今日、飲み会をしました。久しぶりにかなり飲みました。具体的に言うと、ビール・ウーロン杯・芋焼酎水割り・ハイボール・モス子ミュールです。さて、酔った勢いで昨日の果てない疑問にある一定の解答を考えてみようと思いましたが、結局のところ、理想とは何かはわかりません。
根源的な問題を言えば、政治とは最大多数の最大幸福であると僕は考えます。管首相の考える最小不幸社会とは相入れない考えであると思います。そもそも、最小不幸社会というのは、「貧困、あるいは戦争、そういったことをなくすることにこそ政治が力を尽くすべき」だと管首相は述べています。もちろん、それは当然のことであり、実現すべきことであると思います。戦争や貧困がないのは政治の前提であると思います。
しかし、日本というのはそんなに貧困が多い社会なのでしょうか?もちろん、派遣労働者の問題やホームレスの問題。そして、生活保護のほうが、最低賃金で働くよりも高い金額を支給されているといった問題はあると思いますが、私たちは生きている。飢餓で死んだなどということは、最近ではあまり聞いたことがありません。他の発展途上国から見れば、夢見たいな話だと思う。ホームレスであっても、空き缶を拾ったり、残飯を集めたりすれば、餓死をすることはほとんどないと思う。確かに、今更発展途上国と比べることはできないかもしれないが、貧困でも頑張れば生きていけるのが今の日本であると思う。
戦争は、言うまでもなくないほうがいいと思う。そんな中、管首相は幸福について述べている。彼は、「もちろん、大きな幸福を求めることは重要でありますが、それは、たとえば恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあまり政治が関与すべきではなくて」と述べております。国民の幸福は、自分自身で切り拓くものであると述べているようにも聞こえます。けれども、幸福について政府は本当に関与すべきではないのか?これには疑問を生じます。
「人はパンのみに生きるにあらず」という有名な一文があります。僕は別に宗教家ではなく、無宗教でありますが、人が生きるのは、パンのみではないというのには賛同します。我々は、生きる意味を見失っているのであると思います。今の中国を見れば、彼らがいかに、未来に希望を持ち、将来に素晴らしいものが拓けていると信じている人が多いのがわかります。かつて、私の中国語の中国人の先生は、日本人より今は中国人のほうが稼いでいるといっていました。平均年収的に言えば、今でも、中国人の年収は日本を超えてはいないにも関わらずです(沿岸部の一部は別でしょうが)。たぶん、中国語の先生になれるくらいの学歴になれば、相当稼ぐという意味であったのではないかと思います。自殺者が毎年3万人を超えるほど多いのは、将来に絶望するからでしょう。それは、突発的な不幸なんでしょうか?不幸があっても、その先に希望が見出せれば、また立ち直れると思います。日本に、中国のような輝かしい未来があるか?まあ中国もこの先どうなるかはわかりませんが、日本人がうらやむ爆発力を見せていると思います。
最大多数の最大幸福を与えること。つまり、日本人に将来に対する希望を与えることが政治に一番求められていることなのではないかと思います。それは、宗教に頼ることでもかまわない。一種の宗教的なものであっても、使えるものがあれば使う段階なのでないかと思います。もちろん、公明党や幸福の科学に政権をとられ、彼らに日本を変えられるのは何か癪なものがありますが、一方向に力が働くのは間違いないと思うので、元気のない日本に恐ろしい活力が生まれると思います。間違いなく、それに対する問題は、いろいろ生じるとは思いますがw
結局の所、一方向に皆が目を向ける力が欲しいのです。公明党や幸福の科学は、胡散臭いので僕には一生信じられませんが、信じるものは非常に強いと感じるのはたしかです。信じるものは救われるというのも確からしいように感じられます。それを信じることによって、ある分野に爆発的なエネルギーを発揮できるのは強みであると思います。幸福になるためには、キリスト教・論語・仏教などの経典を読み、そのどれかの教えを守るとよいといった本を読んだことがありますが、それは真実なのではないかと思います。悩んだときに、頼る人がいない人間は大勢いると思いますが、頼れる頼もしい神がそこにはいるのです。なんと、心強いことか。
何が言いたいのかわからなくなってきましたが、宗教はあまりに胡散臭いと考える人が多く、国民にそんなことを勧めるわけにはいかないので、国民に生きる希望を与えることが、政治の役割のひとつであるということです。理想的なのは、国民一人一人が自分自身の幸福を見出すことであると思いますが、国民が見出せる幸福を与えてやることが必要なのではないかと思います。今の中国にあり、昔の高度経済成長期には確かに漠然とした、未来への希望があったのではないかと思います。大阪万博の熱狂などを見れば、その時代を生きていなくてもそんな雰囲気が感じられます。昔のような、物質的豊かさを求めることは、無理でしょう。すでに満たされています。この間、1980年代中盤に書かれた本に、国民が物質的豊かさを越え、精神的豊かさを求め始めているという記述を見つけ、驚きました。その時代からすでに、新たな幸福を探す旅というものは、出発していて、未だに見つけられていない。そして、具体的に国民には何を与えればいいか?
それがわかったら、誰も苦労はしないのであろうw続く。
首相の最小不幸社会の演説
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/401015/