最初に宣伝です!情報解禁になりました!
昨年に引き続き『琉球トラウマナイ ザダン怪』10月12日(月・祝)に、なはーと大ホールにて開催決定です!
今年の出演者はヤースーくん、コヤッキーさん、ナナフシギノブさん、牛抱せん夏さん、匠平さんという顔ぶれ
沖縄では滅多にみられない豪華な顔ぶれです
実際に会場にいらしてくださった方に楽しんでいただくアイデアも考えています!
ぜひ県内の方はもちろん、県外の方もお越しくださいね!
チケットはイープラス

昨年は1500人をこえるお客様で盛り上がりました!
さて、今日の本題ですが、
今年5月8日、作家の鈴木光司さんが病気のため亡くなられたというニュースがありました。
『リング』『らせん』『仄暗い水の底から』などで知られ、ジャパニーズホラーの火付け役となった作家。
そう紹介されている記事を読みながら、僕はしばらく、
あの薄い角川ホラー文庫を初めて手に取った日のことを思い出していました。
僕はいま、『琉球トラウマナイト』という沖縄のホラーコンテンツを、
監督兼総合プロデューサーとして12年続けています。
沖縄の闇。
島の記憶。
土地に残る違和感。
人から人へ語り継がれる恐怖。
そんなものをずっと追いかけてきたわけですが、自分の恐怖の原体験をたどると、大きく2つあります。
ひとつは、子どもの頃に観た映画『エクソシスト』。
リンダ・ブレア主演、ウィリアム・フリードキン監督の、あの名作ホラーです。
そしてもうひとつが、映画化される前に、通勤時の読書用として偶然手に取った、
角川ホラー文庫の小説『リング』でした。
当時はまだ、映画化の前でしたし、特に情報もなく、
貞子がテレビから出てくるなんてことも当然ですがまったく知らない。
「呪いのビデオ」という言葉も、いまほど有名ではない。
なんとなく薄い文庫だから、通勤中に読むにはちょうどいいかな。
そのくらいの軽い気持ちで読み始めたんです。
ところが、これがもう本当に怖かった。
怖いからやめたい。
でも、先が気になる。
怖い。
でも、続きが知りたい。
何度も本を閉じました。
「もう無理。これは夜に読むもんじゃない」
そう思って閉じるんです。
でも30秒後には、また開いている。
結局、そのまま徹夜で読み切ってしまいました。
あの感覚はいまでも覚えています。
恐怖に引っ張られているのに、同時に物語にも引っ張られている。
逃げたいのに、知りたい。
やめたいのに、止まらない。
まさに、自分自身が物語に感染していたんですよね。
だから今回、鈴木光司さんの逝去を機に、
あらためて『リング』シリーズについて書いておきたいと思いました。
映画『リング』。
映画『らせん』。
そして小説『リング』『らせん』『ループ』。
このシリーズは、ただのホラーではありません。
「貞子って、テレビから出てくる女でしょ?」
もちろん、それは間違っていません。
長い黒髪。白い服。テレビ画面から這い出てくる異様な身体。あの目。
映画『リング』のラストは、日本ホラー史どころか、世界ホラー史に残る発明です。
でも、もし『リング』を「テレビから幽霊が出てくる映画」だと思っているなら、かなりもったいない。
『リング』シリーズの本当の恐ろしさは、そこでは終わらないからです。
むしろ、そこから始まる。
最初は「呪いのビデオ」だったものが、
やがて「ウイルス」になり、「DNA」になり、「生殖」になり、「メディア」になり、
最後には「仮想世界そのもののバグ」へと変貌していく。
これは、ただの幽霊譚ではありません。
貞子とは、怨霊である前に、増殖する情報である。
貞子とは、恐怖である前に、感染する物語である。
そして『リング』シリーズとは、ひとつの呪いがメディアを渡り歩き、
世界そのものを書き換えていく、壮大なSFホラーなんです。
第1章 『リング』の怖さは「出てくる怖さ」ではなく「もう終わっている怖さ」
普通のホラー映画は、「いつ襲ってくるかわからない」から怖いんですよね。
ジェイソンが森の奥から突然現れる。
幽霊が背後に立っている。
扉の向こうに何かがいる。
