いきなりですが、こんな話を聞いたらどう思いますか?

「20カ月ものあいだ、妊娠し続けている女がいる」

普通なら、

「いやいや、そんなわけないでしょ」

となりますよね。

 

では、もうひとつ。

その女性の夫は、ある日、家の中から忽然と姿を消してしまった。

しかも、どう考えても外へ出られない。

つまり密室から、人間が消えた。

 

20カ月妊娠している女。

密室から消えた夫。

病院から消える赤ん坊。

代々その家に伝わる奇妙な因縁。

そして、そのすべての向こう側にちらつく、

「姑獲鳥(うぶめ)」という妖怪。

 

これだけ聞けば、完全に怪談ですよね。

ところが、この物語に登場する男は言うのです。

 

「この世には不思議なことなど何もないのだよ」

 

妖怪の話をしているのに、「不思議なことなど何もない」。

いったい、どういうことなのか。

 

これが京極夏彦さんのデビュー作、

『姑獲鳥の夏』

です。

 

 

1994年に講談社ノベルスから刊行されたこの作品は、

のちに「百鬼夜行シリーズ」「京極堂シリーズ」と呼ばれる巨大な物語の第一作となりました。

 

そして私は、この作品の本当の恐ろしさは、

幽霊でも、

妖怪でも、

呪いでもないと思っています。

 

自分が見ているものを、本当に「見ている」と言い切れるのか?

そこなんです。

◆まず安心してください。「あの分厚い本」から入らなくてもいい

『姑獲鳥の夏』というタイトルは知っている。

京極夏彦という名前も知っている。

でも本屋で本を見た瞬間、

「……分厚っ!」

となって、そっと棚に戻した。

そんな人も結構いるんじゃないでしょうか。

 

実際、現在の講談社文庫版は630ページ。

しかも京極堂シリーズでは、これでもまだ入口です。

第二作『魍魎の匣』へ行くと、さらに「おお……」となります。

 

 

ですから私は、

別に小説から入らなくてもいい

と思っています。

映画からでもいい。

コミックからでもいい。

まずはこの奇妙な世界を覗いてみる。

 

そして、

「なんだ、この話……」

と思ったら小説へ行けばいい。

むしろ、これから初めて『姑獲鳥の夏』に触れるなら、

映画やコミックから入るのはかなり面白い方法だと思うんですよね。

◆舞台は昭和27年、まだ「妖怪」が死んでいない東京

物語の舞台は1952年、昭和27年の東京。

戦争が終わって7年。

日本は新しい時代へ向かって走り始めています。

 

科学がある。

医学がある。

警察がある。

合理主義がある。

でも一方では、

迷信もある。

因習もある。

祟りもある。

憑き物もある。

少なくとも、人々の意識の中にはまだ生きている。

 

この近代と前近代の境目

みたいな時代を舞台にしたことが、

『姑獲鳥の夏』にはものすごく合っているんです。

 

科学で説明できそうなのに、説明できない。

怪談に見えるのに、怪談だけでは終わらない。

その曖昧な境界線の上に、この物語は立っています。

◆主人公は「名探偵」ではない

この物語を語るのは、関口巽という小説家です。

 

これがまた、頼りない。

気分が落ち込みやすい。

考え込む。

人付き合いも得意ではない。

 

事件が起きたからといって、

「よし! 謎を解いてやろう!」

なんてタイプではありません。

 

むしろ事件に巻き込まれれば巻き込まれるほど、こちらまで心配になる。

ところが、この関口という男がものすごく重要なんです。

なぜなら私たちは基本的に、

関口が見た世界を通して事件を見るからです。

 

ここ、覚えておいてください。

そして関口の友人が、

中禅寺秋彦。

通称、京極堂。

 

古本屋の主人。

神社の神主。

そして「憑き物落とし」をする拝み屋でもあります。

 

これだけ聞けばオカルトの人ですよね。

ところが、とんでもなく理屈っぽい。

民俗学、宗教、心理、科学、哲学。

ありとあらゆる知識を総動員して、怪異を徹底的に解体していきます。

 

妖怪を信じているようで信じていない。

かといって、

「そんなもの迷信だ」

とも切り捨てない。

では何をするのか。

「なぜ、その人には妖怪が必要だったのか」

を考えるんです。

ここが京極堂の面白さなんですよ。

◆そして、もう一人の探偵がいる

『姑獲鳥の夏』には、もう一人、とんでもない男が出てきます。

榎木津礼二郎。

私立探偵です。

 

美男子。

傲岸不遜。

人の話を聞かない。

そしてこの男、

人間の記憶を「見る」ことができる。

 

……いや、ちょっと待ってくれ。

ミステリーで探偵が超能力者って、反則じゃないの?

