私の頭の中の消しゴム

 

2005年日本公開 監督/イ・ジェハン

出演/チョン・ウソン、ソン・イェジン

 

国内では韓流ブームという言葉が今もあると思う。いや、もう定着しているから、死語だな。2003年にNHKBS2で韓国ドラマ「冬のソナタ」(全20話)が放送され大ヒット、台湾や香港でも既に使われていたというこの言葉が日本でも大流行した。主演はペ・ヨンジュンとチェ・ジウ。

 

韓国映画に関して、この時期ほど韓国映画が目立ったことはかつてなかった。2002年の日韓ワールドカップの共同開催も話題になり、21世紀を迎えんばかりの時期に始まった政府を絡めた事業は、日韓交流と称して瞬く間に映画業界にも広がりを見せていた。役者に障害者を演じさせた韓国映画には『オアシス』(04)や『マラソン』(05)などがあり、ドラマ・映画関連では先の「冬ソナ」が先陣を切ったといえ、今では『パラサイト 半地下の家族』(20)が米アカデミー賞でも最優秀作品賞を、英語ではない映画作品として、史上初めて受賞するまでになった。日本でもこの映画は大ヒットし、それまで国内韓国映画興行収入第1位だった『私の頭の中の消しゴム』を超えた。元第1位だったこの作品は、2001年日本テレビ系列放送「Pure Soul 君が僕を忘れても」のリメイク映画である。アルツハイマー症候群を患う若い女と、その彼女を支える男の純愛物語。

 

駅のホームでずっと待ちぼうけをさせられている女性がひとり。男は来なかった。いったんは出て行った実家に帰り、全てを忘れるために長い髪まで切ろうとしていた。そこで美容師がいう。時間が解決してくれる。時が経てばより一層病状が進むかもしれない予感がする重い台詞。リピート鑑賞していつも毎回こう思う。

 

彼女、キム・スジン(ソン・イェジン)は健忘症という病気に罹っており、物忘れが普通より多めだった。駆け落ちの約束を破られたその夜、寄って行ったコンビニで財布と缶コーラを忘れていったその折、すれ違いざまに見かけた、男の持っていた缶コーラを間違えて飲み干してしまう。

 

ある日、建設会社社長の父親と建築現場に向かい、そこで待っているとあの男が出てきた。缶コーラの男だ。名をチェ・チョルス(チョン・ウソン)といった。彼もその現場の大工だったのだ。

 

スジンは仕事場が異動になり、問題のあった現場で大工を呼ぶことにした。大工は誰がいいか、父親に相談するスジン。父親は即答で大工業者をひとり派遣させた。その当日、待っているとまたその缶コーラの男がやってきた。自動販売機で缶コーラを買うと、後ろからチョルスにそれを取り上げられては飲み干された。

 

そんなことがあって、スジンは帰り道に笑いながら歩いていた。そんな時に引ったくりに遭う。チョルスは車のドアを使って犯人のバイクを食い止める(イ・ジェハン監督はアクション映画を撮りたがっていた)。やがて夜になり、車が半壊のまま、チョルスはスジンを送る。

 

そのうちにスジンはチョルスに興味津々。屋台の飲み屋で偶然に出会うふりをして合流。やがて二人は恋人同士を始めることになる。それにしても音楽がいい。音楽監督はキム・テウォンが務めたが、オーケストラを敢えてほぼ使わず、異国情緒溢れる選曲を行うことで二人のデートのシーンの数々を盛り上げてくれている。あの二人の夕陽のシーンは実に上手く撮れていた。音楽とともに印象に残るシーンだ。

 

二人で食事をしている時にスジンの家族もやってくる。同席する家族だが、その頃には二人は結婚観について意見が合わず、口論になっていてスジンにはストレスが溜まる一方だった。席を外して雨の中を歩くとスジンは倒れた。病院に連れていくチョルス。その男の後姿を見た父親はただただ驚いていた。結婚を認めるきっかけになった。そして結婚式。

 

二人はこうして幸せになるが、スジンには帰り道が途中でわからなくなるなどの悩みを持っていた。夫であるチョルスに迷惑をかけなければいいけど。思い切って脳の専門医を訪ねてみることにしたスジン。

 

1906年にドイツ人医者アロイス・アルツハイマーが研究を公表。認知症の一つであり、高齢になればなるほど罹りやすい脳疾患とされ、しかしながら若年層においても発症がみられるという。生活機能障害、見当識障害、言語障害、記憶障害などの具体的な症状があるとされる。原因は不明。薬物治療面では、2023年現在において発症予防効果が期待される薬剤が厚労省で初めて承認が下りたともいうが、はて名前はなんだっけ。ああ、レカネマブだ。

 

韓国ではこの映画にはPG‐13指定がなされている。日本における筆者には、まあ当時30歳前後だったから全く気にしてはいなかったが、それより感想はあまりたいして書けない気がした。あまりにも良い映画すぎて、思わずこの映画は問題ないと判断してしまうのだった。ただそれだけなのだ。

 

確かにこの映画は良く出来ている。先にも述べたように全編にわたって音楽の采配もいいし、物語の伏線として純愛ドラマと闘病ドラマとのバランスが取れている。闘病といっても病気の真相を知らされたスジンや、それを追いかけて真相を知ったチョルスがただ泣いているだけなのだが、それほどしつこくない。ねちっこくもない。

 

記憶をなくしたスジンがふとチョルスを思い出す。泣きじゃくりながら脳がどこかへ消え去ってしまう前に、焦って急いでチョルスに宛てた手紙を書く。ここが悲しいなと思う。

 

監督イ・ジェハンはこの映画で、日本で初めて名前を広く知られるようになる。長編映画としては二本目で、一本目は韓国内でその年の5月ごろに予告をかけてクリスマスに上映し、興行的に大失敗を喫したという。それまでは短編映画を40本以上制作、同時にミュージックビデオ撮影をもこなしてきた。しかしこの映画で日本でも大ヒット、以後映画撮影を繰り返すがこれといった作品に恵まれていないようだ。

 

片や日本でもアルツハイマー症候群という名称が広く知れ渡るようになったのも、遅まきながらこの映画の封切がきっかけだったようにも思う。筆者にとっても、それより前にどこかで聞いたかもしれないが、あるとすれば1985年に上映された日本映画『花いちもんめ』、監督は伊藤俊也、主演は十朱幸代、千秋実。おじいちゃんがボケになっちゃった。さあ、大変だ。この家族では大変な事件だ。この当時は「老人ボケ」と呼称されることが主流となっていて、アルツハイマー症候群という用語はそれほど流行っていなかったという気がする。

 

それというのも筆者の拙い感覚でしかないが、逆に医療機関における診療科目のオープンさとでもいうか、明細発行の機会が増加した傾向が自分の周りで目立つようになってきたというのはある。高齢化社会に対する意識がそうさせているのかもしれない。実際、筆者も親を介護する年齢にもなっていることだし、なにより意識が違う。

 

こうした意識の違いはあれど、この記事を読む世代がまだ若いとなると、この映画から各々がどう影響を受けるだろうかと気にはなる。医学が進歩している現代において既にこの映画は重宝されて然るべきであるように思う次第である。

 

なお、2016年『私を忘れないで』ではチョン・ウソンが製作・主演を務める。共演はキム・ハヌル。今度はチョン・ウソンが記憶をなくしている映画である。よりしっとりとした出来の映画だったが、それにしてもこの十数年の韓国で映画の作り方は幾らか変わってきていたのかもしれない。韓流ブームという言葉はまだ活きているのだろうか。