精度の増した天気予報が明日は晴れだと言い切っていた。たまには陽を浴びせるか。
缶チューハイとアタリメで時間を潰した後、洗濯物を干していると、犬の鳴き声が聞こえた。下の通りに目をやった。あれがいつも私の眠りを妨げる首謀者か。ジョギング中の女性に飛びつこうとしている。ナンパかしら。小型犬と飼い主のじいさんはまるで綱引き状態だ。毎朝こんな戦いが繰り広げられているとは思わなかった。
太陽におやすみと告げ、テーブルの上の空き缶と皿を放置したまま布団に倒れこんだ。
アルコールを摂取すると必ず短時間で眠りから醒めてしまう。意識と共にインターホンの音が徐々に鮮明になっていった。脳のモヤモヤを散らすように頭を掻き、ドアの向こう側へガンを飛ばしながら近づいていく。
覗き穴から外を確認すると、黒い瞳に視野を奪われた。こんな行動をとるのは1人しかいない。
「来る時は連絡してって言っ」
「連絡しなくてもこの時間は確実にいるでしょ。ちょっとお母さん急いでるから。はい、入って。こっちよ、この中」
「は?誰かいるの」
耳に蓋がされたのか私の質問に答える気配がない。母親に呼ばれて、大学生にもホストにも見える男の子がリュックを背負ってわが家に足を踏み入れた。私の周囲にはいない鼻筋の通った綺麗な顔だ。円らな瞳から発される視線が痛いほど刺さる。
「この子ね、ライト君」
「ライトくん?ど、どうも」
「おはようございます。はじめまして」
「この子はね…」
淡々と挨拶したかと思いきや、目が合った瞬間、ライトにウインクをされた。一気にとてつもない不安に襲われた。
うちの母親とはどんな関係なのか。
友達か彼氏か再婚相手か。
どこで出会ったのか。
騙されているのではないか。
仕事の傍らこんな若い男に現を抜かしているのか。
「で、何。お母さんの知り合い」
「今話したよね。そうやってボーッとしてるから、ここぞって時にチャンスを逃すのよ」
小さくても何かを私が失敗すると、母親は人格を否定してくる。只でさえ機嫌が悪いというのに拍車がかかってしまった。
「お母さんに似て、人の話が聞こえない時があるの」
「その口縫ってあげるわ」
「縫ってはだめです、寿子さん」
「うん、そうね」
1ミリグラムも感情が込もっていたとは思えないあの説得でよくも怒りを鎮められたものだ。
「ライト君は一応榛葉さんの親戚の子で、分からないの?あんたが心配ないさって呼んでた博士いたでしょ。その榛葉さんの所で住んでたんだけど、榛葉さんが入院することになったの。で、お願いされたのよ榛葉さんに、うちで住まわせてくれないかって」
「見る限り1人で暮らせそうだけど」
「可哀想じゃない。あんな大きな屋敷に1人でね、何かあった時に気づいてあげられないでしょ。だから承諾したんだけど、お母さんね仕事でしばらく海外に行くことになったの」
「は?」
母親のハの字になった眉から展開が想像できた。
その話のゴールは私の考えた軌道通りだった。
「帰ってくるまで、ライト君のこと置いてあげて」
「お母さん自分が何言ってるか分かってる?娘によく知りもしない男と暮らせって普通言う?」
「いい子よ。挨拶もちゃんとできるし、それに素直よ本当。意外と力持ちだし」
「ここ2人にしたら狭いし、それに」
「何にもない。あんたが心配するようなことは起きない起きない。ね?」
母親はライトと顔を見合わせた。互いに笑顔だ。
「こんなセキュリティの甘い安いアパートなら男と暮らしてるほうが利点があるでしょ。あ、今何時?」
「まもなく9時です」
「もう行かないと。飛行機乗り遅れるわ」
「は?今日発つの?」
「だから急いでるって言ったでしょ。じゃあライト君のことお願いね。分からないことあったら直接本人に尋ねて、コミュニケーションよ、コミュニケーション。ライト君、荷物運ぶの手伝ってくれてありがとね。じゃ行ってきます」
母親には質問も引き留める言葉も届くはずもなく、颯爽と旅立っていった。