と思いますよね。

私も思います。

 

ところが『姑獲鳥の夏』を最後まで知ると、

この榎木津というキャラクターがいる意味が変わって見えてきます。

彼は「見える人」。

 

そして関口は。

ここから先は、まだ言わないでおきましょう。

ただ一つだけ。

この二人が同じ部屋に入って、

まったく違う反応をする場面があります。

 

関口には、特に異常なものは見えない。

ところが榎木津は部屋へ入った途端、猛烈に嫌がる。

そして、

これは警察の仕事だ、

という趣旨のことを言って、そこから離れてしまう。

 

なぜ?

二人は同じ場所にいるんです。

同じ部屋を見ているんです。

なのに、

なぜ二人には、違う世界が見えているのか。

 

私はこの疑問こそ、『姑獲鳥の夏』を読む最大の推進力の一つだと思っています。

◆そして最初の100ページで、挫折する

ここで正直に言いましょう。

この小説。

序盤から事件がバンバン動くわけではありません。

 

関口が京極堂を訪ね、

「20カ月も妊娠している女がいるらしい」

という話をする。

 

普通のミステリーなら、

「よし、調べよう」

となりそうですよね。

 

なりません。

ここから京極堂が、

喋る。

喋る。

とにかく喋る。

脳とは何か。

心とは何か。

意識とは何か。

人間は世界をどう認識しているのか。

幽霊とは何なのか。

妖怪とは何なのか。

量子力学まで出てくる。

そしてこれが延々続く。

「事件はいつ始まるんだ!」

となる人もいるでしょう。

実際、この序盤で挫折したという読者は少なくありません。

でもここが、とんでもなく重要なんです。

◆実は京極夏彦は、最初から答えを教えている

これは『姑獲鳥の夏』を読み終わったあと、もう一度最初へ戻ると分かります。

あの長い話。

あの蘊蓄。

あの哲学談義。

ほとんど全部、必要なんです。

 

むしろ驚くのは、

「こんなに説明されていたのに、なぜ気づかなかったんだ?」

ということ。

 

京極夏彦は、かなり早い段階から、

この物語で何が起きるのかを説明している。

それでも私たちは分からない。

 

なぜなら

ここからが『姑獲鳥の夏』の恐ろしいところです。

◆人間は「目に映ったもの」を、そのまま見ているのか?

私たちは普通、

目を開けば世界が見える、

と思っています。

 

机がある。

人がいる。

窓がある。

だから見える。

 

でも実際の人間の認識は、そんなに単純ではありません。

目から入ってきた情報を脳が処理して、

「これは机だ」

「これは人だ」

「これは危険ではない」

と意味づけして、

初めて私たちが認識する「世界」が出来上がる。

 

つまり私たちは、

世界そのものを見ているのではなく、脳が構成した世界を見ている。

『姑獲鳥の夏』は、そこをミステリーにしてしまった作品なんです。

 

これが本当に面白い。

「見えないものを見る」という怪談はたくさんあります。

幽霊が見えた。

妖怪が見えた。

そこにいない人が見えた。

 

ところが京極夏彦は、その逆をやる。

そこにあるものが、見えない。

正確には、

目には入っている。

なのに、

認識できない。

 

もし、そんなことが起きたら?

