岸恵子さんが亡くなったというニュースを知ったとき、
真っ先に頭に浮かんだ映画がありました。
『君の名は』でもありません。
『おとうと』でも、『細雪』でもありません。
僕が無性に観たくなったのは、市川崑監督の『悪魔の手毬唄』でした。
そして思い浮かんだのは、
石坂浩二演じる金田一耕助ではありません。
若山富三郎の磯川警部でもありません。
温泉宿「亀の湯」の女将、リカです。
岸恵子さんが演じた、あの悲劇の役どころ。
1977年公開の作品ですから、もう半世紀近く前の映画です。
そこで今回はネタバレをあまり気にせず書きます。
というより、この映画に関しては、ネタバレしたところで面白さはほとんど減りません。
ただし、絶対にネタバレは嫌!という方はここで読むのをやめてくださいね!
いいですか?!ネタバレしますよ!
では、続けます!
むしろ、この映画は、
岸恵子さんが犯人だと知ってから観る方が、
面白いところさえあるのです。
なぜなら『悪魔の手毬唄』は、「犯人は誰だ?」だけで
最後まで引っ張る映画ではないからです。
映像。
俳優。
編集。
美術。
音楽。
恐怖。
ユーモア。
そして、どうしようもなく哀しい人間ドラマ。
そのすべてが恐ろしいほど高いレベルで組み合わされた映画なのです。
市川崑・石坂浩二版の金田一耕助シリーズには
『犬神家の一族』という巨大な代表作があります。
それでも僕は、ときどき思います。
映画として一番好きなのは、『悪魔の手毬唄』かもしれない。
そして何より、この映画には岸恵子さんという、
シリーズ最高と言いたくなるヒロインがいます。
今回はそこから始めてみたいと思います。
◆岸恵子が演じる犯人が、あまりにも美しく、そして可愛い
まず驚くのが、岸恵子さん演じるリカの魅力です。
美しい。
それはもちろんです。
でも、この映画の岸恵子さんは「美しい」だけではないのです。
妙に可愛いのです。
温泉宿の女将ですから、毎日忙しく働いています。
お客の相手をし、料理の心配をし、村の人たちと話をし、
息子や娘のことを気にかけています。
ちょっと抜けたところもあります。
愛想もいい。
人懐っこい。
いかにも「恐ろしい秘密を抱えています」という女性ではありません。
だからこそ怖いのです。
考えてみてください。
連続殺人映画で、最初から犯人が暗い顔で、
「私は過去に秘密があります」
みたいな空気を出していたら、面白くありません。
ところがリカは、普通に魅力的なのです。
しかも岸恵子さんですから、
単なる「気のいい温泉宿の女将」には収まりません。
着物姿で座っているだけなのに、どこか艶があります。
笑えば可愛い。
黙れば影があります。
母親らしく見える一方で、一人の女性にも見えます。
そして何より、
この人は若い頃、ものすごく美しかったのだろうな
という人生まで感じさせるのです。
撮影当時の岸恵子さんは40代半ば。
若い娘ではありません。
しかし、そこがいいのです。
若い女優では出せない色気。
人生を一度や二度では説明できない女性だけが持つ奥行き。
そして、可憐さがまだ消えていない。
妖艶なのに可愛い。
この絶妙なバランスこそ、
リカという人物に必要だったのだと思います。
◆金田一耕助シリーズなのに、実は「女たちの映画」です
『悪魔の手毬唄』をまだ観ていない方に、まずざっくり説明します。
舞台は昭和27年。
岡山と兵庫の県境にある、山あいの村・鬼首村です。
いかにも横溝正史です。
もう、この地名だけで何か起こりそうです。
そこには昔から対立してきた二つの旧家があります。
20年前には恐ろしい事件があり、その真相はいまだ解明されていません。
そして村には、いつしか忘れられかけていた一つの手毬唄があります。
やがて若い娘が殺されます。
その殺され方が、手毬唄の歌詞に似ている。
さらに二人目。
また歌の通り。
では三番目は・・・。
という、いわゆる「見立て殺人」の物語です。
これだけでも十分面白そうでしょう。
でも、『悪魔の手毬唄』が凄いのはその先なのです。
最後まで観ると、これは単なる連続殺人事件ではなく、
一人の男によって狂わされた女たちの
人生の物語だったことが分かってきます。
過去に傷つけられた女たち。
その女たちから生まれた娘たち。
そして、自分の息子の未来を守ろうとして、
取り返しのつかないところまで行ってしまったリカ。
悲劇が一世代で終わっていないのです。
昔の男の欲望が、何十年もたってから、子供たちの世代を殺し始める。
これが実に横溝正史的です。
幽霊が出るわけではありません。
呪いが本当に存在するわけでもありません。
しかし、
