かなりのお久しぶりでございます。
とりあえず、再開です。

さてさて。
再開早々で、重たい話。

○○障害って子がいます。
発達障害とか学習障害とか知的障害とか、もっと細かく分類すれば、もっと、いろいろ。
最近、このことでいろいろ考えることがありまして。
オイラは専門家じゃないし、学校の先生でもないから、教え子の親に対して、○○障害の疑いがあります、みたいな話をすることはタブーなの。
例えどんなに、極めて黒に近いグレーな子でも、ね。

で、教え子で、知的障害と思われる子がいてね。
小学5年生なんだけど、すごーーーーい遠回りで、かなりオブラートに包んで、お母さんに、そういった疑いを学校で言われたことがあるかどうか探ってみたらね、1年生の時に言われたそうで。
テストを勧められたんだって。
だけどお母さんは、「うちの子は普通です。なんで、うちの子だけテストを?他の子もみんな受けるならいいですけど!」って返したそうで、それっきり学校からは何も言われたことがないようで。
このことをお話してくれてるときのお母さん、怒りを思いだしたご様子で。
でもね、言わなかったけど、言えなかったけど、普通ってなに?ってお母さんに聞きたかったです。
お母さんが思う、普通、とは?

オイラが子供の頃に比べて、○○障害、って言葉が一般化されてきた。
昔は、落ち着きのない子、って言われてた子が、今は注意欠陥とか多動症とか診断結果がでる時代。
良いこととは思わないけど、最近は悪いとも思わなくなってきた。
実際、○○障害っていうものの症例に当てはまる子は多いからね。
それに、それが分かれば、そういう個性の子だと周りが分かれば、その子にあった、その子のための接し方ができるから。
わざわざ周りの子と同じ教育を受けて、居心地の悪さを感じたり、テストで悪い点を取っちゃったり、居残り勉強させられたり、あんまり良い思いをせず、成功体験や達成感を得られないよりも、その子のペースや得意分野、いきいきと頑張れることに促してあげればいいと思うの。
もちろん、何でもかんでも、ってわけじゃない。
いずれは社会に出るんだから、輪に入ることも大事。大人の手を借りないことも必要。

でね、その子のお母さんに伝えたかったけど伝えられなかったことは、今受けてる教育が、この子に、この子の理解力に、この子のペースにあってますか?ってこと。

別の子の話。
教え子のお兄ちゃんがアスペルガーだということを、ちょうど↑の話と同じ時期に聞きまして。
この子のお母さんは、そういう診断結果が出たことでラクになったそうです。
それまでは、自分の教育の仕方とか接し方とかのせい、と思ってしまったり、子供が学校でまわりに迷惑かけてないか心配だったりしたそうです。
でも、学校の先生の勧めで診断を受け、そういう結果が出たから、これからどういう接し方、教育の仕方、導き方が必要かが見えてきて、ラクになったって。
普通じゃないことを苦にしてしまっていたお母さんが、普通にこだわらなくなったわけです。
子供の個性に向き合えるようになったそうです。

前者のお母様を責めるつもりはないけども、もし周りの子を普通、という言い方をするなら、自分の子は普通じゃない、って見えるはず。
そんな偉そうなこと言えないけども、子供のため、ってことだけを考えたら、もっと、自分の子供ができることとできないことに敏感になるはず。年相応のことでね。
明らかに、5年生としては、社会性、学力、コミュニケーション力、表現力など、もの足りない。
お母さんが、それに気づいていない。または、認めていない。

言いたくないけども、この子を、かわいそう、と思ってしまう。
そんで、やっぱり、普通ってなんだ?っていう、答えのない問いが頭をグルングルン。
お久しぶり更新で。
今回はローマ字のお話。
ローマ字は、小学校3年生で習います。
実はオイラ、この時期に習うローマ字は、軽視してるの。
なぜかというと、あまりにもサラっとしか扱われていないから。
ヘタしたら、学校の授業2~3回じゃん?ってくらい、あっという間に終わっちゃう。
ただ、それでも子供たちは、ちゃんと自分の名前をローマ字で書けるようになるから、えらい。