この発想から『姑獲鳥の夏』を眺めると、一気に怖くなります。

◆妖怪は出てこない。だが「妖怪が生まれる瞬間」は描かれる

ここが私にとって、『姑獲鳥の夏』最大の魅力です。

 

妖怪小説なのに、

妖怪が物理的な怪物として襲ってくる話ではない。

 

では、なぜタイトルが『姑獲鳥の夏』なのか。

なぜ「姑獲鳥」なのか。

 

京極堂は妖怪を退治する人ではありません。

私はむしろ、

妖怪を必要としてしまった人間の認識を解体する人

だと思っています。

 

理解できないことが起きる。

怖い。

説明できない。

だったら、

「あれは祟りだ」

「あの家は呪われている」

「あの人間は普通ではない」

と名前をつける。

すると分かったような気がする。

しかし、その名前が今度は人間を縛り始める。

 

迷信。

偏見。

差別。

思い込み。

罪悪感。

記憶。

そういうものが重なって、

やがて「妖怪」が出来上がる。

 

だから私はこの小説を、

妖怪が出てくる小説ではなく、

妖怪が人間の中で生まれる瞬間を描いた小説

だと思っています。

 

◆「姑獲鳥」と「産女」

そしてタイトルの「うぶめ」も面白い。

日本では、出産にまつわって亡くなった女性が怪異となり、

子を抱かせる「産女」の伝承があります。

 

一方、「姑獲鳥」という名には中国由来の鳥の怪異の系譜があり、

子供を奪う存在として語られてきました。

 

細部は地域や時代によってさまざまですが、

子を奪うもの。

子を抱くもの。

子を求めるもの。

子を託すもの。

そこには、

母性の光と闇

が同居しています。

 

そして『姑獲鳥の夏』の中心にあるのも、

妊娠。

出産。

赤ん坊。

母親。

失われた子供。

そして家族です。

 

物語を最後まで知ってから、もう一度、

『姑獲鳥の夏』

というタイトルを見る。

すると、この五文字が最初とはまったく違って見えてきます。

◆「そんなのミステリーとしてアリなのか?」と思う人もいる

ここは隠さず書いておきます。

『姑獲鳥の夏』は、人によってかなり評価が分かれる作品だと思います。

ものすごい傑作だと思う人がいる。

 

一方、

「長すぎる」

「蘊蓄(うんちく)が多すぎる」

「そんな解決方法あり?」

と感じる人もいる。

 

その気持ちも分かります。

普通の本格ミステリーの感覚で、

「密室からどうやって人間が消えたのか?」

という物理トリックだけを期待すると、

驚くかもしれません。

 

でも、ここが面白いんですよね。

この作品を傑作と感じるか、

「いや、それは反則だろう」

と感じるか。

 

その分岐点は、

冒頭の長い蘊蓄を「余談」と読むか、

「トリックの説明書」と読むか

にあるのかもしれません。

 

私は後者です。

なぜなら京極夏彦は、

かなり早い段階からルールを説明しているからです。

 

それなのに読者は騙される。

というより、

読者自身が「見たいように見てしまう」。

そこまで含めてトリックなんじゃないかと思うんです。

◆つまり、騙されているのは関口だけではない

これに気づくと、『姑獲鳥の夏』が普通のミステリーとは違って見えてきます。

 

作中では関口が事件に巻き込まれます。

でも本当は、

読者も一緒に巻き込まれている。

 

関口が信じるから、

私たちも信じる。

関口が見落とせば、

私たちも見落とす。

関口が「そんなはずはない」と思えば、

私たちも候補から外してしまう。

 

だから、この小説で最も巨大な密室は、

部屋ではないのかもしれません。

人間の認識そのものが、密室なんです。

◆京極堂が落とすのは「妖怪」ではない

そして物語の終盤。

ついに京極堂が動きます。

ここからが凄い。

 

探偵が、

「犯人はあなたです!」

と指差して終わるタイプの謎解きではありません。

 

京極堂は、

民俗学、

宗教、

心理、

歴史、

家族の記憶、

言葉、

そして事件の事実を組み合わせながら、

その場にいる人たちが信じている

「世界」そのものを組み替えていく。

 

これが、

憑き物落とし。

私はこれを読むたび、

京極堂は妖怪を祓っているのではないと思うんです。

 

人間に取り憑いている、

「世界はこうであるはずだ」

という思い込みを落としている。

そして、それは登場人物だけではありません。

 

最後には、

読者まで憑き物を落とされる。

「自分が見ていた事件は、いったい何だったんだ?」

となる。

ここが気持ちいいんですよ。

◆初めてなら、映画から入るのもかなりアリです

「面白そうだけど、いきなり630ページはちょっと……」

という人。

分かります。

 

 

そんな人は、映画版『姑獲鳥の夏』

から入るのもいいと思います。

2005年公開。

監督は実相寺昭雄。

京極堂を堤真一さん、

関口巽を永瀬正敏さん、

榎木津礼二郎を阿部寛さんが演じています。

さらに原田知世さん、田中麗奈さん、いしだあゆみさんらが出演。

 