過去そのものが化けて出てくる。
そこが怖いのです。
◆『悪魔の手毬唄』は「犯人が分かってから」がむしろ面白い
今回は最初から書いてしまいます。
犯人はリカです。
ところが、これを知っていて観ても面白い。
むしろ二度目、三度目の方が面白くなる映画です。
一度目は金田一と一緒に事件を追います。
二度目はリカを見ます。
すると、
「あ、このとき、この人は何を考えていたのだろう」
となります。
一瞬の視線。
言葉を飲み込む間。
金田一を見る顔。
息子を見る顔。
磯川警部を見る顔。
最初はただの芝居に見えたものが、全部違って見え始めます。
これが実に面白い。
そしてその中心にあるのが、岸恵子さんの演技です。
「私は犯人です」という芝居は一切しません。
普通の女将として生きながら、その裏側にもう一つの人生を抱えています。
だから映画を観終わったあと、
「ちょっと最初から確認したい」
となるのです。
ミステリー映画として、これはかなり強い構造です。
普通なら答えを知った瞬間、一番大きな楽しみが消えます。
しかし『悪魔の手毬唄』は、答えを知った瞬間に、
別の映画が始まるのです。
◆『犬神家の一族』より『悪魔の手毬唄』が好き、という人の気持ちが分かります
市川崑版の金田一耕助といえば、
圧倒的に有名なのは『犬神家の一族』です。
湖から逆さまに突き出した二本の足。
白いゴムマスク。
佐清。
日本映画史に残るビジュアルです。
『犬神家』が凄い映画なのは間違いありません。
でも『悪魔の手毬唄』を観ると、
「こっちの方が映画として完成しているのでは?」
と思う瞬間があります。
『犬神家』には、新しいことを始めた人間の勢いがあります。
カットは大胆。
構図は奇抜。
文字まで映画の演出にしてしまう。
死体も派手。
編集もかなり攻めています。
つまり、
「俺は横溝正史をこう撮る!」
という市川崑の実験場のような映画でもあります。
それが『悪魔の手毬唄』になると、少し落ち着きます。
落ち着いたと言っても、普通の映画になったわけではありません。
市川崑らしさは満載です。
ただ、その使い方が絶妙になっているのです。
怖すぎない。
ふざけすぎない。
技巧的すぎない。
感傷的すぎない。
全部が、
あと一歩やったら過剰になるという寸前で止まっています。
これが気持ちいいのです。
◆冒頭10分だけでも、市川崑の凄さが分かります
まだ観たことのない方には、ぜひ冒頭を集中して観てほしいです。
若者たちが登場します。
恋人同士らしい男女がいます。
それを別の女性が見ています。
青年団が集まっています。
ちょっとした冗談があります。
家同士の関係も見えてきます。
そこへ金田一耕助がやってきます。
これだけの情報を、いちいち説明しません。
「あの人とこの人は恋人で、その家とこの家は昔から……」
なんて台詞で全部言わないのです。
視線。
一瞬の表情。
短いカット。
会話。
それだけで、
「あ、この子は彼が好きなのか」
「でも彼には恋人がいるのか」
「みんなそれを知っているんだな」
「家同士にも事情がありそうだな」
と分かってしまいます。
そして金田一が山道を歩いていく。
ひと食い沼が見える。
冬の村。
枯れた木々。
音楽。
そしてタイトル。
『悪魔の手毬唄』。
もう、格好いいのです。
昔の映画にありがちな、
「さあ物語が始まるまで少々お待ちください」
という感じがありません。
最初の数分から映画が始まっています。
◆冬の鬼首村が、美しすぎます
この映画は、色が暗いです。
でも、それがものすごく美しい。
冬の山。
枯れ木。
灰色の空。
夕暮れ。
古い日本家屋。
畳。
柱。
障子。
沼。
土。
着物。
映画全体が少しくすんでいます。
ところが、そのくすんだ世界の中に、時々鮮烈な赤や白が入ってくる。
それが強烈なのです。
金田一が一人で山道を歩いている場面など、
ただ歩いているだけなのに見入ってしまいます。
人物がどんどん小さくなっていく。
山の方が巨大になっていく。
人間が風景に飲み込まれていく。
すると、
この土地そのものが何かを隠している
ように見えてきます。
横溝正史の世界って、まさにこれだと思うのです。
ただ山奥だから怖いのではありません。
土地に記憶がある。
家にも記憶がある。
沼にも記憶がある。
二十年前の出来事を、村全体がまだ覚えているように感じる。
だから、鬼首村に入った瞬間から観客まで事件の中へ取り込まれてしまいます。
◆葡萄酒の樽から女の顔 こんな死体、忘れられるわけがありません
そして『悪魔の手毬唄』といえば、殺人現場です。
市川崑版金田一シリーズには、忘れられない死体がたくさんあります。
