こんにちは!猫的LifeStyle のひらやぶ美保です^^
お盆休みも今日で最後ですね。
昨日の母から、昔話を思い出しておりました。
今日はそんなお話を。
長くなりそうなので、連載にしますね。
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基本的にひらやぶ家は、明るくて賑やかなお家でした。
仕事熱心な職人気質の父親と、家でミシンを踏みながら切り盛りする太陽みたいに明るい母。
そして、私を筆頭にした三姉妹。
施工管理師をしていた父は、仕事が大好きでほとんど家におりませんでした。
時々、早く帰ってくると機嫌が良ければハグして、ヒゲ面のざらざらなほっぺで私に頬ずり。
私はこの両親が大好きでした。
だけど、同時に大嫌いでもありました。
この両親は手をあげることについて、あるいは言葉で人を傷つけるということについて、暴力という認識のない人たちでした。
父は感情で、母は自分の都合で手をだす。
自分たちの意のままに動かないと怒る。
それを躾だと思っていたんだろうな。
今も覚えてますが、中学校になった時、妹たちに手をあげようとした父の前に立ちはだかって、ものすごい表情でにらみ合いをしたことがあります。
「妹は私が守るっ!!!」そういう気迫がメラメラしていたと思います(笑)
そこから、父は手をださなくなりました。
そんなこんなで、暴力(これは言葉も同じだよね)のもとで育った私は、
自信の持てない、依存的なものを自分の中で育てて大きくなりました。
だけど、おんなじように育った妹たちは、そんな影もなく、明るくて誰からも好かれる人気者。
家族でも一人浮いてたんだろうなぁ。
何をしても褒められず、
何をしても喜ばれず、
何をしても認めてもらえず、
期待をされたら、それを裏切ることばかり
何度、母親のがっかりした顔を見たことか(^_^;)
学校でも何となく、自分の周りには薄い膜が張っていて、
周りに溶け込めない感覚だった。
私はダメな子。
そういう烙印を自分自身でどんどん確固たるものにしていったのね。
劣等感の塊だったんだわ。
だから、母親に褒めてもらいたくて、愛してほしくて、気が付けばイイ子になっていました。
イイ子はラクだったけど、薄い膜は消えることがなかった。
そりゃそうだよね、本来の自分じゃないんだもん。
それでも中学校頃は、学校が楽しくて、そんな膜なんて、なくなっていた。
そして母となり、実家で両親とともに暮らす日々が始まると、卑屈な私が戻ってきた。
今思うと否定的な言葉の世界に、どっぷり浸かっていたんだね。
窮屈で、飛び出したいけど飛び出せない。
社会との接点もなく、気が狂いそう。
無理やり枠に嵌められて、私は籠の鳥だ。
なんでお母さんは自由に遊んでいるのに、私にはダメだしするの?
なんでお母さんは文句ばっかりなの?
こんなにがんばってるのに。
こんなにがんばってるのに。
とにかく働きたい、外に出たい。
親といっしょにいたくない。
矢印は自分だけ。長くなったので、今日はこのあたりで。
明日に続く。