対峙する物事と状況により異なりますが、昔は、資料などを作成すると、”完璧に仕上げたい!”という衝動によくかられました・・・。
今は、そんなことも、減ったというか・・・。
仕事量が増えて、そんなに流暢なことも言えなくなり、また、完璧を目指すなどというコトは一種の自己満足であり、また”あり得ない幻想”に近いモノなのだというコトを認識しました。
それゆえに、完璧であることを自己に求めることは、やめてしまいました。
そんな訳で、“ま、いっか。”という言葉を口癖のように使っております。
基本は、納期優先なので、完璧ではなくても、”いいや”で済ませたりします。
ただ、本質は失わず、骨組み、肉付けがあり、装飾にどこまで凝るか?という話です。
その計画、実行に移るまでの構想は、きちんと考えます。
スビード重視で、効率化をはかるのも良いですが、本質を見失ってしまっては、設定したゴールにもたどり着けませんし、ゴールの設定であるとか、プロセスでも、”肝”をはずさないための”プロセスの設計図”は、大事ですから。
NGなのは、全てにおいて、設計図も何も描かず、”これで、いいや。”とごまかしてしまうコト。
それって、何も考えてないので、何かを得るコトも出来ないモノ。
いえ、全く何も考えていない訳でもないのです。考えてはいるのですが、ただ目の前のコトから、どう回避をしようとか、処理をしようとか・・・そういった考えであって、ゴール設定も何もなかったりするコトもあります。
その行動をするコトによって、結果として、どういったコトを達成するのか?何のために、その行動をするのか?得たい結果のゴール設定までのプロセスで、どんな確認事項が必要であるのか?その程度の思考を考える時間までをショートカットしてしまうと、やはり何も得られないモノ。
だとしたら、効率化をひたすら考えるのであれば、その行動を少しでも行ってしまう行為自体も、無駄な時間になってしまうのです。
常に、”これで、いいや。”、”ま、いっか。”で適当に済ませるコトと、仕事を丁寧にやり過ぎて、納期を守れないコトを回避するための、”(ここまでやったし、十分だろう。)これで、いいや。”とは、やはり違うと思うのです。
#クライアント先にて。(記事には、無関係。)
