私は母の介護をすることは

娘の役目と思ってました。


わかりやすく例えるなら

私が母を背負いながら

将来へ続く1本の道のりを

眺めていた景色。


私はC型肝炎となって

それは間違いだったと気付かされます。


自分の治療をしながら

どこまで母の介護をできるのか?


また、

父の介護準備もしておく必要があると、

母の介護関係者からも

言われ始めてました。


3人のこれからを、

妹と話していたときのことです。


妹の言葉からは

父、母、私と、3本の道のりが

見えてくるのです。


〝私の人生は、

私だけの道のりを考えていいんだ〟

と、気付かされたのです。


知人からは

「介護の犠牲になってるみたいで

かわいそうだね」と言われてましたが、

私は犠牲と思ったことはありません。


けれど、

私が母を背負うような文脈が

会話にも表れていたのでしょう。

それが犠牲と写っていたんだと

納得でした。


外国に住む妹は、

私たち3人を冷静に見ていました。


もし母に何かあったらと思うと

私は、旅行に行くことも、

友人と1日出かけることさえも

気づけば3年間できなくなってました。


私がC型肝炎とわかって

これからを冷静に考えたとき、

「お姉ちゃんの人生なんだから、

自分のことだけを考えていいんじゃない」


その言葉に

私だけがいる

これからの道のりの景色が

ようやく見えたのです。


この気づきは、

介護という暗闇を歩くような道のりから

解放された思いでした。



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