で、最近、ちょっと考え方を変えまして。
それは、「ローマ字を習ったら、お母さんたちに声がけしよう」って思い始めたの。
よくよく考えれば、子供たちが次にアルファベットに触れるのは、英語の授業を除けば、小6算数の「文字を使った式」。
なので、英語の授業内容や先生にもよるけど、アルファベットを書く、読む、って機会が無い子もいるのですよ。
そんな子が中学に行って、単語を覚えられるか、間違ってもいいから読めるか。
例えば、rやlは、らりるれろ。
bは、ばびぶべぼ。
hやfは、はひふへほ、ふぁふぃふぇふぉ。
中学1年生の数人を見て、観察したんだけど、危うい子は、かなり危うい。
なので早速、小学校3年生のお母さんたちに、「ローマ字を習ったら、看板や標識にあるローマ字をどんどん読ませてください!」って言い始めました。

ウン十年前に習っている親世代から見ると、子供たちは、まさかと思うような思い込みや、理解不足なことがあったり。
あと、カタカナ後が増えすぎたせいで、日本語に言い換えることが苦手なような気がします。

まぁ、ローマ字に限らず、21世紀の子供たちは、20世紀育ちの親世代と、ちょっと環境が違うということを、親たちは意識しないといけないですな。
例えばね、一緒にお買い物とかにお出かけして、子供たちはところ構わず、DSやPSP。
親から見れば、こんなところにきてまたゲーム!?って怒りたくなる時がある。
でもね、残念ながら(?)、彼らには、どこでもゲームできちゃう環境があるのです。
それが当たり前なの。
だから、そんな環境で育ってない親世代は、「まったくもう。」って思いやすい。

言い換えるとね、良くも悪くも子供たちには、30年前と違う環境が整ってるの。
性犯罪といわれる事件だって、インターネットや携帯・スマホが無かった時代とはちょっと違う内容だし。

そんなわけで、改めて思ったのは、子供の目線の高さに合わせて、そこから見える世界に合わせて、子供たちを導かないといけないな、ってこと。
ちょっぴり残念だけど、20世紀育ちの大人の常識や価値観が伝わらないことも、たまにあるのです。

金曜日のお話。

中学3年生の女の子2人。


まず1人目。

この子は、現在、関ジャニに夢中。

暇さえあれば、関ジャニ聞いたり、DVD見たり。

ママさんも、あきれ顔。

で、それを元に、親子で大喧嘩。

そのまま大遅刻をして、教室にやってきて、着いた途端、大泣き。。。

かなり気が強い子なんだけど、結構長い間、グズってました。

親の気持ちも、子の気持ちも、わかる。

こんなときは、子の立場になりつつ、親の本音を違う言葉で伝えるようにしています。

第三者だから言えること、言いやすいこと、伝わることがあるんで。


で、↑の子がグズってたので、しばらく雑談しててさ。

ゴハンの時の『いただきます』の話になって。

オイラ、30歳過ぎて、さらに震災なんて経験してから、自然と『いただきます』が言えるようになったの。

もともとはあんまり言わなかったし、子供の頃なんてほとんど言わなかった。

けど、ここ数年、言うようになったのです。

自分で作ったり買ったりしてくるわけなので、作ってくれてるヒトに対しての『いただきます』じゃなくて。

普通に温かいゴハンを食べられることって、いいな、感謝だな、うれしいな、って思えるようになって。

毎日おうちで一人でゴハンを食べるわけだけども、ちゃんと声に出して『いただきます』って言うようになったのです。

そんな話をしてたのです。

そしたら、『泣きそー』って、もう一人の子が涙ぐんじゃって。

おいおい。

こんな話で。

純粋ね。


この時期の中3女子は、多感ですよ、ほんと。

今まで2次元に恋してたのに、急に3次元に覚醒したり。

昨日まで仲良し2人組だったのが、急に目も合わさないような仲になったり。

しぐさや振る舞いが急に大人っぽくなったり。

大袈裟にいうと、日ごとに、ご機嫌を伺わないといけないのです。


それに比べて、男子は、ラクなんです。

急激な変化はないし、同じ男同士ということもあって、調子にのせる、または、いい感じで『おいっ』ってつっ込んであげる、さらには時に厳しく言い放つ、を上手に使い分ければ、手に負えなくなるようなことはないです。


