朝ごはんの後、気になっている方のところへおたすけに行こうと玄関を出たら、カメラを下げた年配の男の人が二人、声をかけてくださった。

男性「立派な建物ですねぇ。何年経つんですか?」

私「ありがとうございます。もう100年以上経ちます。」

男性「やはりそうですか。裏の方も見せて頂いてもよろしいですか?」

私「どうぞどうぞ!もしよければ、中を見ていかれますか?」

そんな流れで、教会内にお入り頂き、昔は金物屋をしていたこと、今は天理教一本で通っていることを少しだけお話させて頂いた。

「ありがとうございました」

お二人とも笑顔で帰られ、私も勇んでおたすけ先に向かった。

しかし、そこでは、

「もう来なくていいわぁ」

まさかのお言葉だった。

膝の悪いご夫人だったので、

「勧誘に来てるのではなく、膝のお祈りをさせて頂きたいのですが、、」

と言うと、

「膝は病院に通ってるからいいわ 私らより、もっと若い人のところ回りや」

ごもっともだと思った。けれど、今までは私が行くと喜んでくださっていただけにショックが大きく、
「そうですね、ありがとうございます」
と言うことしかできなかった。

単独布教中もこういうことは何度もあった。

久しぶりの感覚に、とまどいはあるけれど、これを繰り返して布教師は強くなることも知っている。

おたすけに歩いていると、お年を召された優しい方のところばかりへついつい行ってしまうけれど、もっともっと若い人のところにこそ行かせてもらわなければ、そう教えて頂いた。

そして、膝の患いをご守護いただくために、私は何をできていたかな、と振り返ると、何もできていなかったことを反省した。
神様に人さまのたすかりをお願いさせて頂き、そのご守護を頂くには、こちらの日々の心遣い、言葉遣い、行いが神様にお受け取り頂けるものになっているかが何よりも大事であり、まだまだ出来ていないことがたくさんある。

今回のことを無駄にしないよう、努力していきたい。