この怖さは、逃げるか、戦うか、隠れるか、という恐怖です。
いわば「これから何かが起きる怖さ」なんです。
ところが『リング』は違います。
呪いのビデオを見てしまった時点で、もう終わっている。
一週間後に死ぬ。
その未来だけが、先に決まっている。
ここがすごいんです。
『リング』の恐怖は、「これから何かが襲ってくる怖さ」ではありません。
「もう呪われてしまった」という事実を抱えて、
日常を生き続けなければならない怖さなんです。
小説版『リング』には、幽霊が直接出てきません。
怪物に襲われる場面もありません。
にもかかわらず、読んでいるとずっと嫌な気配がつきまとう。
後ろに何かがいるかもしれない。
でも振り返っても、何もいないかもしれない。
何もいないのに、もう取り返しがつかないことだけはわかっている。
この「ぼんやりとした不安」こそが、『リング』の核なんですよね。
映画版でも、冒頭に近い場面で、智子がコーラを飲みながら、
後ろに何かいるのではないかと感じるシーンがあります。
あのシーン、派手なことは何も起きません。
でも、異様に怖い。
テレビがついている。
部屋にひとりでいる。
何かが後ろにいる気がする。
ゆっくり振り返る。
この「何かいるかもしれない」の時間が、めちゃくちゃ怖いんです。
※智子役はまだ若い頃の竹内結子さん
そして大事なのは、あの時点ですでに観客も呪われているような気分になっていることです。
見えない。
でもいるかもしれない。
いや、もう始まっているのかもしれない。
この感覚。
これが『リング』の恐怖なんです。
僕が小説『リング』を読んで本を閉じたくなったのは、
まさにこの怖さだったと思います。
何かが飛び出してくる怖さではなく、
「もう読んでしまった」「もう知ってしまった」という怖さなんですよね。
ホラーなのに、読者自身が事件に巻き込まれているような感覚になる。
これが本当にうまいんです。
第2章 呪いのビデオは、ホラー史上最高の“意味不明な映像”である
映画『リング』を語るうえで避けて通れないのが、呪いのビデオです。
井戸の底から見上げたような映像。
鏡の前で髪をとかす山村静子。
一瞬だけ映る貞子。
三原山噴火の記事。
地面を這い回る人々。
布をかぶって指をさす男。
目のアップ。
そして井戸。
意味がありそうで、意味がわからない。
この「わかりそうでわからない」が、ものすごく怖いんですよね。
人間は、意味不明なものを見ると、無意識に意味を探そうとします。
これは何と何がつながっているのか。
これは誰の視点なのか。
この映像は何を伝えようとしているのか。
でも、いくら考えても答えが出ない。
この映像のすごさは、ただ気持ち悪いものを並べているわけではないところにあります。
そこには断片的な意味がある。
井戸の底から見上げる映像は、貞子が生きている間に見た最後の景色かもしれない。
鏡を見る山村静子の映像は、貞子が母の視線と自分の視線を超能力で混ぜ合わせた記憶かもしれない。
鏡に一瞬映る貞子は、幼い貞子が母に自分の能力を見せた思い出かもしれない。
三原山の記事は、母・静子を信じなかった世間への怒りかもしれない。
地面を這う人々は、「母の予知を聞かなかったからそうなった」という貞子の嘲笑かもしれない。
目の中に刻まれた「貞」の字は、これは私が作ったものだという署名かもしれない。
最後の井戸は、「私はここにいる」という居場所の提示かもしれない。
つまり、呪いのビデオは貞子の記憶であり、怒りであり、母への愛であり、署名であり、地図でもあるんです。
しかも映画版のビデオには、原作のような「お前は一週間後に死ぬ」という文字が出ません。
死の予告も、解決方法も、明示されない。
だから怖い。
説明がないから、観客は映像そのものに飲み込まれる。
言葉ではなく、視線と記憶とノイズで感染する。
これはもはや映像ではありません。
呪いそのものです。
小説版のビデオもまた面白いんです。
原作では、画面が暗くなったり明るくなったりする描写があり、
それが人間の瞬きのように感じられる。
つまり、これは誰かがカメラで撮影した映像ではなく、