でも僕が一番怖いと思うのは、『悪魔の手毬唄』かもしれません。
特に葡萄酒の樽。
巨大な樽の中。
赤い葡萄酒。
そこから女の青白い顔だけが浮かんでいます。
これ、怖いです。
かなり怖いです。
ところが同時に、
恐ろしいほど画面が美しい。
赤。
白。
暗闇。
人の顔。
構図が完全に決まっているのです。
リアルな殺人現場というより、一枚の異様な絵です。
まるで悪夢を誰かがきれいに額装してしまったような映像です。
ここが市川崑版の面白さです。
現実にそんなことになるか?
そんな滝で本当にできるのか?
そんな大きな樽にそんな状態で?
などと考え始めると、結構おかしいところもあります。
でも、そんなことはどうでもよくなります。
市川崑が作っているのは、
現実の殺人現場ではなく、
「横溝正史を読んだときに頭の中へ浮かぶ悪夢」なのです。
だからデフォルメしていい、
むしろ、デフォルメした方がいいんです。
◆ときどき、完全に「お化け屋敷」になります
そしてこの映画、真面目なミステリーなのに、時々演出が妙に怖いです。
謎の老人が住んでいる家。
金田一が訪ねます。
すると扉が・・・
バン!
と開きます。
いやいや。
そんな速さで開かないでしょう(笑)。
完全にお化け屋敷です。
でも最高です。
白石加代子さんが登場する場面も凄いです。
ゆっくり出てくる。
暗い。
顔が怖い。
「そこまで怖く登場させる必要あります?」
と思うほど怖い。
でも、『悪魔の手毬唄』ではそれでいいのです。
現実と怪談の間。
推理映画とホラーの間。
人間ドラマとお化け屋敷の間。
そのどこにも完全には属さない妙な場所に、この映画はあります。
だから唯一無二なのです。
◆なのに、ちゃんと笑わせてくれます
ここも大事です。
『悪魔の手毬唄』は陰惨な話です。
娘が次々殺されます。
昔の犯罪が出てきます。
血縁の秘密があります。
親子の悲劇があります。
二時間以上これだけだったら、かなり疲れます。
そこで市川崑は、絶妙な場所で笑わせます。
大滝秀治さん。
三木のり平さん。
岡本信人さん。
加藤武さん。
こういう役者が、ちゃんと映画の中に「空気穴」を作ってくれます。
特に面白いのが、笑わせるためだけのキャラクターではないことです。
村に本当にこんなおじさんがいそう。
こんな巡査がいそう。
こんな医者がいそう。
だから笑っているうちに、
鬼首村という場所そのものがリアルになっていきます。
これが巧いのです。
殺人のためだけに存在する村ではありません。
事件が起きていない日も、ここでみんな生活している。
そう思えてくる。
だから、人が死ぬことが余計に悲しくなるのです。
◆若山富三郎が、まさかこんなに「可愛い」とは
そして、この映画を語るなら絶対に外せないのが若山富三郎さんです。
磯川警部。
これが本当にいい。
若山富三郎といえば、
どうしても「強い」「怖い」「迫力」というイメージがあります。
ところが『悪魔の手毬唄』では、
恋をしています。
しかも、もう若くない男の片想いです。
相手はリカ。
これがいいのです。
リカの前では、ちょっと態度が違います。
露骨ではありません。
恋愛映画のように甘い言葉を囁くわけでもありません。
ただ、
「あ、この人、リカさんのこと好きなんだな」
と分かります。
その感じが、妙に可愛いのです。
そして岸恵子さんも、磯川警部を嫌っているわけではありません。
ただ、二人とももう若者ではない。
お互い人生があります。
過去があります。
「もし違う人生だったら」
という気配だけがあります。
何も起こらない。
だからこそ色っぽい。
◆好きだから事件を追った。だから好きな女を追い詰めた
そしてこの二人の関係には、ものすごい皮肉があります。
磯川警部はリカに特別な思いを抱いています。
だからこそ、20年前の事件を忘れることができません。
ずっと心に引っかかっている。
そこで金田一耕助を呼びます。
事件を解決してもらおうとする。
でも・・・。
金田一が事件を調べれば調べるほど、
リカが追い詰められていくのです。
これ、ものすごく残酷です。
磯川はリカを傷つけたくて調べたわけではありません。
むしろ反対です。
大切だから。
心配だから。
過去に決着をつけてあげたいから。
ところが、その愛情が結果としてリカを破滅へ導いてしまう。
そして磯川は刑事です。
途中で、
「もういい。真実なんか知りたくない」
とは言えません。
金田一も探偵です。
謎がある以上、解こうとします。
ところがこの映画では、
真実を暴くことと、人を救うことが一致しない。
そこが猛烈に哀しいのです。
◆金田一、早く気づいてくれ!
