こんにちは!平薮美保です
ここのところ、岸見一郎さん古賀史健さん著の「嫌われる勇気」を読んでおります。
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この本を読んで、自分の生き方が間違っていなかった(本当は間違いも何もないんですがね)という気がものすごくしており、とっても勇気づけられております。
私は実の両親と同居なので、子供の立場と親の立場を両方を同時進行で経験中。
この立ち位置自体、なかなか得難いギフトだなぁと最近思ってます。
だから子供とのトラブルがないのだなぁと妙に納得(笑)
さて、文中に「自由とは何か」というお話があり、そしてこう断言されています。
『自由とは、他者から嫌われることである』
他人に認めてもらいたい、という承認欲求は誰かの期待を満たすように生きること、なんですね。
そして、それをしている限り自由になれないと。
私はこの一文を読んで、19年前の出来事を思い出しました。
まだ長男が私のお腹の中にいて、妹が一足先に出産、里帰り中というシチュエーションで私に起きたこと。
それは真夏の一日でした。
姪っ子は2ヶ月になっていて、私はまだ妊婦さん。
当時、我が家の裏では小さいながらも花火大会があり、特等席で花火見物をした後は乗鞍へご来光を見に行くというのが我が家の定番でした。
夏というのに、夜の山はむちゃくちゃ寒くて、でも星がものすごくきれいなのです。
どこが天の川かもわからないくらい星だらけで、夜空を眺めているとあちこちで流れ星。
私はこの風景が大好きでした。
その時私は妊娠8か月。来年は子供が小っちゃいから無理そうだけど、今年は行けるなと思っていた私。
ところが、さぁ行きましょうという段階で、いきなり妹が
『美保ちゃんは妊婦さんだから、危ないしやめときゃー。代わりに私が行くから○○子(姪っ子)をよろしくね!』
と言い置いて、返事をする間もなく、あれよあれよと私は置き去りにされたのでした。
その時、母は
『明日の晩御飯にカレー作っておいてね』
と、さらりと言い置いて。
まだ母にもなっていない私に姪っ子を押し付けて遊びに行っちゃうんだから(^_^;)
私は心配で夜もおちおち眠られず、一晩を明かしたのでした。
そして夕方、私は言われた通りカレーを作り、家族の帰りを待っていたのです。
『ただいまー!』
と元気な声。
『おかえり。カレーできてるよ』
と、私。
『あ、ラーメン食べてきちゃった』
とケロッとして返事する母にプッチーン
『…カレー作っといてって言ったよね?』
『あはは、ごめんね~。ラーメン食べちゃったからいらないわ』
全然ごめんって聞こえないごめんねに怒りが爆発し
もういいっ!と部屋に引きこもり大泣きしたのでした。
誰も私の気持ちなんてわかってくれない。
という私の怒りや悲しみは、やがて
人は私が思うほど、私のことを思ってはいない。
という悟りになり、
ならば相手に良く思われようと思うのをやめよう
という決意に至ったのでした。
まさしく嫌われる勇気!
私は両親に認めて欲しかった。
それゆえに、イイ子でいなくちゃという意識が強かったんだなぁって思います。
気持ちを察して行動する。言われたことはちゃんとする。
自分の都合よりも親の都合で動く。
そういうの、得意でしたから(笑)
でも、イイ子になるのをやめました。
NOと言える自分になると決意したのです。
最初は勇気が入りましたよ。
こんなこと言って大丈夫かな?怒らないかな?てね。
だけど、自分の意見を言ったって、自分はこうしたいって発言したって
NOと言ったって、怒られることはなかった。
そう。
結局のところ、私は自分で自分を縛っていただけでした。
『私が私の人生生きて何が悪い!』
ってくらい、開き直った方がお互いにいい距離でいられるし、お互いがラクでいられるものですね。
プロフィールを創っていけばいくほど、私の伝えたいことはここだなって思うのです。
親子の関係をよくする事が、他人との関係まで良くしていくことに繋がっていくのだから。
今思えば、この事件があったからこそ、今の私に繋がっているのですよね。
人生はすべてギフトだわ。