1995/10/02, , 日経産業新聞,


 情報ネットワークが作り出すサイバースペース(電脳空間)が爆発的な勢いで膨張している。パソコン画面の前に座れば、相手が世界中のどこにいても、情報を交換し、買い物をし、巨大なプロジェクトの契約を交わし、代金の決済も可能になる。国境という壁ばかりでなく、既存の産業や企業の枠組みも消滅しかねない。職場や家庭、地域、社会までも根本から変革しようとしている。サイバースペースのエンジンは米国生まれの世界的ネットワーク、インターネット。地球上を覆いだしたインターネットの奔流を追う。


 ネットワークの進展で、銀行も新しい競争の時代に入る。一歩間違えれば銀行も生き残れない厳しい競争である。
 九月二十一日。取材班はそんな予感を抱かせる会合に、サンフランシスコのバンク・オブ・アメリカで遭遇した。集まったのは、銀行はもちろん、情報、通信分野の有力六十五社で構成する「金融サービス技術コンソーシアム(FSTC)」の幹部。目の前で実演されたのは、インターネットを使った電子決済システムのデモンストレーションだ。横浜のホームページ作成 同行のジニーン・ブラウン上級副社長は、インターネットが金融分野にもたらす影響の大きさを強調した。


 コンソーシアムは九三年九月に発足。IBM、サン・マイクロシステムズ、インターネットプロバイダーのBBNなどもメンバーだ。今回、パソコンの周辺機器の標準規格「PCMCIAカード」に個人の口座情報を記憶させ、通常の小切手と同様に電子カードに決済を代替させる実験を公開した。


 米国では年間六百三十億枚もの小切手が使われている。ネットワークの発達によってこれが一挙に電子化される可能性が出てきた。その主導権をだれが握るのか。会合に参加した顔触れをみるだけでも、競合が複雑になったことがわかる。


 業界二位のバンク・オブ・アメリカはインターネットを活用したホームバンキングで先頭を走る。今年夏には、商品などの購入金額を一括即時引き落としできる新カードなど電子化を武器に急成長し三位に躍進したネイションズバンクとも組み、家計簿ソフト三位のメカ・ソフトウエアも買収した。


 金融関係者の肝を冷やす事件はすでに起きている。米マイクロソフトによる家計簿ソフトの最大手、インテュイットの買収工作だ。独占禁止法を盾にした関係業界の猛反対で、結局、マイクロソフトは今年夏にこれを断念した。同社は業界二位の家計簿ソフトを持つ。インテュイットの買収により八月に稼働し始めたパソコン通信サービス「マイクロソフト・ネットワーク」と組み合わせて、ホームバンキングビジネスを独り占めしようという狙いだった。


 マイクロソフトの幹部は「一件十セントの手数料でも、マイクロソフトはただちに世界最大の決済銀行になれるところだった」と嘆く。従来の小切手処理の方法では約八十セントのコストがかかるといわれ、ネットワークを使う新しい手法が実用化すれば太刀打ちできない。


 ライバルは同業他社だけではない。業種の垣根も崩れつつある。


 「CALS」――。日本では産業界のネットワーク化を進めると熱いブームを起こしているシステムは、米国では、どこかに蒸発していた。国防総省の主導で進展してきたCALSは民間業界の反発で、軍事産業の一部を除き、ほとんど浸透していない。代わって急速に広がるのは「エレクトロニックコマース」(Eコマース=電子商取引)だ。企業と企業との取引だけでなく、消費者をも巻き込んだネットワークへの移行である。CALSも「コマース・アット・ライト・スピード」(光速の商取引)と呼び変えられた。


 インターネット上に電子商店街を展開しているインターネット・ショッピング・ネットワーク(カリフォルニア州)のビル・ローリンソン副社長は「米国の通信販売市場は全体で約六百億ドルある。その中でインターネットが占める割合はまだ小さいが、成長の勢いはすごい。急激に拡大していく」と予測する。


 同社の売り上げの二五%は海外、特に日本などからの注文で占められており、同社に口座登録をしている個人会員のうち、四〇%は海外からの顧客だという。国境を越えるネットワークのパワーが、ビジネスの成長の決定的な要因だ。


 インターネットによる新しいビジネスの出現に巨大企業も血相を変えている。既存の仕組みが破壊される危惧(ぐ)が生まれてきたからだ。ニュービジネスの担い手は、失うものを持たない新興ベンチャー企業群である。
 だが、ベンチャー企業も絶対の成功が約束されているわけではない。


 設立して一年半足らずで上場し「第二のマイクロソフト」と呼び声が高いネットスケープ・コミュニケーションズ(カリフォルニア州)。九月十八日、インターネットが一段と使いやすくなる新機能を盛り込んだ最先端のソフトを発表した。ところが、翌日の新聞では、カリフォルニア大学の大学院生が同社の暗号を解読したというショッキングな見出しが躍った。


 ネットスケープの暗号が破られるのは二回目だ。ただ、前回は高性能コンピューターを何台も駆使して解読したために、かえって信頼性の高さを印象付けた面があった。今度は簡単に解読したということで、インターネットに対する不安を助長させる結果にもつながった。


 事件に対する米関連業界の見方は様々だ。同種ソフトの市場で七五%の圧倒的シェアを持つネットスケープの独走を阻もうと、新製品の発表にぶつけて流した、という陰謀説も一部には聞かれる。


 インターネットにつながるホストコンピューターは現在約六百八十万台、世界百三十六カ国・地域で約四千万人が利用する――。インターネットの国際団体であるインターネット・ソサエティー(米バージニア州)のアンソニー・ルツコウスキー専務理事は、「利用者は来年七千万人になり、二〇〇〇年には三億人に達する見通し」という。毎日一万台以上のサーバーが新しく誕生しており、利用者は年率二倍の伸びを見せている。


 米調査会社のフォレスター・リサーチはインターネットに関連した物販・サービス市場は今年は三億ドル程度だが、二〇〇〇年には百億ドル以上の規模に膨らむと予測する。


 インターネットに接続するサーバー数で日本は六位だが、人口一万人当たりの台数を計算するとシンガポール、香港にも後れをとり二十三位。このままでは、世界で急成長しようとしている新産業、新市場のうねりから取り残される恐れがある。


 米ニュージャージー州のAT&Tの本社で会ったフィリップ・ネッチェス技術担当役員はこう語る。「道路網が全国に張り巡らされた後、沿道にマクドナルドができ、巨大なショッピングセンターが誕生して、産業や社会の在り方を変えた。情報ネットワークが世界中に広がれば、新しいマックやKマートが生まれてくる」。
 勝者はだれになるか――。ネットワーク時代のビッグバンが始まった。 (特別取材班)