誰かが「見たもの」なのではないか、という怖さがあるんです。
映像ではなく、視線。
記録ではなく、記憶。
撮影ではなく、念写。
ここが『リング』の根っこの怖さなんですよね。
映画の呪いのビデオって、今見ても本当に完成度が高いと思います。
短いのに、意味が濃すぎる。でも説明されないから
情報はあるのに、理解できない。
この「濃いのにわからない」感じが最高に気持ち悪いんですよね。
第3章 貞子は幽霊ではなく、ウイルスである
『リング』を本当に面白くしているのは、貞子が単なる幽霊ではないところです。
貞子は人を殺します。
しかし、ただ殺すだけではない。
彼女は、殺す前に一週間の猶予を与えます。
そして、助かる方法を残す。
ダビングして、誰かに見せること。
これは一見、ただの理不尽な呪いに見えます。
でもよく考えると、これはウイルスの行動に似ています。
ウイルスは宿主をすぐには殺さない。
宿主を使って移動し、他者へ広がる。
感染者をキャリアにして、自分を増殖させる。
貞子も同じです。
ビデオを見た人間は、一週間だけ生かされる。
その間に別の誰かへビデオを見せれば、自分は助かる。
つまり、貞子の呪いは人間の自己保存本能を利用して広がっていくんです。
ここが恐ろしい。
『リング』の本当の怪物は、テレビから出てくる女ではありません。
「自分が助かるためなら、誰かに呪いを渡してしまう」という人間の弱さです。
そして、これこそが『リング』のメタ的なすごさでもあります。
映画を見た観客は、上映後に誰かに言いたくなる。
「怖かった」
「あのビデオやばい」
「ラスト見た?」
「貞子がテレビから出てくるんだよ」
その瞬間、もう感染しているんです。
観客自身が、貞子の語り部になる。
恐怖を自分の中に留めておけず、誰かに話してしまう。
つまり『リング』は、劇中だけでなく、劇場の外でも感染していたんです。
小説版では、このウイルスとしての構造がもっと明確になります。
貞子の呪いは、天然痘やレトロウイルス的な設定と結びついていく。
貞子の念写能力とウイルスの性質が合体し、人間の身体を書き換えるものになっていく。
貞子は人を驚かせるだけの幽霊ではない。
人間の体内に入り、DNAに関わり、
生命の仕組みそのものへ入り込んでくる存在なんです。
「貞子=ウイルス」と考えた瞬間に、『リング』は一気に現代的になります。
怖い映像を見たら誰かに話したくなる。
SNSに書きたくなる。切り抜きたくなる。拡散したくなる。
これって、まさに現代の情報感染そのものなんですよね。
『リング』はVHS時代の話なのに、
いまのSNS時代の方がむしろ怖く感じる部分があります。
と、こんなことを書いているこのブログも・・・ですね。
第4章 VHSとブラウン管は、貞子に選ばれた最強のホラー装置だった
今の若い人には、VHSの怖さが少し伝わりにくいかもしれません。
でも、VHSというメディアは、ホラーアイテムとして異常に優秀だったんですよね。
まず、中身が見えない。
テープを手に取っただけでは、何が録画されているのかわからない。
再生しなければ、そこに何が入っているのか確認できない。
しかも、テープには物質感がある。
何かが磁気に刻まれている感じがある。
上書きすれば劣化する。
巻き戻しがある。
再生中にノイズが走る。
デジタルデータのように「消せば終わり」ではありません。
そこに何かが残っている感じがする。
そしてブラウン管。
ブラウン管テレビには奥行きがあります。
画面が少し湾曲している。
電源を切ると、自分の顔や部屋の後ろが黒い画面に映る。
鏡とは違う。
でも、こちら側と向こう側の境界のように見える。
貞子が出てくるのに、これ以上ふさわしいメディアはありません。
薄型テレビから貞子が出てきても、あの怖さにはならない。
スマホ画面から出てきても、たぶん違う。
DVDでも違う。
クラウドでも違う。
VHSとブラウン管には、あの時代特有の「向こう側」があったんです。
映画で高山竜司がテレビの前にいる。
画面が不穏に光る。
そこから貞子が出てくる。
