ロッタと空汰のおはなし


空汰に出会ったのは2008年の夏。

当時働いていた堀江のアパレルのお店に迷い込んできました。まだ0歳だった空汰。


その日にお家にお迎えしました。

奥さんは猫と一緒に暮らすことが夢でした。


憧れの猫と暮らす生活。

当時、賃貸マンションの12階に住んでいた私たち。一度、空汰がベランダの扉から逃げ出したことがありました。


慌てた私たちはアタフタアタフタ。

だってここは12階。

床に顔をつけて隣の家の防火扉の向こうを覗くと、遥か先のお家のベランダに。


どうしよう!お家にピンポンする?

でも、びっくりしてジャンプして落ちてしまったら。。。


二人で相談した結果、大好きな鰹節で誘き寄せるという安易な作戦に。


また床に顔をつけて

鰹節を手のひらにおいて

「くうーたー!ブシだよー!」と叫んだ。


そしたら、まさかの

猛ダッシュ!


秒で保護となりました。


そんなこんなで

翌々年、働いていた店舗閉店で34歳にして無職になってしまいました。


どうしようか人生に迷っていました。そして職安からウェブデザインの学校に数ヶ月通うことに。


毎日毎晩、ホームページを構築し

平行して展示会や伝手を頼りに取引先を見つけていきました。そのころはオンラインショップだけでは信用が少なくて、たくさんのメーカー、作家さんに取引を断られ続けました。

そんな頃も空汰を励みに頑張れた。




そして

20108月にオンラインショップ

lotta 」を開業しました。


その時にこのブログも立ち上げました。

名前は「今日の空ちゃん」

猫 空汰とロッタとおっさんの私生活を綴るブログとして開始。


実はごく最近まで「今日の空ちゃん」という名前でした。


実は当初のロッタは

「北欧雑貨と子供服 lotta」だったんです。


北欧で買い付けた北欧ヴィンテージ食器

を僅か。丹波焼などの暮らしの道具。そして北欧のものではない子供服。


自分自身でも考えがまとまらず

少し迷子状態でした。



案の定、甘くはない話で

全く検索しても上位ヒットせず

全く売れない。


ほぼ無職な状態の暗黒時代に

助けてくれた空汰。 


毎日毎晩、パソコンの横に来て

そこで寝る。時にはenterボタンの上に手がのってて連打とかも。





それからすぐ他の仕事を見つけ、そっちで生計をたてながらロッタを運営していました。


今の「北欧雑貨と暮らしの道具lotta

実店舗をオープンしたのは2013107日。




それから生活リズムは一変しました。

OLをしていた奥さんがお店に立ち

私は前職をしながら休みの日にお店に立つという日々。

2階から1階に移転する20163月までその生活は続きました。


その3年間は私にとって歯痒い期間でした。

お店一本にしたいけど、それだけ生活していけなかった。いつか、いつかと思いながら2016年の春にようやく今のカタチに。


その3年間は19時にお店を閉店し

イベント準備だったりレイアウト変更

そして試行錯誤のミーティング。


ほぼ毎日22時くらいまでお店にいました。


そんなときもずっと空汰はお留守番してくれてて、寂しい思いをさせてしまっていた。


それ以降も娘が生まれるまでは

お店ばかりで、深夜まで仕事をすることが多くほとんど家にはいないような生活でした。

真っ暗な部屋で待たしてしまうことが多かった。

空汰、寂しい思いばかりさせてしまって本当にごめんね。


仕事上、年に一度北欧に買い付けに行きます。だいたい期間は2週間。




その間、母や姉にいてもらったりして

空汰のお世話をしてもらっていました。


久しぶりに家に帰ってくると

最初はまさか?みたいな感じで二度見します。ハッ!て我に帰って「お帰り」ってしてくれる。  




なかなか帰ってこないから

心細かったやろうなぁ。もう帰ってこないんじゃないかって毎回思ってたやろうなぁ。

そう思うと本当に可哀想なことをしたと胸が痛くなります。


空汰は家猫だったから

お外の世界は0歳の時しか知らない。


2階の窓を少し開けてあげて

そこから見える小学校に咲く桜を見るのが好きだった。



今年もまた見たいだろうな。


空汰はロッタにとって

始まりで全て。


今、ロッタがあるのは空汰のおかげ。

ずっとずっとロッタの看板猫です。