この映画を観ていると、途中からどうしても思ってしまいます。
「金田一、急いで!」
と。
手毬唄の続きを早く思い出してくれ。
そこに気づいてくれ。
あと一歩。
あと少し。
間に合ってくれ。
もちろん、こちらは何度も観ているから言えるのですが(笑)。
でも、その「あと一歩」が『悪魔の手毬唄』の悲劇なのです。
金田一耕助は名探偵です。
最終的には真相へ辿り着きます。
でも、
名探偵にも時間を戻すことはできません。
人が死んでから真犯人を当てても、その人は戻ってきません。
なぜ殺したのか分かっても、殺人はなかったことになりません。
「本当は愛していた」と分かっても、遅いことがあります。
この映画には、その「遅さ」がずっとあります。
それが最後の最後に、とんでもない余韻となって返ってきます。
◆岸恵子が「犯人」ではなく「母親」に見える瞬間
リカの犯罪は許されるものではありません。
当然です。
しかし、映画が進むにつれて、
「なぜこの人がそんなことをしたのか」
が分かってきます。
そしてある瞬間から、観客の中で、
犯人・リカ
という見方が、
母親・リカ
へ変わっていきます。
ここが凄いのです。
殺人犯なのに、憎むだけでは終われません。
この人は、どこで道を間違えたのだろう。
別の方法はなかったのか。
誰かがもう少し早く助けていれば。
そんなことを考えてしまいます。
さらに計画が狂い、最も取り返しのつかないことが起きたとき、
リカの世界は完全に壊れます。
ここからの岸恵子さんが凄い。
美しい女優としてではありません。
全部を失った母親です。
それまで抑えていたものが一気に噴き出します。
市川崑の映画は、基本的に感情をむやみに爆発させません。
構図で見せる。
編集で見せる。
間で見せる。
ところが『悪魔の手毬唄』には、
ときどきその枠を破って、感情が画面から飛び出す瞬間があります。
だから余計に効くのです。
◆この映画で本当に怖いのは「悪人」ではありません
『悪魔の手毬唄』を最後まで観ると、妙なことに気づきます。
現在を生きている人たちの多くは、そんなに悪い人ではありません。
若者たちは恋をしています。
母親たちは子供を心配しています。
磯川警部はリカを思っています。
金田一は事件を止めようとしています。
なのに、どんどん不幸になります。
なぜか。
過去に悪い種を蒔いた人間がいたからです。
しかも、その人間たちはすでに現在の舞台から消えている。
なのに昔の悪意だけが残っている。
それが次の世代へ食い込んでくる。
だから『悪魔の手毬唄』は怖いのです。
連続殺人鬼が怖いのではない。
悪霊が怖いのでもない。
昔の罪は、犯した人間がいなくなっても消えない。
これが怖い。
そして非常に横溝正史らしいのです。
◆そして、あまりにも美しいラストへ
『悪魔の手毬唄』には、
金田一シリーズ屈指のラストシーンがあります。
事件は終わります。
金田一は村を去ります。
駅。
汽車。
ホームに残る磯川警部。
金田一は、磯川にリカへの思いについて何かを言います。
ところが汽車の音にかき消される。
磯川が聞き返します。
「何か言いましたか?」
これです。
この瞬間、この映画は完全にミステリーを超えます。
もし磯川に聞こえていたら、説明になります
。
もし磯川が、
「そうだ。私はリカさんを愛していた」
なんて答えたら、普通の恋愛映画になります。
でも聞こえない。
言葉が届かない。
金田一は列車に乗って去ります。
磯川は一人、ホームに残ります。
事件は解決したのに、
何一つ解決した気がしません。
愛した女性はいない。
真実だけが残った。
磯川はこれから、その真実を抱えて生きていかなければならない。
この寂しさ。
そして妙な爽やかさ。
汽車の白い煙。
走り去っていく列車。
映画を観終わった瞬間、