ま、結局ですね、中学生に対しては特に、上から目線は厳禁で、さらに、言い方、伝え方がかなり大事なんです、はい。

いろんな感情を、これでもか!ってくらい出してくれることがあるけど、大人はそれを否定はしないで、受け止めつつ、認めつつ、ちょっぴりずつ軌道修正をしてあげればいいんじゃないかな、と思います。

結構、忍耐ですが。。。

年中さんの女の子、年長さんの男の子、どちらにも共通してたことがあったので、ご報告。


まず、年中さんの女の子。

黙々と作業をやってると思ったら、途中から、目をいじりだして。

『目がかゆい』って。

たしかに、ちょうど前髪が目に入る長さに。

それ以降、目が気になって、なかなか集中できないでいました。


続いて、年長さんの男の子。

前髪が長すぎて、何をするにも邪魔になっていて、全く集中できず。

まぁ、おしゃれな髪型では、あるんですけどねぇ。


ってわけで。

些細なことと思うかもしれないけど、たかが前髪。されど、前髪。

前髪が、自分の子供がいろいろやることを邪魔している、なんて思うことは無いと思います。

女の子は、髪型が毎回違うことが多いので、前髪が気にならない日のほうが多いし、ママさんたちも、前髪が邪魔かどうか、女の子目線で考えてくれてるようなので、たまーに悪影響程度です。

だけど、特に、男の子は、ほんっっっっとに、前髪って、悪影響です。


これって、幼児だけじゃなく、中学生くらいまで言えることなんだけど。

ただ、当然、前髪が邪魔そうだけど集中できる子もたくさんいますが、それは、精神的な成長を伴っているから。

意識的に、または、無意識に、何かを理由にして、自分がやりたくないことやめんどくさいことを中断したいとき、前髪は、お手軽な言い訳になっちゃうのです。


おしゃれな子は、いいねぇー♪かっこいい♪かわいい♪、ってオイラも思います。

否定はしないし、実は、肯定しちゃいます。

けど、中には、『ママさん、ちょっと、考えてあげて!この子の目線で!』って言いたくなることもあるのです。

以前にも書きましたが、今週、やはり痛感したので、今一度。
にー、しー、ろー、やー、とー、って数える2飛びと、ごー、じゅー、じゅーご、にじゅー、って数える5飛びは、幼児や小学校低学年の間に、絶対にできるようになるべき。
今週痛感したのは、5飛び。

0~10の真ん中は5。
大人なら当たり前。
大人だけじゃなく、ほとんどの子にとって当たり前。
100~200の真ん中は150とかも大丈夫。
でも、不思議なことに、140~150の真ん中がわからなくなっちゃう子がいるのです。
普通に言葉で聞くと解る。
でも、数直線や、計りの目盛り、分度器の目盛りになると、読み取れなくなるのです。
そんなまさか、うちの子に限って、と思うお母さんもいるでしょう。
でも、事実なんですよ。

まず、真ん中には5が付く、ってのが概念としてあるかどうか。
それと、どの桁が5になるかを理解しているかどうか。
大きな数字だと、小学校3~4年生って、苦手な子が多いのです。
例えば、数直線上に19000~20000が書いてあってそのあいだに10等分の目盛りがあるとき。
1目盛りは1000だ!って、すぐにわからない子供もいて、真ん中を聞くと、19005とか、19050、なんて答えが結構多いの。。
あとは分度器。

