保守系のイベントに参加した時、よく見かける光景がある。

 

日本の安全保障の話になった時、憲法九条が足かせになっているとか、
米軍は日本が本気で尖閣を守る気がないなら米軍は動かせないぞと考えているとかという話を識者がすると必ず、

 

「しかしそもそもはGHQが日本人の戦う精神を骨抜きにしようとして作った憲法」

「GHQが日本の弱体化を計って左翼を優遇したのがそもそもの・・・」

 

という、そもそも論による反論がでてきてしまう。
質疑応答の時間にこういう展開となることがもの凄く多い。
特に講師が元米軍関係者だったりすると100%こういった展開になる ぼけー
その度にゲンナリゲッソリしてしまうのでちょっと考えてみた。

なぜこういう展開になるのか。。

その結果、これは第二次世界大戦後の日米の関係性というより、
文化の違いではないかと思うようになってきた。

米は(よくいわれることだが)、

  • 常に多くの問題を抱える移民社会、格差社会なので問題解決の為に、常に先へ先へ、と変化すること自体がどういう方向性であれ善であり徳であると解釈されがち
  • だからいつも、10分先のことで忙しい
  • 歴史が浅く歴史に対して深い興味と敬意を持って学ぶということがあまりなく、国威発揚の文脈にとりこまれるだけ
  • 米国と多様な国からきた移民のルーツ国との政治的関係に触れると、多くのケースにおいては米=強者、他国=弱者の歴史なのでやりにくい。勢い、米国批判となる。 

従って、物事の因果関係を学ぶ機会が少ない


それに対し日本は、

  • 歴史が長く國體(天皇)がずっと続いているので歴史を学ぶのも語るのも楽しい
  • 国外での戦争経験が浅く、移民も少ないので、一貫した日本人からの視点で日本の歴史を誰に気兼ねすることなく学べる(学び舎の教科書を使わない限り)
  • よって因果関係を自然と歴史から学べる。もし過去の歴史に整合性がとれないことがあれば、そこに決着をつけないとダメだという考えがある


ザッと並べるとこういうことが齟齬の原因として思い浮かぶ。

米は日本に、

(いつまで昔の話を持ち出すのか。

いまの国家の安全を脅かす問題について、さっさと行動をとれメラメラパンチ!)と苛立つのに対し、
日本の一般の国民からは、
(そもそもキミらが押し付けた憲法よむかっむかっ)となる。

歴史の違いからくる文化の違いが生む、発想の違い。。
ではないだろうか。

ここは日米双方の文化通のような人たちがお互いの文化の違いを分かった上で、
しかし国防はなにより大事なので(福祉より大事です。命を守るラブラブものだから)
発想の溝を埋める努力をしたほうがいいとポン太は考えます。