 

上映時間は123分です。

当然、あれだけ情報量のある原作を約2時間にするのですから、

すべてを理解しようとすると大変です。

 

でも映画版には、小説とは違う強烈な魅力があります。

「京極堂の世界が目の前に現れる」ことです。

◆実相寺昭雄が作った「眩暈のする東京」

映画を観てまず面白いのが、その画です。

画面が傾く。

妙なところから人物を撮る。

空間が歪んで見える。

光と影が異様に強い。

部屋が現実の場所というより、舞台装置のように見える。

これがいいんです。

 

なぜなら『姑獲鳥の夏』そのものが、

「自分が見ている世界は本当に正しいのか?」

という物語だから。

普通に撮るより、

ちょっと世界が傾いている方が似合う。

 

特に「眩暈坂」。

原作を読んで頭の中で想像するのも楽しいのですが、

実相寺昭雄監督が具体的な「場所」として見せてしまったことには

大きな意味があると思います。

 

京極堂の古書店。

大量の本。

久遠寺医院。

戦後の東京。

薄暗い部屋。

夏の湿気。

それまで文字の中にしかなかった世界が、

一気に視覚として立ち上がる。

 

映画版は原作を短くまとめた「ダイジェスト」と考えるより、

実相寺昭雄が見た『姑獲鳥の夏』

として楽しむ方が面白いと思います。

◆阿部寛の榎木津を見るだけでも面白い

個人的に映画版で注目してほしいのが、

阿部寛さん演じる榎木津礼二郎。

そもそも榎木津という人物、

かなり変です。

 

ものすごく格好いいのに、

言動がおかしい。

人の話を聞かない。

なのに本質的なところでは、

誰よりも正しいものを見ている。

 

そして先ほど書いた、

「同じ部屋を見ているのに、関口と榎木津では見えている世界が違う」

という場面。

 

これを映像で見るのは、小説とはまた違う面白さがあります。

原作を知らずに映画を観て、

「なんで榎木津はこんな反応をしているんだ?」

と思っておく。

 

そのあと小説を読む。

これも面白い入り方です。

◆「映画でも難しそう」という人にはコミックがある

そして、もう一つ。

かなりおすすめしたい入口があります。
志水アキさんによるコミック版『姑獲鳥の夏』。

 

 

これは非常にありがたい存在です。

講談社文庫では上下巻で刊行されていて、

原作・京極夏彦、漫画・志水アキ。

 

もともとは2013年から2015年にかけて刊行されたコミック全4巻を、

のちに上下巻へまとめたものです。

 

原作で、

「この場面、頭の中でどういう場所なのか整理しにくい」

となるところが、

当然ですが絵になっている。

登場人物の顔も分かる。

位置関係も分かる。

何より、

京極堂たちが“存在している”感覚をつかみやすい。

 

だから、

「映画だと2時間で情報が流れていってしまう」

「でも小説630ページはまだ怖い」

という人には、

コミックはかなり良い中間地点だと思います。

◆どこから入るのがいいのか?

私なら、こう考えます。

本を読むのが好きなら、小説。

これがもちろん本丸です。

京極夏彦の面白さは、事件だけではありません。

あの膨大な言葉に飲み込まれ、

「もう分かったから!」

と思うくらい説明され、

それでも騙され、

最後に世界をひっくり返される。

これは小説でなければ味わえない快感です。

 

まず世界観を体験したいなら、映画。

実相寺昭雄の映像と、堤真一、永瀬正敏、阿部寛らによって、

「京極堂の世界って、こういう感じなのか」

を一気に浴びる。

そして映画を観て、

「よく分からない。でも、なんか気になる」

となったら、

それはかなり正常な反応だと思います(笑)。

その「気になる」を持ったまま小説へ行く。

すると、

「ああ! 映画のあれは、こういうことだったのか」

となる。

 

活字が少し苦手なら、コミック。

物語と人物関係を視覚で把握してから小説へ行けば、

最初のハードルはかなり下がるはずです。

 

つまり、

映画→小説でもいい。

コミック→小説でもいい。

映画→コミック→小説でもいい。

もちろん、

小説→映画→コミックでもいい。

 