あれは単に「テレビから幽霊が出た」ではないんです。
ブラウン管という箱の奥に、もうひとつの世界があったように見えるから怖いんです。
『リング』の恐怖は、1990年代のメディア環境と切り離せません。
だからこそ、時代を超えて語られる。
あの時代にしか成立しなかった恐怖を、完璧な形で封じ込めているからです。
VHSって、本当に怖いメディアだったと思います。
ラベルが貼られていないテープを見つけた時の、あの「何が入っているんだろう」という感じ。
再生ボタンを押すまで中身がわからない感じ。
あれはもう、それだけでホラーの入口なんですよね。
『リング』は、その不気味さを最大限に使い切った作品だと思います。
第5章 『リング』は、母を殺したメディアへの復讐でもある
山村静子は、千里眼の能力を持つ女性でした。
しかし彼女は、マスメディアに晒され、
見世物にされ、疑われ、追い詰められます。
嘘つき。
イカサマ。
インチキ。
そうして彼女は壊れていく。
その娘である貞子が、ビデオというメディアを使って世界に広がっていく。
ここがものすごく皮肉なんですよね。
母を殺したのは、メディアだった。
その娘は、メディアを利用して復讐する。
しかも映画版の主人公・浅川玲子はテレビ局の人間であり、記者です。
彼女が呪いのビデオを持ち出し、調査し、結果として呪いを広げていく。
つまり『リング』は、ただの怨霊譚ではありません。
メディアの悪性を、貞子が逆手に取る物語でもあるんです。
見せ物にされた母。
映像になって増殖する娘。
そして、それを追いかける記者。
ここまで考えると、貞子はただの被害者でも、ただの加害者でもありません。
彼女はメディア時代の怪物であり、メディアそのものを利用するイノベーターでもある。
そしてこれ、現代に置き換えるとさらに怖いんです。
いまならVHSではなく、SNSかもしれない。
ショート動画かもしれない。
炎上かもしれない。
切り抜きかもしれない。
都市伝説系YouTubeかもしれない。
メディアは人を傷つける。
でも、傷つけられた者がメディアを使って復讐することもある。
貞子は、その構造を先取りしていたんじゃないかと思うんです。
僕はこの「母を殺したメディアを、娘が利用する」という見方がとても好きです。
貞子はただ恨んでいるだけではない。
ものすごくメディアリテラシーが高い怪物なんですよね。
どうすれば人間が怖がるか、どうすれば広がるか、どうすれば忘れられないか。
そこをわかっている感じがするんです。
第6章 映画『リング』は、別れた家族が呪いに立ち向かうメロドラマでもある
映画『リング』がすごいのは、怖さだけではありません。
実は、人物描写がものすごく丁寧なんです。
浅川玲子と高山竜司は、元夫婦です。
ふたりの間には息子・陽一がいる。
この改変は大きいです。
原作では、浅川は男性で、高山は高校時代の同級生。
映画版はそこを大胆に変え、浅川を女性にし、高山を元夫にしました。
その結果、映画『リング』は「呪いを解く物語」であると同時に、
「別れた元夫婦が息子を救うためにもう一度チームになる物語」になったんです。
たとえば、旅館で部屋を別々にする場面。
ふたりは一緒に事件を追っている。
でも、もう夫婦ではない。
だから部屋は別々。
この微妙な距離感がいいんですよね。
図書館で浅川が息子に電話する場面もそうです。
高山はそれを見て、少し気遣う。
そして「俺が行くから、お前は子どものそばにいろ」というようなニュアンスで動く。
怖い事件の中で、元夫婦の感情が少しずつ戻ってくる。
そして高山の死後、浅川が警察に「妻です」と名乗る場面。
あれは、ただ中に入るための嘘にも見えます。
でも、そこには一週間を共にした元夫婦の、失われた絆の回復があるように感じるんです。
これらは、恐怖演出とは直接関係ありません。
でも、めちゃくちゃ効いています。
なぜなら、人間がちゃんと生きているから、死が怖くなるからです。
『リング』は、貞子の血の呪いに、浅川・高山・陽一という家族の血が対抗する物語でもある。
血縁対血縁。
DNA対DNA。
