレビ特捜部などで見せる、時折のコメントからかなり頭のいい人なんだなというイメージが徐々にできてきました。
たけしさんって、「俺が!俺が!俺が!」ってでしゃばったり、後輩に持ち上げられたりすることで中心になるタイプではなくて、いろいろな解釈がある中で、「俺はこう思うって」っていう一個人としての意見が、鋭く突き刺さるのが印象的です。
今回の祝辞も、還暦を過ぎて、お笑い会でも映画界でも、すでに十分な評価を得た成熟した大人であるたけしさんが、こんな暴言に近いようなお祝いの言葉で、いまだに笑いを誘っているのが、まったく信じられず、ネットで誰かがうまく創作したのだとさえ思ってしまいました。

いつまでたっても被り物を続けて世間を笑わそうとして、笑われているたけしさんは、すごいなと素直に思いますし、たけしさんの個性に、周りの人間が引かれていって輪ができていくというのも、両親の意見を気にしない立場である今となってはじめてわかることです。

たけしさんは、常に考えている人で、その考えを実行することがお笑いであったり、映画であったりするのですが、襲撃事件後は、テレビの世界では暴力を語れなくなったので、その暴力についての考えをお笑いではなく、映画で追求していった気がします。
お笑いでの暴力と映画での暴力の表現の違いについては、来週に北野武として書いてみたいと思っています。
今日のキーワードは、ビートたけしです。
お笑いウルトラクイズ。アメリカ横断ウルトラクイズも懐かしいですが、この番組のはちゃめちゃさは、
すごかった記憶があります。
この復活版は、視聴率わるかったそうが、下の作品と見比べてみたいです。
この時代のテレビは、なんでもありだった気がします。
こんなCDまで出していたのですね。知らなかった。
元気が出るテレビは、企画が面白くてずっとだらだら見ていた記憶があります。
ダンス甲子園が、まわりですごく流行していました。