よくある話だが、人には得意、不得意がある。
その得意な部分を利用する輩もいる。
たとえば、パソコンの得意な人、でも気が良く頼まれれば嫌とは言えず結局ボランティアになってしまう。
本当によく聞く話である。
世話好きでもないのに、人より気が利くだけで頼まれて断れない・・・
活用するのは大いに構わない。
だが利用するのは止めてほしい・・・
「活用」とは、その得意な分野を借り受けることである。よって等価交換に基づき、それなりの事で返さなければならない。
一方「利用」とは、便利よく使うだけのことである。
受け手によって「活用」されたのか「利用」されたのかが、変わる。
俺もよく利用される・・・こっちが活用されるつもりで請け負っても、相手は利用としか思ってない。
ここで、俺にも言えることだが断る勇気、前もって代価請求の勇気が必要である。
別に金銭でなくとも良い。
使う側の「申し訳ない」という常識的感情があればよいのである。
昨今、この常識が無くなってきているように思う。
一般人ならともかく聖職者でさえも人を平気で「利用」する傾向にある。
「利用」を「活用」に変える方法・・・それは等価交換である。
聖職者が平気で著作権を破る行為に及ぶ時も見た。咎め、必要な手続きを取らせたが憮然とした態度・・・
哀れなことである・・・また、自分が不得意であるがゆえに人に頼むのであれば、下手に出るのも常識であろう・・・出来ないことを頼むのであれば一任する覚悟が必要だと思う。
恋愛に関してもしかりである。
昔の話をすれば若人に笑われるかもしれないが、以前は自分の行動によって相手が不利になるか?を考えて行動したものである。
だが今は、相手のことなど考えず己の欲望のために相手を「利用」している。
結果、相手は地獄に突き落とされてしまうのである・・・
そのあと、己も相手を思い、地獄の場に赴いて相手を助ければ、まだ救いようもある。
だが、それさえもない「自分は関係ない」と逃げる・・・そんな軟弱な男ばかりになってしまった・・・
世も末である。
せめてそのような外道にはならないよう、日々精進して行きたいと思う今日この頃である。