この構図は、続編『らせん』へとつながっていきます。
僕は大人になって映画『リング』を見返した時、
この元夫婦の話にかなりグッときました。
子どもの頃はただ怖かった。
でも今見ると、浅川と高山が陽一を救うためにもう一度家族の形を取り戻す話にも見えるんです。
だからこそ、高山の死がただのホラー展開ではなく、ちゃんと痛いんですよね。
第7章 『リング』はJホラーを始めた。そして、同時に一度終わらせた
Jホラーには、ひとつの重要なマナーがあります。
幽霊を見せすぎてはいけない。
見せないから怖い。
奥にいるから怖い。
ぼやけているから怖い。
はっきり見えないから怖い。
『リング』は基本的にこのマナーを守っています。
貞子はなかなか出てこない。
怖さは予感として積み重ねられる。
観客はずっと「来るのか、来るのか」と待たされる。
そして最後。
テレビから貞子が出てくる。
正面から見せる。
歩いてくる。
近づいてくる。
目を見せる。

これは、Jホラー的には禁じ手に近いんですよね。
でも『リング』はそれをやった。
しかも成功させた。
テレビから出てくる貞子の動きも、ただ普通に歩いているわけではありません。
舞踏家の身体。
逆再生による不自然な重心。
人間の動きから少しだけ外れた異様さ。
そして、まつげのない目の接写。
人間に見える。
でも人間ではない。
この絶妙な違和感が、観客の体に直接入ってくる。
つまり『リング』は、Jホラーの教科書ではありません。
Jホラーの理論を極限まで守ったうえで、最後に破壊した作品なんです。
だから『リング』以後のJホラーは大変でした。
真似すれば「リングっぽい」と言われる。
逆をやれば「リングへのカウンター」になる。
超えようとしても、すでに天井がある。
『リング』はJホラーを始めた作品であると同時に、Jホラーのひとつの到達点でもあったんです。
『リング』のラストって、普通に考えたらやりすぎなんです。
幽霊をあんなに正面から見せたら怖くなくなるはずなんです。
でも怖い。ここが本当にすごい。見せない恐怖を積み上げたあとで、最後に見せる。
このタイミングと覚悟が完璧なんですよね。
第8章 『らせん』は怖くない? いや、『らせん』は“変異”の物語である
映画『らせん』は、よく「地味」と言われます。
たしかに『リング』のような純粋なホラーを期待すると、戸惑うかもしれません。
『らせん』は、ホラーというよりSF医療ミステリーに近い。
でも、ここが面白いんです。
『リング』が感染の映画なら、『らせん』は変異の映画なんですよ。
『リング』では、呪いはビデオを通じて人から人へ広がる。
でも『らせん』では、その呪いがウイルスとして語られ、DNAとして語られ、生殖として語られる。
ここで重要なのが、「ダビングすれば助かる」というルールの再検討です。
本当に、ただダビングすれば助かるのか?
『らせん』では、陽一が助かりません。
浅川が父親にビデオを見せたにもかかわらず、陽一は死んでしまう。
なぜか。
ここで浮かび上がるのが、単なるコピーでは足りないという考え方です。
ダビングは、同じものを増やすだけ。
つまり無性生殖に近い。
しかし貞子が本当に求めているのは、ただのコピーではない。
自分のDNAを変異させ、別の形で増殖させること。
だから呪いを解く条件は、「拡散」ではなく「変異」なのではないか。
浅川は、ビデオの内容を手帳に記録した。
映像を文字へ変えた。
つまり呪いを別の媒体へ変異させた。
安藤は、貞子のウイルスを高野舞の子宮へ流し込む。
これは有性生殖であり、DNAの変異です。
宮下も、再生という形で変異に関わる。
そう考えると、『らせん』は一気に面白くなります。
これは、貞子の呪いが「コピーされる恐怖」から
「変異して増殖する生命の恐怖」へ変わる物語なのです。
正直、映画『らせん』は『リング』の続編として見ると戸惑う人が多いと思います。
でも「怖いかどうか」ではなく、「貞子の呪いがどう変化したか」という視点で見ると、
めちゃくちゃ面白いんです。
『リング』で始まった感染が、『らせん』で生命のシステムになっていく。