「ああ、いい映画を観た」
と思わせてくれるラストです。
◆岸恵子さんの訃報で、なぜリカを思い出したのでしょう
岸恵子さんには、もっと有名な作品があります。
国民的スターとなった作品もあります。
映画史的に重要な役もいくつもあります。
それでも僕は、訃報を知った瞬間にリカを思い出しました。
今回改めて考えてみて、その理由が少し分かった気がします。
リカには、
岸恵子さんという女優の魅力が、
いくつも同時に入っているのです。
美しい。
聡明。
可愛い。
妖艶。
生活感がある。
でも、どこか遠い。
日本の温泉宿の女将なのに、
どこかフランス映画の女性のようにも見える。
強そうなのに、脆い。
母親なのに、一人の女であることを失っていない。
そして何より、
影があります。
岸惠子さんが座っているだけで、
「この人には、これまで生きてきた人生がある」
と感じられる。
若い女優には、なかなか出せないものです。
そして『悪魔の手毬唄』という映画は、
その「人生」を必要とする映画だったのだと思います。
◆まだ観ていない人が、いちばん羨ましいです
ここまでかなり書いてしまいました。
犯人も書きました。
事件の重要な部分も触れました。
それでも、まだ観ていない方には言いたいです。
大丈夫です。
『悪魔の手毬唄』は、まだ全然楽しめます。
むしろこれから初めて、
冬の鬼首村を見る。
亀の湯へ入る。
ひと食い沼を見る。
岸惠子さんのリカに会う。
若山富三郎の磯川警部に会う。
村井邦彦の音楽を聴く。
手毬唄を聞く。
あの葡萄酒の樽を見る。
そして、あの駅へ辿り着く。
それを初めて体験できる。
羨ましいです。
これは「犯人を当てるためだけの映画」ではありません。
一つひとつの画面を観る映画です。
役者の顔を見る映画です。
冬の空気を見る映画です。
そして最後には、人間のどうしようもなさを見る映画です。
◆岸恵子さんに、もう一度会うために
岸恵子さんが亡くなったというニュースを聞いて、
僕は『悪魔の手毬唄』を思い出しました。
考えてみれば不思議です。
連続殺人事件の犯人を思い出して、
「もう一度会いたい」
と思ったのですから。
でも、リカはそんな人物です。
犯人。
女将。
母親。
妻。
未亡人。
過去を背負った女性。
子供を守ろうとした女性。
磯川警部がずっと思い続けた女性。
そして、取り返しのつかない罪を犯してしまった女性。
その全部を岸恵子さんは、
一人の人間として演じています。
だから僕にとってリカは、
市川崑版・金田一耕助シリーズ最高のヒロインです。
『悪魔の手毬唄』は怖いです。
不気味です。
美しいです。
妙に笑えます。
ミステリーとして猛烈に面白いです。
そして最後には、とてつもなく哀しいです。
こんな映画は、そう何本もありません。
1977年の映画だからと敬遠している人がいたら、
ぜひ一度観てみてください。
「昔の有名な邦画」というイメージが、
おそらく最初の十数分で吹き飛びます。
そして二時間二十四分後。
あなたの頭に残っているのは、
手毬唄のトリックでも、奇怪な死体でも、
金田一の名推理でもないかもしれません。
駅のホームに立つ磯川警部と、
もうそこにはいない、
少し可愛くて、妖艶で、どうしようもなく哀しいリカさん。
僕はその二人こそが、
『悪魔の手毬唄』を半世紀近くたっても
忘れられない映画にしているのだと思います。
岸恵子さんを偲びながら、
もう一度、鬼首村へ。
まだ観たことのない方には、
ぜひ初めて、あの村へ。
そこには今でも、
日本映画が一番贅沢だった時代に作られた、
恐ろしく、美しく、そして泣きたくなるほど哀しい
二時間二十四分が待っています。

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