日中平和友好条約締結の舞台裏 | 仕事情報-介護福祉・転職・派遣・資格取得

日中平和友好条約締結の舞台裏

1976年10月、「4人組」(江青、張春橋、王洪文、姚文元)が逮捕されたのである。1977年7月、トウ小平氏が再度政治の表舞台に現れ、日中友好条約締約の交渉自ら指導することとなる。トウ小平氏は、「覇権主義反対」条項の核心は事実上、覇権を謀らないとともに、それに反対するというひと言であり、つまり締約当事者の双方がまず自らを制約して覇権を謀らず、同時に他のものの覇権を謀ることにも反対することであると述べた。福田首相にはいくつかの気がかりがあった。福田首相は、中国側が「日本はすべての国と平和・友好的に付き合いたいと思っている」ことを理解してくれることを願うよう申し出た。これに対し、トウ小平氏は即座に、「ある人が横暴なふるまいをし、覇権を実行しているのに、まさかそれに対し平和・友好的でなければならないのか。福田首相は私達の古い友人ではない。福田首相が元田中角栄首相、元大平正芳首相と同じように私達の友人になれることを望む。 [引用元:Yahoo[中国(サーチナ)]] 太陽電池 メーカー グレゴリー ショルダーバッグ 無料 オンライン シュミレーション