入口はどこでもいいんです。

一度、眩暈坂を登ってしまえば。

◆なぜ30年以上前の小説が、いまだに面白いのか

『姑獲鳥の夏』が最初に刊行されたのは1994年です。

でも、今読んでも古びた感じがあまりしません。

それは、この小説が扱っているものが、

「人間はどうやって現実を認識しているのか」

という、時代が変わってもなくならない問題だからでしょう。

 

むしろ今の方が怖いかもしれません。

SNSを開けば、

自分が見たい情報が流れてくる。

同じ出来事を見ても、

人によって「事実」がまったく違う。

 

一つの噂が共有され、

いつの間にか、

「みんなが言っているから本当だ」

になる。

それって、

『姑獲鳥の夏』で語られる「共同幻想」と、

どこか似ていないでしょうか。

 

人間は事実だけで生きているわけではない。

物語を作る。

意味をつける。

名前をつける。

そして時には、

自分たちで作った物語に取り憑かれる。

 

だから妖怪は、

昔の人だけのものではないのかもしれません。

◆「この世には不思議なことなど何もない」

最初にこの言葉を聞くと、

京極堂という男は、

オカルトを否定する合理主義者なのだと思うかもしれません。

 

でも私は、少し違うと思っています。

「そんなもの存在しない」

と言って終わる人ではない。

 

幽霊を見た人がいるなら、

なぜ、その人には幽霊が見えたのか。

ある家が呪われていると言われるなら、

なぜ、その土地では「呪い」という説明が必要だったのか。

妖怪が語り継がれているなら、

なぜ、人間はその妖怪を作らなければならなかったのか。

そこまで考える。

 

だから京極堂は、

妖怪を消してしまうのではありません。

むしろ妖怪を徹底的に知ろうとする。

 

そして最後に、

人間と妖怪の境界をひっくり返してしまう。

そこが私は好きなんです。

◆『姑獲鳥の夏』は、あなた自身が騙される物語です

20カ月妊娠している女。

密室から消えた夫。

消える赤ん坊。

人の記憶を見る探偵。

憑き物を落とす古本屋。

姑獲鳥という妖怪。

これだけ並べると、

とんでもないオカルト小説にしか見えません。

 

でも最後まで行くと、

恐ろしく人間的な話だったことに気づきます。

そして、

最初から見えていたはずのものが、

突然、違って見える。

 

そこにこの作品最大の快感があります。

だから、もしこれから『姑獲鳥の夏』に触れるなら、

ぜひ一つだけ覚えておいてください。

 

「自分が見ているものを、簡単に信じないこと。」

と言いたいところなのですが、

たぶん無理です。

 

京極夏彦は、

そのことまで最初から計算しているように思えるからです。

◆さあ、どの「姑獲鳥の夏」から入りますか?

小説なら、

1994年から続く京極堂の世界、その原点を丸ごと味わえます。

文庫版は630ページ。

怖がらなくて大丈夫です。

最初の100ページを越えたあたりから、

「あれ?」

となり、

やがて、

「ちょっと待て」

となり、

最後には、

「そういうことだったのか……」

となるはずです。

 

映画なら123分。

実相寺昭雄監督の、どこか現実そのものが歪んでいるような

映像世界へ入ることができます。

 

コミックなら、

志水アキさんの絵によって、

この奇怪な物語を視覚的に追うことができます。

 

どれからでも構いません。

ただもし『姑獲鳥の夏』に少しでも興味を持ってしまったのなら、

その時点でもう、

京極夏彦の仕掛けに片足を突っ込んでいるのかもしれません。

 

そして小説を開き、

眩暈坂を登り、

京極堂の話を聞き始める。

 

最初は、

「この人、いったい何の話をしているんだ?」

と思うでしょう。

それでいいんです。

その長い話を聞き終えた頃、

20カ月妊娠した女も、

密室から消えた男も、

姑獲鳥という妖怪も、

最初とはまったく違う姿に見えているはずです。

 

そして最後のページを閉じたとき。

おそらく一番信用できなくなっているのは、

妖怪でも、

幽霊でもありません。

あなた自身の「目」なのです。

 

それこそが、

『姑獲鳥の夏』という小説の、

一番恐ろしく、

一番面白いところなのだと私は思います。

 

 

 

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