このジャンルの変化がたまりません。
第9章 貞子は子宮を探している。VHSは人工子宮だった
原作小説で非常に重要なのが、映画版では消えている貞子の設定です。
原作の貞子は、外見は女性ですが、
染色体的には男性であり、子宮を持たない存在として描かれます。
高山竜司は、貞子を男性性と女性性を兼ね備えた「完璧な人間」と捉える。
しかし貞子には、子宮がない。
だから、自分を増やすための子宮を探す。
その代替が、VHSテープなんです。
これを知ると、呪いのビデオの意味が一気に変わります。
VHSは、ただの記録媒体ではない。
貞子にとっての人工子宮なのです。
テープに念写する。
ダビングされる。
誰かの体内に入り込む。
ウイルスとして増殖する。
別の媒体へ変異する。
『リング』シリーズは、幽霊が人を呪う話ではありません。
子宮を持たない貞子が、メディアを子宮にして自分を世界へ産み落としていく話でもあるんです。
ここまで来ると、もうただのホラーではありません。
生命の話であり、遺伝の話であり、メディア論であり、SFです。
映画だけを観ていると、どうしても「貞子=怨霊」として見てしまいます。
でも原作まで読むと、貞子はもっと複雑で、もっと異様で、もっと生命体に近い存在なんですよね。
彼女は死んでいる。
でも、増えようとしている。
ここが怖いんです。
この設定を知った時、僕は『リング』の見え方が完全に変わりました。
VHSが人工子宮だと考えると、ダビングの意味も、呪いのビデオの意味も、貞子の目的も全部変わるんです。
これはもう、ホラーというより生命SFです。
鈴木光司さん、発想がぶっ飛びすぎています。
第10章 『ループ』で世界はひっくり返る。『リング』はついにサイバーパンクになる
そして原作三部作の最終作『ループ』です。
ここまで読んだ人は、おそらく驚きます。
なぜなら『ループ』は、もうホラーではないからです。
完全にSFです。
しかも、ただのSFではありません。
それまでの『リング』『らせん』の世界観を根底からひっくり返します。
『リング』『らせん』で描かれていた世界は、実は仮想現実だった。
AIによって作られたシミュレーション世界「ループ」だった。
つまり、貞子の呪いも、リングウイルスも、浅川たちの世界も、
すべてはループ世界の中で起きていた出来事だったのです。
ここでシリーズは、幽霊譚から一気にサイバーパンクへ飛躍します。
『リング』
呪いのビデオのホラー。
『らせん』
ウイルスとDNAのSF医療ミステリー。
『ループ』
仮想現実と世界の破滅をめぐるサイバーパンクSF。
こんなにジャンルが変わるシリーズ、なかなかありません。
しかも、無理やりではないんです。
ビデオに焼き付いた視線。
ウイルスによるDNAの書き換え。
メディアを通じた増殖。
情報が生命化する恐怖。
その先に、仮想世界という発想が待っている。
つまり『ループ』は突然の裏切りではなく、『リング』が最初から抱えていた
「情報が現実を侵食する」というテーマの到達点なんです。
映画版だけを知っている人が『ループ』を読むと、たぶん驚くと思います。
「え、そんな話だったの?」
となるはずです。
でも、読み進めると納得してしまう。
たしかに『リング』は、最初から情報の話だった。
ビデオという情報。
視線という情報。
DNAという情報。
記憶という情報。
そして情報が世界を変えていく話だった。
そこに気づいた時、『リング』シリーズのスケールが一気に広がります。
僕は『ループ』まで読むと、『リング』シリーズは本当に化けると思っています。
映画の貞子のイメージだけで止まっている人ほど、読んだ時の衝撃が大きいはずです。
ホラーだと思って読んでいたら、医療ミステリーになり、最後はサイバーパンクになる。
この変化、最高にワクワクします。
第11章 貞子は怖くなくなったのか? いや、貞子は勝ったのだ
今の貞子は、いろいろな場所にいます。
パチンコにもいる。
始球式にも出る。
パロディにもなる。
ネタにもなる。
笑われることもある。
では、貞子は怖くなくなったのでしょうか?
