オーティス・レディング 「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」 | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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オーティス・レディング」は、1941年生まれの、ソウル・ミュージックを代表するシンガーであり、ソングライターでした。

また、この世に存在した最高の、「魂のボーカリスト」と言われています。


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1962年、デビュー曲「ディーズ・アームス・オブ・マイン」を発表、R&Bチャート第20位のヒットとなりました。

オーティスのボーカルは、米国南部に生まれたことから、後に「サザン・ソウル」と呼ばれました。

ゴスペルを取り入れた深く太い彼の歌唱法は、サム・クックからの影響が強いようです。


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1964年、初のアルバム「ペイン・イン・マイ・ハート」を発表、全米でヒットしました。

サム・クック、リトル・リチャード、ベン・E・キング等のカバーを、熱く歌い上げています。


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当時、オーティスのバック・バンドを勤めていたのが「ブッカー・T&MG’s」で、彼らのパーフェクトな演奏が、オーティスの魂を歌に込めたボーカルを引き立たせました。


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1965年、ジェリー・バトラーとの「アイル・ビーン・ラヴィング・ユー・トゥ・ロング」を発表、R&Bチャート第2位となる大ヒットを記録しました。


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1967年、オーティスは、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演が決まりました。

が、ソウル・ミュージシャンが、それも黒人が、このフェスティバルに出るのは、とても難しいことでした。

おまけに、当時、彼が使用していたアンプは、ジミ・ヘンドリクスが使っていたものとは比較にならないほどの、貧弱なものだったのです。

しかし、彼の歌声が響き始めるや、それを聴いた大観衆は、心を虜にされてしまったのでした。

音楽に人種の壁が無いことを、彼は身を持って示したのです。



悲劇 ドクロ 飛行機

1967年12月10日、オーティスとバンドのメンバー、マネージャーとパイロット8名を乗せた自家用双発機ビーチクラフトモデル18が、次の公演地マディソンに向かうため、飛び立ちました。

濃霧のため、滑走路を見失った機は、近くのモンナ湖に墜落、オーティスを含む4名が死亡しました。


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事故の3日前に収録されていたのが、「ドック・オブ・ザ・ベイ」という曲でした。

この曲、1968年のビルボード・ランキング第1位に輝き、オーティス最大のヒット・シングルとなりました。


これを収録した日、オーティスは、

こいつは 俺の 

初めての ミリオンセラーになるぜ

そう言っていたそうです。


オーティス・レディングが活躍したのは、たったの5年間でした。

その間に発表された貴重な楽曲は、20枚のアルバムと、36枚のシングルでした。


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大きな身体を揺すってシャウトするオーティスの「魂(ソウル)の熱傷」は、今も色褪せることはありません。

つづく