監督/マイケル・マン

出演/アダム・ドライバー、ペネロペ・クルス

 

映画『フェラーリ』公式サイト|7月5日(金)全国公開 (ferrari-movie.jp)

 

PG12指定作品。

 

世界の名車フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリ。

フェラーリ社が設立されたのが1947年、車の販売アピール力を上げるためにも自動車公道レース、ミッレミリアにも参戦、連戦連勝など目立った功績の数々をも残している。

 

ミッレミリアは日本でも行われているようで、クラシックカーで参加するタイムトライアル形式のようで、日本のタレント(堺正章や近藤真彦など)たちもこぞって参加していたあれである。ニュースでも毎年流れている。

 

このミッレミリアというレースはイタリアで1927年に初回を迎え、1957年に最後の幕を閉じる。30年しか続いていない。このイタリアで開催されていたレースも相当な盛り上がりを見せたはずだが、わずか30年という短い年数しか行われなかったのかという、まずは第一印象であっていかにも不自然な幕切れ、なんでだろうと思ったがそれ以上は調べなかった。いかにどうあれ、当時のレースチームらにとって最後の年と知ってか、事前に最後のレースと知らされてレースに取り組んだものと筆者は思っていた。しかしそうではなかった。この映画を観る者も、この当時の当事者たちも予測のつかない出来事が起きたのが、この映画の結末だったのである。

 

フェラーリ社創立してから10年後が舞台であった。

1957年、エンツォ(アダム・ドライバー)には妻ラウラ(ペネロペ・クルス)と早速険悪な雰囲気になる。しまいには銃口をも向けられる。それまでにはエンツォは他の女性と会っていたのだった。

 

フェラーリ夫妻でともにフェラーリ社を設立。そんな二人で経営していたのが、赤字逼迫。経営を立て直すにも、男女関係がこじれているようでは会社経営も上手く行くはずがないなと思って観ていた。

 

さらにラウラとの息子は既に他界、一方で別の女性との間には幼い息子がひとりいる。離婚しては再婚し、この生きている息子にフェラーリ姓を名乗らせるか、判断をも迫られる。あんまりな1957年だが、その葛藤の局面の数々をアダム・ドライバーが再現する。

 

原作は1991年に発表されたブロック・イェーツ『エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像』。「ブロック・イェーツ」と当ブログ内を検索して頂ければ、別のカテゴリ「車登場編」で『激走! 5000キロ』や『キャノンボール』が検索ヒット、ブロック氏のかつての活躍に触れているので、時間があればご一読を。映画業界でもかなり以前から関わっていた人物だったのだ。

 

原作が発表されてから30余年。マイケル・マン監督はこの企画をずっと温め続けて来たのだろうかと筆者は驚く。脚本を務めたトロイ・ケネディ・マーティンも既に他界していたことは以前に承知なれど、既に亡きシドニー・ポラック監督も関わっていたとは露も知らず。はて、どんな映画になっていたことやら。本編エンドクレジットには献辞が表示されていた。

 

アダム・ドライバーが初老の男を演じる。髪型がオールバック。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』で初めて彼を見て「ああ、こりゃいいわ」と思っていた俳優。そんな彼もマイケル・マン監督の陰のある男気ある人物像を演じる。これも楽しみの一つだった。

 

また音響面では『栄光のル・マン』を彷彿とさせた。轟音轟くエンジン走行音の連続。CG描写がまるで無いんでないかというリアリティー感溢れるフェラーリ・カーのなんと煌びやかな質感だこと。まるで体験できなかった映画館での『栄光のル・マン』をいま漸く追体験できたかのような感覚だった。『フォード vs フェラーリ』でもなかなか体験できなかった感覚だった。この映画はクルマ自体が本物志向であった。このリアリティ実現に大変なおカネをかけたこの付加価値に鑑賞料金が高すぎるとは言わせない、その心意気。