この愛の物語

 

1987年日本公開 監督/舛田利雄

出演/中村雅俊、近藤真彦、藤谷美和子

 

1982年に封切られた日本映画名作『蒲田行進曲』で妻の身篭った子供の為にもどんな危険なスタントをもこなしていく俳優の生き様、そして喜劇、そして悲劇。ここから来る男の愛情が他に類を見ぬ俳優魂に成り代わって映画にその生き様を焼きつけようとしたことがびっしりと伝わる映画だった。これを平田満や風間杜夫、松坂慶子らがそれぞれのパートを務め果たし、この原作もシナリオもつかこうへい、監督は深作欣二であった。そのつかの映画で交わされる会話にはどこか日本的で古臭くなく、意地っ張りなのにどこか嬉しいような、わかっちゃいるがどこか空気を読み誤っているような気がして先に進めないか、或いはわざとじらしているのか、そんな素直さの正解と不正解が繰り返されていき、究極の場に追い込まれて初めて交わされる気持ちの合致が最終局面を迎える節目となる。生憎といまだ全てのフィルモグラフィーを網羅するにはまだ時間など不足しているが、少なくとも『蒲田~』と本作『この愛の物語』は間違いなく良く出来た人情映画、松竹映画はやはり人間ドラマに強い。

 

久石譲が音楽担当を務めた松竹作品にしては珍しくロカビリーである。挿入曲に甲斐よしひろやBOØWYの曲も入っているし、東映からは同年に『シャコタン★ブギ』が上映されるなどハコスカ、シャコタンという言葉なども流行していた時期にこの映画の封切をチョイスするというのも何だか松竹らしい。宣材チラシのコピーには「日本映画はつまらないなんて言わせない」とまで書かれてあるのも、この映画を観れば納得の、もうそりゃあ、ボッカンボカンである。電車爆破や煙突まで倒した「西部警察」も負けてはいられない。ちなみに前作から5年、満を持してのお披露目となった作品であり、たのきんトリオが解散されてから4年後の封切だ。

 

スタントマン会社を経営する立花(中村雅俊)と妻の小夏(和由布子)との間に娘が無事に生まれたが、堕落しきったせいなのか、母体としても危険な状態にあった小夏はそのまま病室から飛び降りてしまった。

 

10年後。立花は男手ひとつで娘を育て、やがて10歳になったが、娘は父親を軽蔑していた。社長でもある立花の下で預かり育ててきた青年、妻の弟でもあった大介(近藤真彦)も一人前のスタントマンとして成長していた。しかし痛ましい過去を持っていたのは立花だけではなかった。立花の妻を同じスタントマンの親友、村雨(根津甚八)に寝取られてしまったことがあり、その子供が娘だったのだ。もちろんそれを知った弟の大介も怒り心頭、村雨を殴り続けたこともあった。村雨はその場から去って行った。小夏が子供を抱えることもせずに帰らぬ人になることを決めたのはそこからだった。

 

その会社ではいつ映画撮影でスタントマンの仕事がきてもいいように、常にメンバーは皆訓練を積んでいる。バイクやクルマのハンドリングは日常茶飯事、看板スターになっていた大介には女性ファンの黄色い声。そんな日々が続く中、その会社にひとりの女性がやってきた。料理人を探していたので、即座に採用決定。その近眼のブスッコは伊豆沼時子(藤谷美和子)といったが、訛りもひどく、料理も実はそんなにうまくなく、何かあればイキナリ車をいじるし、受けた人材注文は何でも受けちゃう始末で、撮影ロケに来てみたらそこまでできない仕事ばっかり。人が好い社長はこれも試練だからとメンバーを励ます。

 

男所帯のむさくるしい環境の中、この女性の存在は娘にとって大切な来客になった。話し相手が出来、また逆に自分を叱ってくれる人が来て内心喜んでいた。社長の立花は、この女性は車がいじれてしかもバイクも堂々と乗りこなすことを不思議がり、聞けばなんと。娘も喜ぶ傍らその時の会話が目撃され大風呂敷、あれから何年経つのとメンバーからさんざん冷やかされて2人の結婚話にまでいつの間にか発展してしまう。ただ、知らないのは時子ばかりなり。

 

吊り橋の上でのバイクアクションはさすがに危険で、メンバーも大介も臆していた。案の定、吊り橋からメンバーが落ち、そこに釣りに来て居合わせたかつての盟友、村雨が代役を申し出てきた。大介は村雨を目の敵にしながらそれでもスタントはこなしたが、マネージャーの黒岩(三上寛)も彼の帰りを待っていたが、村雨はまだだと言った。この事は立花には内緒にしてくれとメンバーに言い残して去って行く。

 

難しいスタントやサーカス・イベントをもこなしたり、そのうちビッグ・バジェットなムービーのスタントの依頼が立花たちのもとに飛んでくる。アメリカとの合作映画でヘリコプターをも使ったスタント計画も組まれているという。撮影中も意気盛んなことで知られる大道寺監督(原田芳雄)と組むことになった立花や大介たちはこれにどう立ち向かうのか。

 

ラスト30分ぐらいはあっただろうか、オールロケのアクション・カー・チェイスの連続は日本映画ではなかなかお目にはかかれない。JAC(ジャパン・アクション・クラブ)を始めとする日本でも屈指のスタントマンのチームが5チーム、この映画にかけられた保険は総額70億ともいわれた。外車ももちろん目白押しに登場し、ヘリもセスナも空を舞い、爆破を起こす。最後のクライマックスには本物のガソリンスタンドを爆破炎上させるシーンも用意された。その場で噴き上げられた爆炎は約50mともいわれる。この凄さに溢れたチェイスのシーンの数々は、日本映画でも記憶に残る稀に見るスタントの佳作の一本だろう。

 

人間関係もまた複雑でしかも厄介である。そこにはやはり立花の心からの溢れんばかりの優しさでいったんは解決、或いは落ち着きを取り戻す状況に持っていくことは出来るものの、やはり感情のブレが未だに燻るのが人間であり、例えばここでは姉弟愛だろうか。姉が傷つけられ、アルコール依存症まで患ってしまうという状況にまで陥った経緯を端的に示すこと、そして雨の中の村雨への仕打ちがその表れとなる。立花はその贖罪はもう充分だとしているかのように何も気にしていないが、人が足らず早く戻ってこないことのほうが重要なようで、そちらに対して憤慨している素振りを見せてはいる。しかし仕事面での不満を村雨のせいにはしていないフェアな性格が表れている。

 

社長やメンバー達の友情に囲まれて育ってきたスタント・チームの御曹子の大介と恋に落ちる時子との2人が見せる行動ひとつで愛物語が紡がれていくことになるのだが、こうしたアクロバティックな愛情表現もなかなか観ることもできない。いや、普通あまりないのだが、あとはサーカスで見かけることになるのだろうか。それはどうでも、傷はそれほど見当たらない来訪者の時子が抱える傷は、少なくとも傷ではなくどこにでもあるような恋慕である。その気持ちは(自身が知らなかった結婚話があるために)叶わぬ恋と認識した上での傷へと変化していくところがミソではある。

 

しかしながらアクション・シークエンスが優先され、しかもそれが大規模に展開されるために2人の物語はこれに便乗した形にしか過ぎず、全体的に印象が弱まる危険性が感じられた。そこで二人心中(?)にも見えるバイク・ジャンプを用意する手もある訳だ。これはジャンプするタイミングなどいわゆる一種のコンビネーションが要求されるから、そこに息が合っていればこその恋愛的カタルシスが体感できるように仕組まれていた。

 

繊細かつ生き様に満ちた名編である。