分度器なんて、もう何年も見てないわ、なんて大人も多いかと思うんだけど、大体の分度器は、外側が時計回りで0~180度で、1度ずつの目盛りがついてます。

で、内側が反時計回りで、5度ずつの目盛りになってます。たしか。

この5度ずつの目盛り。わかりやすく、5度ずつに区切ってるわけだけど、逆に、これをちゃんと読めない子がいるもんなんですよ。


まぁ、分度器なんて、大人になったら使わないし、って思っても結構です。

ただ、5飛びが苦手な子に共通してることがあって。

それは、5に関する大きい数のかけ算が苦手。

例えば、500円玉が20枚あったら、いくら?みたいな。

さらに、10000円って、500円玉が何枚?なんて聞くと、大混乱に陥ります。


5飛びが上手にできない=時計が苦手、とも言えたりします。

時計の『分』は5飛びだし。

デジタル時計に慣れ親しんでるせいもあり、オイラは、低学年のときには必ず、『どんなに小さくてもいいので、アナログ時計をおうちに置いてください』ってママたちに伝えてます。


でもね、ITの世界でご活躍中の人の中には、

◎ アナログ時計、読めなくても良くない?だって、デジタル使えばいいんだし。

◎ お金の計算なんて、全てレジがやってくれるし。

◎ そのうち、全て電子マネーになるし。

なんて言う人もいます。

たしかに。

オイラは、もしそうなったとしても、全てを機械が代わりにやってくれるような世の中になったとしても、自分でやる能力は必要だと思うんだけどねぇ。

オイラ、もし自分の子供ができたら、絶対に鉛筆は右手、って決めてます。
仕事とは関係無く、お習字をやっていたというのもあり、右手!って。

で、予想以上に、左利きの子供って多いのです。
左手でも上手に書けるようになってる小中学生は、まあ、いいかな。
んでも、右手か左手かまだ決まってない、または、気分次第で使い分ける、さらには、左手で書き始めてる年中さん以下の方、ぜひぜひ、右手に矯正することをお勧めします!
おととい、左で書き始めてる新年長さんを見て、改めて思いました。

教科書類は、右手で書く仕様になってます。
お手本が左にある形。
なので、左利きだと、お手本を自分の手で隠すことになってしまうの。
まあ、そんなの気にしない、ってのも、あり。
事実、世の中に左で字を書く人はたくさんいるし。

ただ、経験上、偏見も混じるけど、左で書く子供って、なんか手を焼くことが多いの。
特に、集中力とスピードと体の姿勢。
因果関係は、わかりません。
絶対というわけでもない。
でも、左利きの子の印象が、あんま良くないのです。
利き手のせいじゃないかもしれない。
でも、利き手のせいかもしれない。
成長すれば気にならないかもしれない。
でも、気になるかもしれない。
なので、特に理由がないのであれば、お箸と鉛筆は、右手で。
お隣と肘がぶつかる、なんてのもあるし。
新学期・新学年ですな。
オイラも今日からが通常授業スタートで。
さらに、今日から新たに受け持つ小学1年生がいまして。
ってわけで、経験上、小学1年生の間に徹底させてあげたいことを書きます。

それは、座り方。
特に、足。
まず、足を組むのは論外。
小学生の高学年や中学生を見ていると、足を組むこととと、集中力が無い、学習に対しての忍耐力がない、ってのは、つながります。
結構、確率高いです。

あと、

いっつも足をプラプラ、ブランブラン、ジタバタ動かす
足は組まないけど、椅子の脚に両足を絡ませる
片方の足は椅子の上でもう片方は下
椅子の上で女の子座り

ってのも、あんまり良い記憶が無いです。
片足や両足を椅子の上、とか、椅子で女の子座り、ってのは、机が高すぎるときにやっちゃいます。
そういう時は、椅子の上で正座するように促してあげてほしいです。

