「ミッシェル・ポルナレフ」と言えば、カールしたロング・ヘアと大きなミラー・サングラスです。
このファッションは、日本では井上陽水さんが大きな影響を受けたそうです。
それから、エルトン・ジョンも、彼の影響から、大きなミラー・サングラスを掛けていました。![]()
実はこの三人、サングラスを外すと意外なくらい可愛い眼をしているのです。
特に、ポルナレフは、女の子のようなまつ毛の長い、つぶらな瞳をしています。
ある意味、ロック・ミュージシャンとしては欠陥(
)だったのでしょう。
彼が大衆の面前でサングラスを外さなかったのも、何だか解るような気がします。 ![]()
ポルナレフが発表する楽曲は、そのほとんどが音楽チャートを賑わしました。
1966年の「ノンノン人形」に始まって、68年には「バラ色の心」が、レーモン・ルフェーブル楽団のカバーによって、米国で大ヒットしました。
69年、日本でのデビュー曲となる「シェリーに口づけ」。
71年には、アルバム「ポルナレフの世界」からシングル・カットされた「愛のコレクション」、「愛の物語」がヒットしています。
翌72年には、「愛の休日」、「僕はロックンローラー」と、立て続けにヒットを飛ばしています。
面白いのは、1972年発表のサード・アルバム「ポルナレフの世界」です。
この中には、インストル・メンタルの楽曲が、「愛の旅人達」、「コンピューターの夢」、「しかし、まだ旅は続く」と、3曲も収録されている事です。
ボーカルの入らないフレンチ・ポップスって、在りなんだなあ・・・って、面白いと思いませんか?![]()
私は、初来日の時に聴いた「トランペット」という曲に、衝撃を受けたことを今でも憶えています。
これって、インストル・メンタルなんでしょうかねえ。
彼は、口元に手を当てて、トランペットそっくりな音(?)、声(?)を出していました。
今でこそ、声優の山寺さんやグッさんが、ものまねでそんな事やってるのを見ますが、当時はビックリものでしたよ。
ポルナレフは、仏国での成功を片手に、1973年、米国への移住を決心します。
ラジオから流れる米国のロックを耳にしてからスタートした彼の音楽活動の終着駅は、やはり米国だったのでしょうか。
しかし、長年彼が憧れ続けた地での成功は、彼を待ってくれてはいませんでした。 ![]()
ポルナレフの音楽は、仏国という文化(言葉も含めて)と、米国のロックとが微妙に溶け合って作る、絶妙なバランスの中から生み出されたものです。
それなのに、彼が米国で、それも英語で唄ってしまったら、その魅力は半減どころか、無くなってしまうのは、当然と言えば当然のことだったかも知れませんね。 ![]()
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御歳66才になられる「ミッシェル・ポルナレフ」、ミラー・サングラスは、まだまだ健在なりです。
つづく