F1グランプリ 栄光の男たち

 

1976年日本公開 監督/クロード・デュボク

出演/ニキ・ラウダ、ジャッキー・スチュワート

 

F1グランプリは現在とは異なる形ではあるが、1906年のフランスで開催されたのが始まりであるとされる。その後、エンジン排気量や車両重量規制など各方面でのレギュレーションが幾度となく改正され、また1920年代にはヨーロッパ各地で行われるようになる。戦後になり一時中断していたこのオートレースを国際自動車連盟(FIA)は新たな規格を提示、制定、のちにそれを正式に「F1グランプリ」と呼称されるようになる。エンジンについての専門的な話はともかく、車体の外観についてはここに挙げる2本の映画の間では明らかに異なっている。後者に挙げる『グラン・プリ』の方が時代を遡る格好となるが、初期のレース・カーは円筒状のものが多く、更に進んで葉巻型と呼ばれるものも出てくる。おそらくこれに近い型式のものがこの『グラン・プリ』に登場する形になっているわけで、そのおよそ10年後には現在のものと似たような形でウイング・カーと呼ばれる車体のものが登場する。あいにく前者の『栄光の男たち』の上映時期とは前後するが、詳細についてはテーマ上深くまでは関係がないので割愛するとして一説ではこのウイング・カーまたはグラウンド・エフェクト・カー(地べたにくっついて這い回るように進むと共に風の抵抗も軽減させる車体)が1977年にロータスが開発したという。この同時にはどこかしらターボエンジンも導入、次第に技術面での向上が競争を激化させていくものとなる。その間、数多くの名ドライバーを輩出することとなり、アルベルト・アスカリ、ファン=マヌエル・ファンジオ(『世界残酷物語』(62)の名匠グァルティエロ・ヤコペッティのシナリオによる『グレート・ドライバー』(80)が詳しい)、ジャッキー・スチュワート、ニキ・ラウダ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ、ルイス・ハミルトンなど登場する現在に至る。

 

もちろんこの時期での日本への放送中継はなかったそう。1987年には約10年ぶりに開催するF1グランプリとして話題となると共に中嶋悟の活躍もあってフジテレビジョンはFIAに放映権入手を打診、全レース中継を条件にゲット、今となっては根強いファン層獲得に成功したといえる。

 

この前者『栄光の男たち』は一種のドキュメンタリー映画であり、封切当時は中継も無かったのでファンがこぞって大入りしたという。1973年のシーズンを中心にドライバーたちのありのままを捉え、ビジネスや私生活などから心情のブレ、孤独さなどから生き様を切り取っていき、観る側に伝えていく。スチュワート、ラウダ、フランソワ・セヴェール、マイク・ヘルウッド、ピーター・レヴソンなどが出演、インタビューに答えていく。なかでもスチュワートによる、ドイツのニュルブルクリンクのコース解説は実に分かり易く、そのコースをどれだけ走り込み、いかに情報を各方面から取り込んでいるかがわかる。その情報整理の巧みさと情報容量の深さには驚くばかりである。このポイントは『ミシェル・ヴァイヨン』自身が目をつぶって運転しているシーンにも通ずるのだが、あれはあれで凄いなんてものではないと言わしめるほどのフィクションではあるが。

 

レース・カー車体に車載小型カメラはもちろん搭載されているが、中にはそのフィルム映像の露出を過度にした、或いはリトグラフにしたようなシーンをずっと流している箇所もある。これには巧いなと感嘆させられたもので、暫らく続けているとあまりに単調になりつつある高速道路運転の視界と酷似している、或いは危険を承知した、感がある。ツトム・ヤマシタの音楽もノッている。かつての心の友(?)、淀川長治が反対するであろう、それでも筆者は推しに推す名画である。

 

かようにインタビューから彼らドライバーの心情を引き出すことも手伝って、本来のF1グランプリから湧き上がる狂喜乱舞の歓声はいつしか静かに残酷さを露呈していく炎の轟音へと変貌を遂げていく。普通の中継放送では付け加えられることがないメッセージがこの映画の中にこめられ、中継放送がないその時期に、普通の(或いは当時斬新だったはずの)中継放送として観客に果たして受け入れさせることがあっただろうか。テレビ以上の刺激がそこにはあったのだ。

 

ところで、ドキュメンタリーというのは実際にあるそれを映像として収めながら、そこからドラマを引き出して如何にしてメッセージを込めて伝えていくか、それによって成功が左右されるのではないかというのも筆者のひとつの考え方ではある。いわゆるノン・フィクションであるが、次はそうではなく、ただひとりの男のドラマに終わっておらず、しかもタイミングよく運命が交錯しているのが一種の魅力である『グラン・プリ』だ。

 

