しばらく前に「誤解」の記事にも書きましたが、歯科医療過誤で人生を台無しにされたという40代独身女性が居ます。自身のブロ愚でもその事に触れ、過去を悔やみ当該歯科医を恨み毎日を送っているようです。私に対しての反論、反感も凄く非常に不愉快な思いをしたのも事実です。しかし今回、この記事を書くのは別の意味からです。
交通事故で義足になったヒトがスポーツ選手になったり義足装具士になり活躍しているヒトがいます。前者では自身の活躍が弱者の生きる力になればよい励みになればよいと言われます。後者では経験を生かして如何に性能の良い義足を追求しヒトに喜んでもらおうと言われます。
これらの人らは交通事故の加害者を恨んで、自身の宿命を呪ってマイナスの感情をためていきていく道を選択されませんでした。交通事故という不幸をバネにしたわけなのです。これは並大抵の精神力ではできないと思います。
ヒトを恨んで自身の殻に閉じこもって生きるのは(前向きになるよりも)楽だと思います。しかし不幸でもあります。歯科に限らず医療過誤で人生台無しになった方も多いでしょう。気づかぬ過誤ならともかく、気づいて恨みを持ち続ける事で負が負を呼び込と思うのです。
私も歯科医でありながら、歯科医の誤った治療により「歯性上顎洞炎」を発症しました。現在も苦しんでいる事については先週書きました。私を治療した歯科医の顔も態度もはっきり覚えています。しかし40代独身女性のように恨んだり憎んだりしていません。許せない事なのですが、過去を悔やんでも何の解決にもならないからです。
この事で講義にあっては自身の経験(経過)を話ます。すると皆が熱心に聴きます。個別指導ではもっと具体的なデータを見せて説明します。医学書では学べないリアルな内容の講義になるのです。歯科診療では(上顎歯と)上顎洞に(の関係の)ついての画像診断を特に慎重になります。出来ない事に手を出さない主義も自身の嫌な経験からきているのです。
自身の責任でない事による不幸でも、亡くなったりそれに近い状態(不可逆的な)でない限り過去は流すべきだと思いました。