足を動かしちゃったり、椅子の脚に絡めちゃうのは、椅子が高すぎる、ってこと。
椅子に座らせる時、両足、せめて、足の裏半分ぐらいは床に付くように調節してあげるだけで、違いがわかります。
椅子の高さが調節できないときは、足の下に箱などをおいてあげて、足の置き場を作ってあげることがオススメ。
ただ、これ、子供が嫌がる時がある。
だから、それを逆手にとって、
『足をへんてこりんにしてるから、箱、出しちゃおっかな。もう○年生なのに、恥ずかしいなぁ。』
なんて、プライドをいぢくってあげると、正しく座ることを意識してくれること多いです。

実は、長い目で見ると、座り方はかなり大事で、でも、おうちの学習机など、あんまり気にしないことが多いのです。
矯正するなら、小学1年生。
この期を逃すと、結構大変。。。
先週、めちゃくちゃ怒った子がいます。
中学3年になった子♀です。
このお仕事をしてきて今までで一番、魂を込めて怒りました。
内容は、道徳的なこと。
まあ、モラルと礼儀、です。
塾の先生は言うようなことじゃないけど、大袈裟じゃなく、今言わないと、この子の将来に関わる、この子の味方がいなくなる、この子が一人ぼっちになる、そんなことを思い、熱く訴えたの。

で、一週間たった今日。
いい子でした。
授業中、わけのわからん漫画をお絵かきしてたけど、いい子でした。
わかんない問題に対して、投げ出しそうになってたけど、いい子でした。
ちゃんと、何かは伝わってたみたい。

前のブログに書いた子の真逆なのが、この子。
素直に、いろんな反応をしてくれる。
ただ、考え、振る舞いが、あまりにも幼すぎるのです。。。
思ってることが、態度や言葉に出る。出過ぎる。
自分自身に素直すぎるのです。
他の先生も手を焼いてるの。

でも、それでいい。
その素直さ、そして、その反応が、この子の長所。
鐘を鳴らしてみたら、ちゃんと響いた。
例え、それが耳障りな音で響いて返ってきたとしても、オッチャン嬉しいのです。
今、受け持ってる新中学2年生の子♀のことなんだけど。
はっきり言って、困っております。
あまりにも無反応すぎて・・・。
中学生にもなると、良くも悪くも、自己主張をしてくれる。
それが喜怒哀楽に現れたり、反抗だったり、めんどくさーい、眠いー、とか。
でも、共通していることは、個人差はあるものの、向上心がある、ってこと。
それと、やっぱり、ラクして正答を導き出すことに対してはハングリー。
だから、オイラも、少しでもラクに、そして早く答えを出せるように、いろんな試行錯誤をしているのです。

で、その子。
オイラのアドバイスや助言をなかなか取り入れてくれない。
一方的に強制してるわけでもなく、その理由や目的も話してるんだけど、その通りにやらない。。。
今までを振り返っても、ここまで取り入れてくれないのは、この子だけ。
んで、反抗するわけでもない。寝るわけでもない。遊んでるわけでもない。
ただひたすら、自己流を貫くのです。

例えば、カレーにソースを入れるとコクが出るよ、と誰かに聞いたとする。
それを聞いて、試そうとする人と、試さない人がいると思うの。
冷やし中華にマヨネーズ、なんてのも同じ。
鶏肉をお酢で揉んでおくと、唐揚げにしたときにお肉が柔らかくなる、とかさ。
こういうのって、アドバイスに価値を感じた人は試してみるし、感じない人は試さない。

でも、天気予報はどうだろ。
今日は午後から雨です。大雨です。交通機関に乱れが出るかもしれません。
ってくらいの天気予報の時に、傘も持たずにお出かけする人はいるかな。
オイラがその子に伝え続けてるのは、この天気予報くらいのアドバイス。
聞いてくれりゃ、絶対に得。絶対にラク。
なのに、聞いてくれない、取り入れてくれない。

