カッコーの巣の上で

 

1976年日本公開 監督/ミロシュ・フォアマン

出演/ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー

 

ケン・キージーは軍人病院の夜警として勤めていた時期に真夜中の合間を利用して書き上げた小説の原作者。この小説は瞬く間にベストセラーとなり、やがて名優カーク・ダグラスがこの映画化権を入手する。さらに1963年から翌年の間、カークはブロードウェイでもこの小説の舞台の主役を果たす。やがてチェコスロヴァキア出身の映画監督ミロシュ・フォアマンを見初め、仕事で出かけたカークは彼に会いに行き、原作を送付する約束をした。しかしミロシュの手元には結局届かなかった。当時共産主義運動とやらで規制も厳しかった同国の税関がこのスルーパスを認めなかったようだ。自身が主役を務めるにも既に遅く役柄の年齢に相応しくないと判断し、様々な紆余曲折を経てもなお実現しなかった映画化権を息子のマイケル・ダグラスに譲ることにした。それから1975年に映画化するまで実に13年もの時間を要したのだった。しかも第三者の手によって止められてであり、放置状態になってである。

 

山林の奥地にある州立精神病院にひとりの男が入院することになった。名はR・P・マクマーフィ(ジャック・ニコルソン)。彼は暴行罪などを幾度も働いた上での刑務所連行となり、そこでも強制労働から逃れたいがために仮病を装ってやってきた。カルテ上ではあくまでも好戦的で勝手な発言も多く、課せられた労働を嫌う傾向が強いと診断されていた。しかし院長(ディーン・R・ブルックス)との会話(釣りの話などはアドリブという)上などではそのような片鱗は一度も見せることがなく、意外にも素直に入院を認めたマクマーフィ。

 

精神病院の大教室では多くの患者が遊びに興じたり、鉄格子の外を眺めたり、一人踊ったり、ただ歩いていたり。そんな彼らに紛れ込んでこれから共に生活することになる。マックはそんな環境に溶け込むにもまるで時間はかからなかった。寧ろ患者たちを眺めてはあたかも嘲笑している、いや面白がっているようで、遊んで興じるカードゲームではみんなを仕切るほうだった。賭け事にみな自分から付き合い、患者によってはその時に限って不思議と正常に見えた。そんな彼らもあたかもこれから何かに押し潰されようしている予感。

 

ここでは日課が課せられていた。そのひとつにラチェッド看護婦長(ルイーズ・フレッチャー)らによるグループ・カウンセリングがあった。話の出来る患者が集まり、輪を作って囲んでみな自分のことを話すあれである。ティバー(クリストファー・ロイド)やビリー(ブラッド・ダーリフ)など一人一人の話を聞いていくうちに彼らのことを分かり始めるマックだが、一方でマックはこの婦長こそが彼らの自己主張をアアイエバコウイウ形で押し黙らせており、まさに乗り越えられぬ鉄壁の如く彼らを包囲し、みな彼女のルールに従わされていることに気づくのだった。

 

彼らの元気を取り戻す為にマックは次のミーティングで挙手発言、一計を案じる。この視聴覚広場のテレビでワールド・シリーズをみんなで観たい。しかし婦長はこれを却下した。

 

外のバスケット・コートでも遊びに興じる患者たち。そこで目立つのは巨漢のインディアン、チーフ(ウィル・サンプソン)。聞こえていないらしく、無口である。室内の広場ではいつもモップを手にしている。そんな彼にマックはボールの投げ方を躍起になって教えたりする。

 

マックは常に患者のみんなをその気にさせようと必死だった。必死というより寧ろ自由に近い喜びを感じるにはみんなで味わうほうが良いということを彼らの処方箋として我知らず患者たちに与えようとしていたかのようだ。例え実現できなくても努力することも大切だということも教えていた。

 

患者たちを見ていると、自己主張はできないわ、やる気はないわ、逆上するわ、都合が悪いことに怯えるわ、それでも自分のプライドは捨てないわ、要するに追い込まれて反論できなくなった人間が猫を噛む窮鼠になったも同じで、自分という人間というものを奪い去られた者達ばかりのように見える。ところが自分から入院を志願している者が殆どという、それはそれで自覚もしているのは見事ながら同時に社会では生きては行けぬことを素直に自覚しているという意味をも含有する。マックはこれを聞いて呆れるが、ほんの少し大雑把に見てみるとあらゆる理由で社会や環境に従わざるを得ない人とあらゆる幻滅的な理由で社会のために貢献することを止めて自由奔放に生きようとする人(ヒッピーやヤッピー、或いはこちらがアメリカン・ニュー・シネマである)との恐らくは2パターンに二分される。この相反する特徴の人間たちを病院という組織の中では統一して同じ治療法でまとめ上げてしまい、個別に対応しようとせずに日課を進めて行く管理職とそのやり方が見えていない上層部。この組織の玉虫の存在がいわゆるアメリカン・ニュー・シネマを誘発することになる。

 

その反社会性がヒッピーの世代に近い主張性であり、その前代がビート・ジェネレーションである。いわゆるアンダーグラウンド社会で生きる非遵法者の若者達の台頭となるのは例えばジャック・ケルアックがおり、それは1948年頃に初めて出没する。ドキュメンタリー映画『ビートニク』(01)にも取り上げられ、当時の理想は社会の中で喘ぐ若者達を刺激し続けた。この現象をケン・キージーも垣間見たのだろうか、彼も彼なりに刺激剤なるものを原稿に求めたのだろう。それがゆくゆくはバッドエンドなアメリカン・ニュー・シネマに重なっていくわけである。更に言えば、組織対人間の対立構図をベースにしたアメリカン・ニュー・シネマのうちハンディ・キャッパーを扱った作品はやはり見当たらない。また更に言えば、ミロシュ・フォアマン監督&ソウル・ゼインツの製作による著名な作品に『アマデウス』(85)がある。この映画でも中世ヨーロッパの精神病院を舞台にしているところが共通するあたり、何かしら気になる(恐らくここは解明されない)が、作曲家にして放埓地獄もいいところの環境の中にある偉人モーツァルトのいかに迷惑なことか。そこに特別な規制はない。才能は嫉妬と後悔と醜さに囲まれる。

 

この作品の原題は『One flew over the cuckoo′s nest』、なぜカッコー(cuckoo)なのか、英語の解る人は別によいが筆者も調べた限りなので所詮は憶測である。これはいわゆる俗的表現で「ばかもの(crazy)」という意味もある。カッコーの巣(cuckoo′s nest)だから集合体という意味を鑑みて「精神病院」と位置づけられる。ではこのカッコーが一体誰(或いはどんな人間)を指すのか、規制される側か、規制する側か、ひとつの建物の中で集まる集合体がやがて散らされていく蜘蛛の子たち。そして命尽き果てるカッコーの意味、アメリカン・ニュー・シネマのおよその定義を踏まえて考えれば自ずと見えてくる。この流れで行けばこんなに強烈な映画だったのかと考える羽目になるかもしれない。自由を謳歌するアメリカ合衆国は大陸そのものが空間でも、大陸上に多数点在する小さな空間でもこの両者で実に鬩ぎ合い、規制という壁を境に暴動にして喧騒を繰り返していくのだ。

 

ジャック・ニコルソンはハリウッドでも大ファンが多い。彼はMGMアニメ部門(『トムとジェリー』にも関わる)にいたことがあったが、俳優部門へ転身、やがて受賞者常連となる。鼠にも似た面持ちだがその顔つきから誰にも、そしてお互いにも相容れぬ存在感を確かなものにできる俳優だ。