今回は半年という長期にも関わらず1泊1000円ちょっとの宿に泊まり続けました。
そこは最近の常宿で、スタッフとも気心がしれていて大好きな宿で長期滞在中に病気や事故など何かあっても対応してくれるという信頼もあったし、初めの頃はバイクに乗れなかったのですがその宿ではウブドの中なら無料送迎のサービスがあった事や、チップを渡したらバトゥアンまでの送迎もしてくれる事。
そして何よりも本当に落ち着ける宿で色々と自身の心の整理をする事も目的のひとつだったのでその宿に居続けました。
朝はスタッフが他の宿泊者に朝食を作っている所に混じって私は自分の朝ご飯を作っていました。
そして、スタッフの一人ワヤンが必ず「ナビサン キョ、ベンキョ?」と聞いて来ました。
キョ、ベンキョ?は漢字で書いたら「今日、勉強?」
ワヤンとしては本当は「今日も稽古はあるの?」って聞きたいんでしょうな。
ワヤンのみならず、多分、バリ人が発音すると多分今日のウが言えず、何ともおかしな感じになるのがご愛嬌。
ほぼ毎朝の事なのに笑いが出そうになるのを堪えつつ、どこそこで何時から何をやってるよと答えるのが朝のお勤めの様でした。
が、その言葉が与えてくれたものが大きかったな~としみじみ感じています。
私は37歳の時、フリーランスの編集とライター業をしていた10歳年上の人と結婚しました。
が、3年後、40歳になった時、夫が突然”髄膜炎”という病気になり助かりはしたものの、重度の脳障害を負い1年半入院や施設に入所した後、自宅に戻り、私=介護者 夫=介護される人という形の二人暮らしに戻りました。
が、右半身の障害もあり重度の『高次脳機能障害』という前頭葉の損傷からくる後遺症で今まで生きて来て培った事のほぼ全てを夫は突然出来なくなりました。
おまけに『全失語』と言って話す事と読み書きの全てが出来ずコミュニケーションをはかる事はほぼ出来なくなり、食べる事や本をぱらぱらとめくる事以外の日常生活の殆どが出来なくなったので介護は本当に大変でした。
「もう一回二人で暮らしたい」
介護がしたいわけでもなんでもないけれど、夫婦なんだから一緒にいたい、と、そう思ったら私が介護をする生活しか選択肢はなく嫌だとか何とか言っている余地はありませんでした。
夫が発病して重度の障害者になって5年が過ぎ、その間に自分が失ったものを取り戻したい気持ちがいっぱいになり半年のバリプチ留学を決めました。
久しぶりに一人になってみたら、私は、自分の人生を開拓して行こうという気力や、それが出来るという自信や、自分の可能性を信じる気持ちや、そんなものが自分でも全く気が付かないうちに失われている事に気が付きました。
また、自分が一緒に暮らしたいと思って始めた介護なのに、夫の両親に結果的に押し付けてしまった事や、夫の意志を何も確認出来ないまま二人の生活を止めてしまった事などへの罪悪感も度々訪れて来て、そのムードに全身が捕われてしまうと本当に無気力になり、真っ暗な部屋の中で死んだようにベットに横たわる事しか出来ませんでした。
そんな時は宿のオーナー婦人のMさんとくだらない話しで笑ったり、怒ってみたり、出来もしないお金儲けの話しを延々として涙が出そうなほど笑ってみたり、、、そんな事で気持ちを紛らわす事が出来、日本語で話しが出来る事や、きっとMさんは私のムードで何かしらを察知していたのだろうけど、ほっておいてくれる優しさ、有り難さをしみじみと感じました。
また、宿泊客の年上の日本人女性との出会いも大きな影響を与えてくれました。
みんなからIbu(年上の女性、もしくは既婚女性の敬称)と呼ばれていた女性はお子さんも結婚しお孫さんも出来、これからまた自分の人生を生き直すよ!!という意気込みに溢れていましたが、そう思えるまでには言葉には出来ないような何か心に重くのしかかるような忘れ難い体験をされているようでしたが、そのような話しは、本当にふっと、まるで風がさらりと通り抜けるかのように話すだけで、それ以外はとにかく明るくいつも笑顔の強く優しい女性でした。
私はIbuといるのが楽しくていつもくっついて廻り夜な夜な(いや、昼間は昼間で)お互いに色んな話をしました。
が、夫についてはずっと話さないでいたのですが、ある日、一緒にビールを飲んだ日に飲み過ぎてしまったのか、うっかり言葉が溢れ出てしまい、ついでに涙も溢れ出てしまいそれまでの状況と、その時の自分の気持ちを洗いざらいぶちまけました。
Ibuは、静かに聞いてくれていましたが、時々、相づちを打つ様に言葉を掛けてくれました。
が、その言葉、ひとつひとつが、後々、Ibuが日本に帰国されてからも考え続けるような重要な言葉ばかりでした。
ふっと、その言葉を思い出しては、考える、しばらくして答えが出て納得する、それが本当かを疑ってみる、解らなくなる、また答えが出る、という時間をしばらく過ごしました。
そして、Ibuが何度も言ってくれた「ナビィさん、ゆっくりでいいんだよ。他の誰でもなくナビィさんが納得すればいいんだから」という言葉とワヤンの「キョ、ベンキョ」という言葉が合体しいつの間にか毎朝バイクに乗ってレッスンに行く時、「ゆっくり、ゆっくり、今日も勉強」と自分に言い聞かせる事が日課になってました。
夫との事は自分の人生で経験した事のない事で、その中でうごめく自分の感情の取り扱い方を私は知らなかったし、毎日が必死すぎて自分の感情を丁寧に扱う事も出来なかった。
だから今、こうして一人になって勉強中なんだと思う様になり、「勉強すればいつか解る様になるよ!」と思うようになりそのお陰で随分と心が軽くなりました。
心が軽く、そしてスペースが出来た今、新しい夢や楽しい未来や、そんな事がムクムクと現れるようになりました。
そして、自分にもまだ可能性があると信じられる様になった事、それは大きなギフトだったなと思い、バリへ行けてあの時間を過ごせて本当に良かったなぁ~と思っています。
そして一時期、心は大海で揺れる木の葉のように、どんぶらこ~~どんぶらこ~~~~~と頼りなく揺れまくっていましたが、
それでも、ひたすら毎日のように踊り続けていました。
泣きたい気持ちを抱えながらでも踊りを習う事が、自分の現在のあるがままを認め、受け入れ、どんな感情であっても許し、前に進もうよと思える強さを培ってくれたように思います。
今でも時々煮詰まると『ゆっくり、ゆっくり、今日も勉強』をつぶやいています。
