「おとな手当て」26000円あったら何に使いたい? ブログネタ:「おとな手当て」26000円あったら何に使いたい? 参加中


・・・生活費の足しにしてしまうのではないでしょうか。

定額給付金の時も同じように感じましたが、取り立てて消費に貢献しようとか、日本経済を成長させようとか、そんな風には思わないかなと感じます。


私だけではなく、消費活動というモノは矛盾に溢れていながらも 、その都度必要なモノを購入しているだけ。20代の頃には無駄な買い物もしたかもしれませんが、今は、たまに買うリラックマくらいで、あとは日用品や生活必需品を買うくらいで結構質素な生活を送っているように思います。あ、飲み代などの交際費は使っているかな?


私は、自分の行動を振り返ってみても、本当にシンプル世代だなぁと感じます。良いモノは良い、悪いモノは悪いという自分なりのスタンダードがあって、スーパーに行くにしても、たまにお取り寄せをしたりする時でも、その判断基準は割にハッキリとしていたりします。


一人で食事をするコトも多いので、スーパーに行ったところで、3千円のお買い物をしたところで、それで5食分を補ったりとか、お金は遣わないところには遣わない・・・。でも、アマゾンで書籍を購入数する時は、躊躇なくクリックをしていき、月に10~30冊程度の本を購入します。それは、おとな手当には関係ない私のスタンダード。


あとは、彼(8歳上)などはやはりバブルも経験している世代なので、消費行動などは、私などとは違うかな~と感じるコトもしばしば。時代や社会状況に関する見方も、私は、ベビーブーマー特有のリアルで覚めた目で見ることが多いコトを何となく・・・感じたりもします。


自己投資は、ある程度の強制感がないと人は使わないのではないかと思いますし、子供手当だって同じで、子供も判断出来ないでしょうし、大人にしたところで、その家計状況にもよるでしょうし、教育に回せる家計は既にお受験などの教育にその多くの回しているでしょう。


ちなみに、当社では、会社でセミナーや宣伝会議の講座に参加するための資金は、一定額を決めて、社員に投資をしています。一つの選択肢として、従業員の給与を上げてその中から参加費用を捻出する方法もあるかとは思いますが、これもある程度の強制力があった方が良いかも・・・という判断です。


生活に切迫していれば、家計の足しに回してしまうのは、当然のコトではないかと。・・・パチンコなどに使ってしまう親がいるのではないか?という声もありますが、語弊があるかもしれませんが、そのような親は、もしかすると既にギャンブル依存の範疇で消費者金融に借りるほどになっているかもしれません。


良い悪いは別として、そのような教育格差というモノは生じています。私は大学に行くコトが全てとは思いませんし、学歴というモノも否定も肯定もしません。社会に出れば、実力が全てと良いながらも、哀しいかな大企業では学歴というモノは重視されます。学歴を突破するには、突破するだけの力が必要。


”子供の好きなように。”という言葉もありますが、私から言わせればそれはある種の放置、放任でもあり、”何でその道を選択するの?”、”そして、何をしたいの?”と聞いていく家庭とそうではないご家庭とでは、やはり格差が生じているのではないかと感じています。


進路選択というのは、リアルな大人な世界に対峙するための一つの過程であり、その分岐点では、親はただお金を出すだけではなく、しっかりと話し合いをした方が良いでしょうし、そこで子供が迷い、時にはフラストレーションを溜めるコトもあるでしょうが、自己責任というコトもしっかりと伝えていかなければなりません。


ちなみに、幾つになっても、あの時の親が悪いといういい歳をした大人もいますが、社会に出れば、これまで選択してきた道も全て自分にのしかかってきます。そのことに目を向けず、過去を恨んだところで未来は変えられません。いい加減目を覚ましましょう。人のせいにする人生をあと何年送れば心地よいのでしょうか。


私は子供を産んだことがないので、それは理想論でしかないと言われれば、それはごもっともな意見だとは思いますが、ここはある程度の緊張感を持ちながらも、自己の発言をしていうブログというモノ。それが、パーフェクトに出来るというコトが前提ではなく、こうあれば・・・という発言であっても良いかと思うのです。


子供手当で子供の教育格差が埋るわけでもなく、また少子化が改善されるとは思いません。大人手当や定額給付金、エコポイントがあったところで、そこには、生産値は存在し得ません。価値や経済を創出するコトと、借金までして国家の財政から金のバラマキをしたところで何も考えない政治家が何も考えない人たちを生むだけ。


将来年金が貰えないところで、”あの時もらったじゃないか。”と言わせるような事柄があったところで、何になりましょうか。公開会社法?・・・だいたいですね。法律が多すぎ!戦後何十年も矛盾だらけの法律だらけにしちゃって、どうするのでしょうかって話。


最後に余談を一つ。私は、母親の再婚で父親の養女になりました。子供の頃はですね、医者に行くのが嫌だったんです。何故か・・・?当時は法律の改正もなされておらず、保険証の私の続柄には”養女”と明記されておりました。”子”と表示されるようになったのは、小学生の頃です。


大人になった今ではどうも感じませんでしたが、一人で医者に行った時に、受付の人に”あら、養女なのね。”と言われたコトもありますし、子供なりに傷ついたコトもしばしば。法律が悪い訳ではないでしょうし、心ない発言をする大人もいけないのでしょう。しかし、未だに戦後何十年時代にそぐわない法律も多い。


非嫡出子という言葉がありますが、私の父親は五人兄弟でそのうち父の姉と妹は、シングルマザーです。二人の子供は、成人している人もいれば、中学生の子供もいて、それでもしっかりと育っています。でも、未だに非嫡出子という扱いではあります。


父親は、私に”結婚はしなくても、孫は見たい。”などと好き勝手なコトを言うけれども、私にはその道を選択する気にはなれません。少子化問題は、子供手当で解決されるモノでもなく、女性の社会進出で生じた問題でもなく、その問題はあらゆる事柄が複雑に絡まっています。


※私は、端っから非嫡出子を生もうと思っている訳でもなく、自分が子供を産まないこと、未婚であることを法律のせいにしている訳でもないのです。でもねぇ、何だかんだと自己責任であるとはいえ、結婚もせずにいる女性で在るというコトは、責められることも多く、法律の問題ではなく・・・、生きづらい世の中ですなぁ・・・。