この子、おとなしい、とか、暗い、ていう形容詞も当てはまるけども、素直じゃない、っていう言い方が一番しっくりくる。
あと、喜怒哀楽も全く出さない。
挨拶もしない。挨拶が返ってこない。
個人としてオイラが嫌われているわけでもなく、他の先生でも同じ。
言うとおりにやりなさい!って怒っても、たぶん効果はない。
この子からは、素直さ、そして向上心が全く感じられないのです。。。
どこかで、大人の階段のぼるー♪って時がきて、変わってくれるのを待ってます。

やっぱり、考えてしまうのです。
この子は、いつからこうなったのか、って。
なんで、こうなったのか、って。
親や先生、友達とか、っていう周囲の人の話、いろんな所から得られるいろんな情報、そいうのを、取捨選択して取り入れる力、っていうのも、素直さや向上心だと思うのです。
というわけで、昨日の続きを。
文章問題、特に算数で。

中学生が方程式の文章問題を解くとき、必ず言うことがあるの。
それは『お絵かきしなさーい。』ってこと。
もちろん、絵を描くわけじゃなく、自分なりに情報を整理するための図や表を書きなさい、ってことです。
方程式なら、問題文にある情報をその図表に書き込み、書き込んだことによって新たに気づく数式を更に書き込み。
どうしても書き込めない所や、問題で問われてることを、xやyにして、更に更にその図表を眺め、等式を作り出すのです。

でも、そんな習慣がない中学生は、なかなか要領よくいかない。
だから、小学生の時から定着させてあげたいと思ってるんです。
たしか、小学校3年の算数で、図に書いて解いてみよう、ってのがあります。

Q.太郎くんは、150円の鉛筆を買ったら、残り400円になりました。最初いくら持ってたでしょう?
Q.みかんが35個あり、これはリンゴの個数の5倍です。リンゴ何個ですか?

みたいな文章問題で。
でもね、小学校3年だとね、いちいち図を書かなくても解けちゃうの。
逆に、解けない子は、図なんて書けないの。
つまり、この単元をやっても、図を書いて考える、なんてのは定着しないのです。
勝負は、小学校5~6年。割合をやるときと、道のり・速さ・時間をやるとき。
ここで、数直線っぽい図や横向き棒グラフみたいな図、さらには表にしてから考えさせることを徹底させると、図表の便利さに気づいてくれます。

んで、4年生になるまでにたくさんやっておいてほしいことがあって、それは、実際の物で数えさせ、考えさせること。
そうすれば、図や表を使って考えることに移行しやすいです。
年中さんが、1、2、3、4、5って数える練習をする時から是非とも。
1年生なら足し算や引き算、2年生なら九九、3年生ならさっきみたいな問題や分数・小数。
お菓子でもブロックでもキャラクターのカードでもお金でも何でも、ちゃんと実物を見せること、数えさせることです。
分数なんかは、ケーキやピザが使えます。
特に、低学年のうちに、勉強の時間ではなく、生活の中でいろーーーんなものを数えてほしい。見てほしい。数に関する自然な会話をしてほしいです。
オイラが1~2年生の親御さんたちに毎年言ってるのは、小銭を数えさせてください、ってことなんです。
親御さんの考え方によっては、お金にあまり触れさせたくない、ってヒトもいるけど、お金を数え慣れてない子って、高学年になっても、5、10、15っていう5飛びや、10、20、30っていう10飛びの数え方ができないんですよ。もちろん、絶対じゃないけど。

なんていうのが、オイラの文章問題のための施策。
読めば気づけますが、結局、即効性のある克服方法とは言えない。
結局、各年齢、学齢ごとに、やっておいたほうがいいことがあって、それをやるためには、学校ではなく、家庭、周囲のヒト、生活、社会などで体験・経験が必要なんだな、ってオイラは思うのです。

ただし、塾で教えている以上、たとえ、そういった体験・経験が少ないまま成長してきた子でも、なんとか引っ張り上げます。
その方法は秘密。。。