父方の実家は、とんでもない田舎にあります。分家として農業を営んでいましたが、10数年前に祖父が亡くなった時、本家に敷地を渡し、今は家族が食べる分だけ、お米を分けてもらっています。 祖母は、父の妹と一緒に地元の新潟市内に住んでいます。
父は、5人兄弟の真ん中。姉が2人、妹が1人、兄が1人います。祖母は、一番下の三女と住んでいます。父方の生家に行くには、新潟市内から車で2時間ほど掛かります。父方のお墓は、そこの山の上にあり、お墓に行くには、車で山の中腹のお寺まで行って、その後は30分ほど山登りをしなければ、お墓に行くことはできません。
そんな山の中にあるので、5人兄弟のウチ、お兄さんだけは、お墓を新潟市内に移設しようと言っているのだそうです。兄弟全員は、新潟市内に住んでいますし、今では田舎にいる身内は、遠い親戚のみです。私や私の従兄弟達は、面識も薄く、また残った親戚の人達でも、40~50代の方も希なのです。
そうすると、お墓の管理などを考えたら、従兄弟家族のいる新潟市内に移設したいという気持ちは、理解できます。父を含め、他の兄弟の方も、お墓の移設に関しては、反対しているようですが、最近では聞かなくなった「分家」という言葉も時折聞くくらいですから、長男の発言は偉大なのです。
私には、11歳離れた弟が新潟にいますが、実は私と弟の間には、6歳年下の妹がいるのです。未熟児で、確か700gくらいで産まれたように記憶をしています。当時の医療では、保育器の中に入っても、青ざめたままの妹は、生後6時間くらいで亡くなってしまいました。
その頃、両親は私の住む母方の実家の目の前にアパートを借りて、そこに住んでいました。両親が再婚する前から、母方の実家にいた私は、そのまま母が妊娠しても、そこに住んでいて、時折、両親の家に遊びに行くという生活でした。両親と住むようになったのは、妹が亡くなり、母親が仕事を辞めてからのことでした。
いつものように幼稚園から、母方の実家に帰ると、母が帰ってきていました。私は、久しぶりの母と会うのが嬉しくて、妹がいないことにも気がつかず・・・、また母が哀しそうな顔をしていることにも気がつかずにいました。
数日すると、父が小さな箱を抱えて、やってきました。その箱は、仏前に置かれていて、それが妹の遺骨だったと気がついたのは、数年たってからのことです。普段は夜中に起きない私が、目が覚めて、寝ていた二階から階下に行くと、父が仏前で涙を流していたことが、脳裏に焼き付いています。
父の涙する姿を見たのは、そのときが最初で最後です。父は、祖父が亡くなった時にも、泣きませんでした。私は、そのときの父の姿を見たことは、未だに父には話せずにいます。
そんな父は、会うコトがまだ出来ていたときに、「あの娘がいるから、俺は絶対にあそこのお墓に入るんだ。」と言っていました。「エミや○○(弟)にも、たいしたことはしてやれてなかったけど、あの子には、本当に何にもしてやれなかったんだ・・・。だから、せめてお墓くらいは・・・な。」と。
そうか・・・。そうだよなぁ・・・。何とも言えない父の切ない気持ちが伝わってきて、私は思わず泣かずにはいられません。父は自分を責め、私は自分を責めてしまい、互いに会う時間は、拷問にもなりがちなのだということを後になって気がつきました。
私は、妹の命日になると、父のあの泣いている後ろ姿を思い出すのです。 それでも、どうにもならないコトは多く、何も出来ない何も成し遂げられていない自分が腹立たしくて、自分自身を殴りつけたくなるコトがあります。謝れば済むなんていうコトなんてないのに。