僕は、そうではないと思います。
貞子は、勝ったんです。
もともと貞子の目的が、自分の存在を増殖させることだったとしたら。
自分の記憶を、イメージを、名前を、社会に刻み込むことだったとしたら。
今の状況は、完全に貞子の計画通りではないでしょうか。
誰もが貞子を知っている。
映画を観ていない人でも、テレビから出てくる貞子を知っている。
長い黒髪と白い服だけで、貞子だとわかる。
これはもう、呪いの完成形です。
貞子はホラーキャラクターを超えて、日本文化の中に感染した。
怖がられ、笑われ、消費され、それでも忘れられない。
忘れられないこと。
語り継がれること。
何度でも再生されること。
それこそが貞子の勝利です。
怖がられるだけなら、ブームが過ぎれば終わります。
でも、貞子は終わらない。
怖いものとしても、ネタとしても、記号としても、生き残っている。
これは本当にすごいことです。
貞子がネタ化されることを「怖くなくなった」と見るのは簡単です。
でも、むしろ逆だと思うんです。怖いキャラクターが笑いの中にまで侵入した。
ホラーの外に出た。日常文化の中に入り込んだ。
これって、貞子という存在の感染力が強すぎた証拠なんですよね。
終章 『リング』シリーズを観ること、読むことは、呪いに感染することだ
映画『リング』だけを観てもいいと思います。
そこには、Jホラーの頂点があります。
見せない恐怖と、最後に見せる恐怖。
VHSとブラウン管が生んだ、二度と再現できない時代の怪物。
浅川玲子と高山竜司の元夫婦の物語。
そして、あまりにも有名なテレビから出てくる貞子。
映画『らせん』まで観ると、世界が変わります。
ホラーだと思っていたものが、ウイルスになり、DNAになり、生殖になり、変異の物語になる。
「ダビングすれば助かる」という単純なルールが揺らぎ、貞子の呪いが生命のシステムとして立ち上がる。
そして小説『リング』『らせん』『ループ』まで読むと、さらに世界がひっくり返ります。
呪いのビデオは、感染症だった。
貞子は子宮を探していた。
VHSは人工子宮だった。
そして『リング』の世界そのものが、仮想現実だった。

ここまで来ると、もう戻れません。
あなたが知っている『リング』は、たぶんまだ入口にすぎないんです。
テレビから出てくる貞子は、たしかに怖い。
でも本当に怖いのは、その後です。
貞子はテレビから出てきただけではありません。
ビデオから本へ。
本から映画へ。
映画から噂へ。
噂から記憶へ。
記憶から文化へ。
文化から、あなたの中へ。
そうやって彼女は、今も増殖している。
『リング』を観ることは、呪いの始まりです。
『らせん』を観ることは、その呪いの仕組みを知ることです。
『ループ』を読むことは、自分が立っていた世界そのものを疑うことです。
もし映画『リング』しか知らないなら、ぜひ『らせん』へ進んでほしい。
もし映画しか知らないなら、小説『リング』『らせん』『ループ』を読んでほしい。
きっと驚くと思います。
「貞子って、こんな話だったのか」と。
そして気づくはずです。
『リング』シリーズは、幽霊映画ではありません。
恐怖が映像になり、映像がウイルスになり、ウイルスがDNAを書き換え、DNAが世界を変え、
最後には現実そのものを疑わせる。
そんな、とんでもない物語なんです。
鈴木光司さんが生み出した『リング』は、ただの一発屋的なホラーアイデアではありません。
恐怖とは何か。
メディアとは何か。
生命とは何か。
情報とは何か。
現実とは何か。
そこまで連れていってくれる、恐るべきシリーズです。
だから、まだ観ていない人は観てほしい。
まだ読んでいない人は読んでほしい。
その瞬間、あなたもきっと、貞子のリングの中に入る。
そして、その輪は閉じることなく、らせんを描いて広がっていく。
僕があの日、通勤用に手に取った薄い文庫を、怖くて閉じて、でも30秒後にまた開いてしまったように。
きっとあなたも、ページを閉じられなくなるはずです。
怖いのに、知りたい。
やめたいのに、続きが気になる。
それこそが『リング』の呪いです。
そしてその呪いは、
今もまだ、生きているのです。
今日はリングシリーズの話でした
では!また
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