時は1966年、始まりはモナコGP。海岸と山間とトンネルなどをコースとしたオートレース、F1グランプリに世界各国のドライバーたちが集い、世界最速を競い合う。そこにはチーム・ジョーダンBRM、フェラーリなどのチームがこぞって参加し、入賞を目指して自分たちの技術の向上を確信しながらチーム・ドライバーたちに望みを託す。ドライバーにはピート・アロン(ジェームズ・ガーナー)、スコット・ストダード(ブライアン・べドフォード)、ジャン=ピエール・サルティ(イヴ・モンタン)、ニノ・バーリニ(アントニオ・サバト)らも参戦していた。エンジンを高鳴らせ、ギヤにシフトを噛ませてクラッチをつなげていく。加速するごとにクラッチを切り替える作業は次第にピッチを上げ、クラッチがつながるごとにエンジンの音は繰り返し甲高い音を響かせながらトルクを強めてタイヤの回転速度を上げていく。オープンストレートでは遠慮なくアクセルを踏み続け、シケインに入ればギヤダウン、一般道ゆえのS字カーブコースが頻繁に敷かれているこのGPのコース周辺には果敢にも大看板の上にまでよじ登って観戦する人たちがおり、相変わらずホテルやアパートなどの部屋のベランダからついでに観戦できる人たちが当然いても違和感がないほどの当たり前の風景のなかをレースカーは疾風の如く去って行く。ピートの車体にマシン・トラブルが発生、周回遅れを余儀なくされる。先んじて先頭車になったチーム・メイトのスコットがピートを追い抜けず、ついにはリヤとノーズが接触を起こし、2台共にクラッシュ。ピート車はコースアウトして湖へ転落、スコット車もやはりコースアウトして崖を上ってはそのまま転落、横転を繰り返す大惨事に。ピートは湖上で救出されるが、スコットは救急車で運ばれていく。病状は重体、次レースの参加は望ましくなく、寧ろ再起不能が囁かれた。以来、スコットとピートは疎遠になる。スコットの妻、パット(ジェシカ・ウォルター)も自分が優先されない不満を理由に、これを機に離婚を決める。スコットは誰の手も借りずに復帰を心に誓う。

 

チーム監督は指示に従わずにスコットに先を譲らなかったとしてピートを解雇した。ピートは古巣であるフェラーリを訪ねたが、あまりの我がままと取られかねないこだわりの連続のために歓迎されなかった。次のフランスGPでインタビュアーを務めるピートは日本自動車メーカー、ヤムラの社長、矢村伊造(三船敏郎)と初めて言葉を交わす。これがピートの人生を変えることになる。

 

そのピートとは良きライバルのレーサー、ジャン=ピエール・サルティはノリにのっており、優勝者の候補とも噂され、様々なスポンサーの歓迎や奨励、賞賛を一斉に浴びていた。そのサルティにひとりの雑誌編集者が紹介された。ルイーズ・フレデリクソン(エヴァ・マリー・セイント)はレーサーについての特集企画のためシーズン中の密着取材をサルティに申し出た。その彼女の魅力にサルティは我知らずしっとりと身を焦がすようになる。

 

そうしてシーズンも中盤戦に差し掛かる。舞台はベルギーGP、コース全体はそれほどややこしくもなく、俯瞰上では三角形に見えるコースの構成で鋭角なコースが数えるほどしかないような印象だが、突然の通り雨に晒されるなど天候不良が続く不思議な地帯でもあるという。また田畑が相当な範囲で見渡せ、席外のあまりにも多くの野次馬が見にも来る。ここでピートがチームをようやく移籍して久々にヤムラ・ドライバーとして、サルティはいつものように悠々と、サルティと同じドライバーのニノも恋人リサ(フランシス・ハーディ)を従えて意気揚々と参戦していく。そしてこのベルギーで、運命はそれぞれ大きく変わっていく。

 

もちろんインターミッションは差し挟まれているが、上映時間が三時間という長尺はこれらの男たちのドラマに共感できる限り、ダレさを感じさせないと思う。この映画の強みはやはり車載小型カメラによる映像的臨場感とアカデミー賞受賞をもたらした音響の強さがあったのではないか。残念ながら筆者はこの映画をコヤで経験したことがなくて当然、ましてこの作品をシネスコ(シネラマ)で観る機会もなかなかできないようで、しかしかろうじてテレビサイズのビデオで我慢する(探し下手、実は意外と簡単に見つかる人生、こればっかり)。それでもこの臨場感の切り取りかたは見事なもの。

 

F1ドライバーは孤独で命がけの戦いに勤しむ者と表現されることがメインだが、ここでも人間の持つ感性がそれぞれに描かれる。臆病、確信、失墜、使命、屈辱、嫌悪、奨励、歓迎、そうした局面を各人の表情ににじませつつ、各ドライバーが捌くハンドリングで展開されるレーシング・シーンの連続。とりわけモナコが圧巻だが、時折三分割で見せるなど(複数の映写機で複数の映像を横に繋げるというパノラマにも似た)シネラマならではの画面構成の面白さ。このカットの采配は観客サービスと言ってもよい。

 

一方であくまで主人公の感情表現に徹したレースシーンというのも実はあるわけで、雑誌編集者ルイーズと恋に落ちたサルティの感情がそのまま音楽とともに表れている。こうした表現も意外で監督の手腕の幅広さを実感できるというものだ。

 

アメリカ映画にしては随分人間交差点である。「にしては」というのは筆者がこれまで(たとえ前後しても)観てきたアメリカ映画の中では、こうした複数の人間たちのそれぞれの人生の波を交錯的に描いた映画はあまり見かけなかったはずだと考えたからで、笑いあり涙あり、といった感慨が実はアメリカにもあったのだなと不思議に驚いたのだった。それぞれ人生だから、人間だから本作とは状況が違うけれども笑顔の裏に涙があることを思えば、命ギリギリの人生だからこそ運命交差点のインパクトが活きてくるし、本作の驚愕に値するラストを観て複雑さを抱える人間ドラマの典型的な前例と同じに観る事になる。

 

 

グラン・プリ

 

1967年日本公開 監督/ジョン・フランケンハイマー

出演/ジェームズ・ガーナー、イヴ・モンタン